パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

秋桜、神田川、芭蕉(イメージの世界)

2021年11月28日 09時11分53秒 | 徒然なるままに

休日らしくお気楽な話題を

昨日のこと、ストレスを抱えるや立場だった人が解消のために
大好きな「さだまさし」のCDをかけっぱなしにしたと話してくれた
そこですぐさま、以前から気になっていたことを聞いてみた
「さだまさしの秋桜、あの歌のお母さんは何歳ぐらいと思う?」
自分は歌の意図するイメージも内容も分かるが、それは現実を表しているかと考えると
歌のお母さんの境地になるには嫁に出す現役世代のお母さんでは少し無理があるのではないか
と思ってしまったからだ(あれがおばあさんなら分かる気もする)

そんなことを思うと連想が羽ばたいて
「神田川の歌詞も少し変だよね
 『一緒に出ようねと言ったのに、いつも私が待たされた』
てとこ、長風呂は一般的に女のほうじゃないのかな」
「ほんと、私は情景が浮かんで、そんなことは思わなかったけど、、」

さらに追い打ち(?)をかけるように
「芭蕉の『古池や蛙飛びこむ水の音』も蛙は水の中に入るには
 音を立てて飛び込みというより、すっと入るらしいよ」
「『荒海や佐渡によこたふ天河』も荒海のような天候では
 天の川なんて見えないよね、、、」

イメージの世界は、必ずしも現実を表していないかも知れない
イメージの世界はその世界内で完結しているようだ

これは実はどこの世界でもおきているように思える
物事を一般化するには一種の抽象化という作業が行われる
その一般化された例えば市民自治という世界では
実際にはあまり存在していないと思われる意識高い系の人々が
多数存在していることが前提となって話が組み立てられている

と言ってもある程度の一般化、抽象化は必要だ
要は特別な例(無関心層など)の扱いのバランスのような気がするが
最近は極端に抽象論と底辺の世界論に、くっきり別れすぎてるような気がしてならない

結局は休日らしい話題からそれてしまった
ま、いいか 

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