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熊野本宮大社 主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)/熊野霊場をゆく(2)

2022年05月23日 | 記紀・万葉
熊野詣(2022.5.11~12)の2日目は、熊野御坊南海バスの定期観光バスで熊野三山を巡拝した。1日で熊野三山すべてをお参りできるので、好都合である。ただしバスの出発(紀伊勝浦駅発)が午前8時30分なので、前泊が必須である。私は駅前に宿を取り、朝から魚市場見学も済ませてから、バスに乗り込んだ。
※トップ写真は熊野本宮大社の大鳥居。鳥居の脇に、白河上皇の御製が看板に書かれていた。「咲き匂ふ花のけしきを見るからに 神のこころぞそらにしらるる」


こちらは後鳥羽上皇の御製「はるばるとさかしき峯を分け過ぎて音無川を今日見つるかな」

バスがまず向かったのは「熊野本宮大社」(和歌山県田辺市本宮町本宮)で、ここで約40分の自由見学時間があった。同大社の公式HP「5分でわかる熊野本宮大社」によると、

熊野三山はどんな神社なの?
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。



ここから神殿に向かう。雨がしとしと降っていた

熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。


神殿の写真は「撮影禁止」とあったので、この写真は熊野本宮観光協会のHPから拝借。参拝順序は①証誠殿(本宮・第三殿)家津美御子大神(スサノオ)②中御前(結宮・第二殿)速玉大神(イザナキ)③西御前(結宮・第一殿)夫須美大神(イザナミ)④東御前(若宮・第四殿)天照大神⑤満山社 結ひの神(八百萬の神)

熊野本宮大社の歴史まとめ
当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。三本の川の中州にあたる聖地、大斎原(おおゆのはら)に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。


平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。


おお、こんなところにヤタガラスが!

明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。平成23年9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至ります。


本宮大社の手前に大斎原(おおゆのはら=旧社地)があったが、時間がなくてお参りできなかった。こちらの写真は和歌山県公式観光サイトから拝借した

ここにはさらりと「家津美御子大神(スサノオノミコト)」と書かれている。神さまに捧げる食べ物のことを「御饌津物(みけつもの)」というが「ケ」は食べ物のこと。津は助詞の「の」なので、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)は「食べ物を司るうるわしい御子神さま」ということになり、それがスサノオと同体とされているのだ。

『古事記』によると、スサノオは口や尻から食べ物を出したオオゲツヒメを「無礼な!」と言って斬り殺した。すると大地に倒れた女神の体から、稲、粟、麦、小豆、大豆の五穀の種と蚕が現れ、それが農産の源になったとされる。これは〈オオゲツヒメが独占していた農産を、スサノオが自由にし、全国に広めたことを示している〉(辰宮太一「家津美御子とスサノオは同体」楽学ブックス『熊野三山』JTBパブリッシング所収)、ここから家津美御子大神=スサノオノという説が生まれたようである。さあ、次は熊野速玉大社(新宮)だ!
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1 コメント

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マルテンサイト千年 (グローバルサムライ)
2024-04-22 17:32:58
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

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