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東大寺の鐘をつく大鐘家(おおがねや)6代目・川辺嘉一さん/by 日本経済新聞夕刊「関西タイムライン」

2021年12月01日 | 奈良にこだわる
昨日(2021.11.30)の日本経済新聞夕刊「関西タイムライン とことん調査隊」に、〈「柿くへば」子規の聞いた奈良の鐘音、ついたのは誰?〉という記事が出ていた。執筆されたのは奈良支局の岡本憲明さんで、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」ガイドグループの石田一雄さんが取材に協力された。記事全文を紹介すると、

修学旅行生たちが戻ってきた世界遺産の法隆寺(奈良県斑鳩町)。五重塔や金堂を巡った後、バスガイドが必ず案内するのが、境内の鏡池の傍らに立つ正岡子規の句碑だ。「法隆寺の茶店に憩いて」の前詞とともに、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という有名な句が刻まれている。

句碑は1916年(大正5年)、かつて茶屋のあった跡地に子規門下の俳人、松瀬青々らが建立した。刻まれた文字は子規自筆の短冊を拡大したものという。子規は1895年(明治28年)10月下旬、法隆寺を訪れ、この句を詠んだということになっている。

法隆寺で「時の鐘」を打つのは、境内の西北にある西円堂の鐘楼だ。午前8時から午後4時まで2時間おきに1日5回、時刻の数だけ寺の職員が交代で鐘をつく。現在の鐘は1993年に新しくしたものだが、子規が聞いたのは西円堂の鐘だったのか。

ところが専門家の間では、この句はフィクションという説がある。子規が法隆寺を参拝した当日は午後から時雨が降ったと記録に残る。長年、法隆寺のガイドを務める「門前宿和空法隆寺」企画部長の中江太志さんは「子規が法隆寺を訪れたことすら虚構という説もあります」。

子規は1895年4月、日清戦争の従軍記者として中国大陸に渡ったが、無理がたたり5月に帰国の船中で喀血(かっけつ)。神戸や須磨で療養した後、松山に帰郷し、友人の夏目漱石の下宿先に2カ月近く居候する。柴田宵曲著「評伝正岡子規」によると、10月19日に帰京すべく松山をたったが、その途上、腰骨が痛み出して歩行が困難となり、癒えるのを待って大阪、奈良に遊んだ。

子規が奈良で3日ほど滞在したのは東大寺近くの老舗旅館「對山楼角定」(現在は天平倶楽部)。そこから法隆寺まで約15㌔の距離があり、今なら車で30分ほどだが、当時は汽車なら1時間超はかかっただろう。奈良女子大学名誉教授で俳人の故和田悟朗氏は、法隆寺を詠んだ子規の句は嘱目吟(目に触れたものを即興的に詠むこと)の実感が希薄と指摘し、「腰を痛めていた子規が本当に法隆寺まで行ったかどうか、疑問だ」(「子規と法隆寺」)と提起した。

では、子規はどこで鐘音を聞いたのか。子規は随筆に奈良の宿で御所柿を食べながら東大寺の鐘を聞いたと書き残している。夕食後、宿の下働きの少女が大きなどんぶりに山のように柿を持ってきた。「柿も旨(うま)い。場所もいい。余はうっとりとしているとボーンという釣鐘の音が一つ聞こえた」(「くだもの―御所柿を食ひし事」)。この時、「柿くへば鐘が鳴るなり」という着想を得て、その体験を「法隆寺」に置き換えたのか。

奈良の歴史に詳しいNPO法人奈良まほろばソムリエの会の石田一雄さんが「子規が聞いたのは午後8時の初夜の鐘で、今も毎日1回、同時刻に鳴らされる。鐘をつくのは明治から代々、大鐘家の屋号を持つ川辺家の人々です」と教えてくれた。大鐘は通称「奈良太郎」。重さ26.3トンの国宝だ。鐘楼の近くに住む川辺家では毎日、鐘をつく奉仕の代わりに、鐘楼の中で土産物商売を許されてきた。

午後8時前、鐘楼の前で待っていると大鐘家6代目、川辺嘉一さん(68)がやってきた。鐘をつくのは3分間に計18回。「この鐘は奈良時代の寺創建当時から今も現役。東大寺をつくった聖武天皇が聞いていた同じ鐘音が今も聞けるんです」。子規が聞いたのは川辺さんの曽祖父の祖父にあたる初代のついた鐘音だ。

法隆寺に古くから残る「法隆寺日記」には子規来訪の記録はないが、そうかといって子規が法隆寺を参拝しなかったと判断はできない。法隆寺か東大寺か。川辺さんは「そこら辺はアバウトにしておくのがロマンではないですか」と話している。(岡本憲明)


正岡子規が聞いたのは東大寺の鐘の音だった、という話は私も当ブログで「鐘が鳴るなり東大寺」として紹介したことがある。また子規の俳句は、夏目漱石の句「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」にヒントを得て作られたという説も紹介した。

いずれにしても、私は今でも柿を食べるたびに「鐘が鳴るなり」の句が頭に浮かぶ。やはりのこの俳句は、名句ということなのだろう。
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1 コメント

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日本らしさ (古代大和)
2024-03-11 12:45:44
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムは人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。ひるがえって考えてみると日本らしさというか多神教的な魂の根源に関わるような話にも思える。

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