頭がオカシイ人の「恥ずかしい夢」 | 子連れキャバ嬢!脱お水宣言!

頭がオカシイ人の「恥ずかしい夢」

あけましておめでとう。

今年一発目のブログを書こうと思う。

去年プチ宣言したが、このブログは
「変わりたいけど、なかなか変われない」という
君のケツを叩くブログにしようと思う。

ただ、そう宣言してから一度も叩いていないような気がする。

なので年明けの今回は
「今年こそ変わりたい!」と願う君に
いくつか伝えておきたい事がある。

「変わりたい!」と思っている君なら
『今年の抱負』のようなものを考えたと思う。

本気の子なら「年間計画」なども作ったかもしれない。

そういうプランを立てる事はとても素晴らしい。

正しい目標や計画の立て方にはコツやノウハウが
必要だったりするけど、いろいろなやり方があるし
個人で「合う」「合わない」があるので

それについては、ここでは語らず
一般書籍や他サイトなどを参考にしてもらえればと思う。

ただ、僕が一言いいたいのは

「その夢・目標ショボくね?」


と言うこと。

ここ数年、特に去年は色々な人の相談にのった。

このブログを通して、多くのご縁もあった。(ありがたい)

ほとんどはビジネス関係の相談だけど
人生相談などもかなり多くあった。

その時、特に強く感じたのが
「その夢・目標ショボくね?」だ。

目の前の目標・問題をクリアするノウハウや
テクニックを相談者は求める。

それらの方法はいくつもあるし
相手に提示する事はできる。

目の前の事、小さな事を1つずつクリアしていく。

それはとても大事な事。

小さな成功体験を積み重ねていく事は
人生を変えるためには本当に大事なことだ。

ただ、

小さな一歩でも、少しずつ前に進んでいるはずなのに
なーーーーんだか全体として「幸せに向かっている感」を
感じることが出来なくて、モチベーションが下がり
小さな歩みを止める人が多いように感じた。

これほど勿体ない事はない。

「少しずつ前には進んでいるけど・・・なんだかなぁ」

本人だってモヤモヤした気分だろう。

僕はその原因を「夢・目標がショボイから」と
現段階では結論づけた。

他にもいろいろな原因があると思うが
一番大きな要因はそれだと思う。

・資格を取りたい
・就職したい
・ダイエットに成功したい
・結婚したい

それらの目標に向かって努力するのは
先にも述べたが、とても素晴らしい。

ただ、

「何のために?その先は?」

その質問を自分に問いかけ
どこまで深堀りできるだろう?

「何で資格取るの?」→「就職に有利だから」

「何で就職したいの?」→「安定した生活とか将来のため」

「安定って何?将来どうなりたいの?」

・・・・

ちょっとイジワル気味に質問して
どこまで掘り下げられるだろう?

そして「う~ん・・・」と、これ以上
深堀りできないところまで来たら
君に一つ質問したい。

「それが君の理想の人生なのか?」

もし、君が「そうです。理想の人生です」と
答えられるのなら、君はとても素晴らしい人間だし
僕のケツ叩きはお節介だということになる。

だけど、もしそうではなく

「理想ではないけど・・・現実的に考えて・・・」

という思考が働き出したのなら危ない。

少しずつ成長しているはずなのに
漠然とした不安が消えなかったり
虚しさを感じる人生を歩むかもしれない。

その不安や虚しさは

「どこに向かっているか分からない」

から芽生えるのだと僕は考えている。

あるいは

「理想じゃない人生を歩もうとしている」

ということだ。

それじゃワクワクした人生なんて送れない。

「今」は人生の一部なのだから
たとえ少しずつ前に進んでいたとしても
今、君がトキメけないのは当然だ。

だから「理想の生活・人生」を設定するのは必要だ。

しかも飛びっきり「どデカイ理想」だ。

どれくら「どデカイ理想」が良いかと言うと
他人に言ったら

「こいつはねずみ講か新興宗教に勧誘されて
 洗脳されて頭がオカシクなったんだ・・・」

と心配されるくらいの夢や理想だ。

他人が「現実的に無理だろ」と思うような
理想をかかげて欲しい。

で、

ここで強調しておきたい事がある。

多くの「大人」と呼ばれる連中が

「現実的に考えろ」

「冷静になれ」

という言葉をクチにするのを聞くが
僕からすれば、そのセリフを吐くことで
当人たちは自分のことを

「現実がわかる大人」

というキャラを作り出し
浸っているようにしか見えない。

根拠のない「現実」とやらを
あたかも正論のように並べたててくる。

もしかして、そんな事を君もクチにしていないか?

そうだとしたら
君は勘違いをしているかもしれない。

どんな勘違いか?

「夢や理想を語るのは、現実を知らない
 バカで幼稚で、恥ずかしい事だ」

そう思っていないか?

それは大きな勘違いだ。

本当に、本当に冷静に考えてくれ。

普通の人が「現実的に無理」だと思っている事を
何のためらいも無く、堂々と語る人間をどう思う?

笑われたり、バカにされたり、誰も信じないような
夢や理想に向かって努力している人間をどう思う?

しかも、小さいながら少しずつ前に進んでいたら?

カッコ良くね?

感動すらしちゃわない?

応援したくなっちゃわない?

周囲に自慢したくなっちゃわない?

なんだか自分もヤル気が出てこない?

そんな人間がバカで幼稚で恥ずかしい人間か?

絶対に違うよね?

だが、いわゆる「大人」たちには
バカに映るらしい。

僕から言わせれば、そういう「大人」は
ただの「カッコつけのビビリ」だ。

「こんな事(夢)を語ったら
 バカと思われないかな・・・

 こんな事、真剣に言ったら
 なんだか恥ずかしいし・・・」

勘違いの上にビビりなだけだ。

君はビビる必要はない。

ショボイ夢や理想じゃなくて
誰も信じないような事を本気で願って
本気で努力すれば良い。

そして「小さな一歩」を
周りの人間に自慢しまくってくれ。

「自信過剰な嫌味な人間に思われないかな?」

そんな事は絶対に無い。

応援してくれるし
逆に相手に勇気を与えるだろう。

それに多くの人がそういう会話に飢えている。

「カッコつけのビビリ」の話は
もうウンザリしているんだよ。

第一、自分の夢や理想を信じきって努力している人が
人の夢や理想を否定できるはずがない。

その人のクチから出てくる言葉は
相手の可能性を信じるポジティブな言葉だ。

そういう人と付き合いたいと思うのが
心情ってものでしょう。

社交辞令とか、おべっかじゃなくてね。

僕はアッチコッチで無責任に自慢話を
しまくっているので、「アンタ頭オカシイ!」と
笑われながらも

何か落ち込んだ時には「元気が欲しくて」
と、会いに来たり、電話をくれる人が多くいる。

モテモテだ。

「謙虚な気持ちは大事だよ」

確かにそうだ。

だけど「謙虚」と「卑屈」は全然違う。

謙虚というのは気持ちの問題であって
気持ちがないのに謙虚なフリをすると
嫌味な人間に見えなくもない。

難しいところだけど
結局のところ、自分も含め
周りの人間もハッピーになれば良いわけだ。

昨年は日本では大変な事が起きた。

だからこそ君には、今年は周りをハッピーにする
キラキラした人間になって欲しいと思う。

「どデカイ夢・理想」を持つ必要性について
もっと書きたいことがあるのだけど
長くなってしまったので次回に委ねたい。

今回は「精神論」的な話になってしまったが
「どデカイ夢・理想」がなくてはいけない
論理的な理由がある。

それを次回書きたいと思う。

長くなってしまったけど
最後まで読んでくれてありがとう。

そして今年もよろしくね。


PS:

そんな考えの僕だが
他人を否定することがある。

こんなセリフを吐いてしまう。

「それショボイ!もっとガンガンいこうぜ!」