すみません、なかなか更新していませんでしたね。
サポート活動を通して、出会った皆さまとの思い出を少し振り返ります。

 

アウェイ鳥栖戦でサポーターデビューしたのち、
金の尽きない限り、アウェイはとにかく行きまくった。

 

「聖地で応援したい!」

 

思い立ったが吉日、気が付いたら

山形県総合運動公園陸上競技場にいました音譜

 

周りが、ご家族、友人同士が多数を占める中、
私一人最前列で叫んでいたことを記憶しています。
 
試合が終わり、折角なので記念撮影しようと思い、
私の座席の後ろの方に「写真撮って貰ってもいいですか」と
お願いしました。
 
撮影後、私の方から「関西から来たんです」と
お伝えしたところ、凄く驚かれていたようで、
そこから色々とコミュニケーションを交わすようになりました。
 
当時mixiが全盛期だったので、
mixiを介して多くの山形県在住のモンテサポーターの方と
出会うことができました。
 
山形を訪れる度に、
美味しいごはんに連れて行ってくださったり、
ホテルまで送っていただいたりと、
家族同様に温かいおもてなしを頂戴しました。
 
いつかは私が恩返しを…
と思っているのですが、中々実現できていないことが、
自分の中で今モヤっとしているところです。
 

最近はアウェイですら参戦の機会が減り、

勿論聖地は画面上でしか見なくなりましたが、
私の人生のモチベーションは全て山形という存在にあります。
 
こんな場で言うのもあれなんですが、
 
皆さま、お元気でしょうか?
来年、絶対J1の舞台にいきましょう!
経済的に落ち着いたら、必ず聖地に帰ります!
 
その時、皆さまと一緒に全力で応援したいです!
 
では
 

「今日の午後と明日の午前休ましてください」

 

今思うと大変失礼なやつだったな…
こんなハチャメチャな休暇を許してくださった
当時の上長には感謝しかないですね
音譜

カバンにレプユニとマフラーを突っ込んで

道中応援歌を何度も口ずさみながら、

焦る気持ちと思いを胸に九州の地へと向かった。

 

2007年6月27日

サガン鳥栖モンテディオ山形

 

スタジアムに入り、ゴール裏に陣取り、

魂の限り叫びつくしたのは覚えている。

 

コールリーダーに太鼓併せて10人ほどの応援団。

誰一人最初から最後まで気を抜く者はいなかった。

 

試合の内容など一切覚えていない。

ただ、一つだけ覚えているのは

 

「楽しかった」

 

この感覚だけであった。

 

人生でこんなに声を張り上げ、

跳び続けたことがあっただろうか。

 

「モンテディオ山形のために」

この一心でひたすら応援していた。
明日声が出ず足が動かんくなってもええと思ってた。

この応援活動を機に、時間と金の許す限り、
アウェイを中心に日本各地を飛び回ることになる。

 

「誰よりも高く跳び、誰よりも声を出す」

私の師匠である当時の関西組コルリの信念。

今も私の応援の信条として掲げています。

次回は聖地に初めて踏み入れた時のことを中心に、
サポーター活動を通して出会った皆さまとの思い出を記せればと…


いつになるやらか…

では

 

「一緒に応援しようよ」

この日の試合内容はすっかり忘れていたが、

この言葉だけは今も覚えている。

 

あの加古川での試合から数年が経ち、
私に再びチャンスが訪れたのは2006年のことであった。

 

ヴィッセルが前年の結果、J1からJ2へと降格し、

モンテディオ山形と同じJ2のリーグ戦で

年2回対戦する機会が与えられた。

 

Jリーグは、ホーム&アウェイ形式で、

年1回ずつお互いの本拠地で試合することになっている。

 

地元神戸で再びモンテディオ山形が…

 

2006年6月17日(土)

脚は自然と神戸ウイングスタジアムへ向かっていた。

(※現ノエビアスタジアム神戸)

 

自分の目の前で火花を散らす、山形の選手と神戸の選手達。

1年でのJ1復帰を目指す神戸の猛攻に苦しむ、モンテディオ山形の選手達。

前半を0-2で折り返す。

 

前半を終え、私はスタジアムを後にした。

 

不甲斐ない…

 

そんな自分が嫌になり、

私はもう1度チケットカウンターでチケットを購入した。

 

後半、秋葉勝から佐々木勇人に交代したと同時に、

私はモンテディオ山形のゴール裏に足を踏み入れた。

 

数こそ少ないが、熱気あふれる応援は、

私の脳天を突き刺すような衝撃だった。

 

2点ビハインドであれ、3点目を入れられても、

誰も諦めて応援を辞めようとする者はいなかった。

むしろその勢いは力を増すばかり。

 

2点を返したものの、その後1点追加され、

結果2-4で敗れた。

 (引用元:ヴィッセル神戸オフィシャルサイト)
 

試合後、選手がこちらに挨拶に来てくれ、

サポータの方々は思い思いに檄を飛ばしていた。

私はその光景をじっと見つめることしか出来なかった。

 

帰ろうとしたその時、

力強いが優しい感じの声が私に掛かった。

 

「一緒に応援しようよ」

 

私がモンテディオ山形に目覚めた瞬間であった。