ひと月ほど前に自転車で転倒して肋骨を骨折してしまった。肩の荷物のバランスをくずして縁石クラッシュ。スピードは全然出してなかったけど見事に背中から落ちたようだ。猛省中。

 私の自転車は15年以上前に買った街乗りスポーツタイプバイク。ここ数年ヘビーユーズしている。どのくらい乗っているかというと、数年の間に5回もタイヤを交換したほど。正直、車で移動すべきな走行距離とは思う。
 日常的に車を使わないのは、運転しなければ事故を起こす確率はゼロだという消極的な信念から。仕方ない時しか車は運転はしない。
(ここで脱炭素に貢献するため、とか恰好いい理由は敢えて言わないでおく)

 さて、とはいえ、自転車だって乗れば乗るほど事故に遭ってしまう可能性は高まる。そういうわけで、1度だけ車と事故になってしまったことがあった。そのほかはひやっとしたことが数回あったくらいなので確率的には低いと思うし、かなり慎重に乗っていると思う。

 今回のケガは猛省だが、2年前のその事故は、猛省どころかいまだに後悔をしている。

 その時は、国道の歩道(いわゆる自転車歩行者道)を走っていて狭い脇道から出てきた自動車に横から衝突されてしまった。こういうと出合い頭の事故というイメージがするけれど、実際にはそうではなくて、見晴らしのよい脇道から出てこようとして止まっているその車を私は100mも前から認めていた。国道側の車がもう少し続くのを確認してその車の前の空いているスペースを最徐行で通り抜けようとした途端に車が発進したのだった。(正直、故意?と思うレベル)

 結果的には腕の擦り傷で血が出たくらいで、(今回もそうだけど)自転車は無傷、つまり被害なし。しかし、相手の車はボンネットやナンバープレートがへこんでいた。結局警察の対応で2時間近く時間を費やすこととなり、しかも調書も取られ、「交差点の事故なので運転手さん(私のこと)にも注意義務があります」と諭された。もっとも、相手の車の運転手さんは「自分が見ていなくて全面的に悪かった」と最初から言われていたし、特段被害もないので何ももめることはなかった。

 では、私はなにを後悔しているのか。
 それは調書への対応についてだった。2点ある。

 ひとつめは、「今後このようなことにならないようにどうしますか?交差点では十分注意するようにしますね?」と聞かれ、「はい」と言ったこと。それがきっと私の言葉として残されているわけだ。
 「交差点には十分注意して進入する」などという反省文を残して何の意味があるのだろうか?そもそもこれ以上注意しようがないくらい注意して進入したのに。正直、正解は「進入すべきではなかった」だった。私の反省点はズバリ「相手の運転手さんとアイコンタクトができていなかったこと」だ。たいがいの場合はやっていたのに、この時には確認できていなかった。本当にこちらの方に顔が向けられていなかったのだろう。
 ということで、あのやりとりはなんの意味があったのかという後悔が残っている。

 そしてふたつめの最大の後悔。それは「何キロで走行していましたか?」という質問。
「スピードメーターがついているわけではないので速度はちょっとわからないですがゆっくりです」
と答えると、
「では15キロくらいですね」
「そんなに出てないと思いますが」
「そのくらいでないとふらついて倒れますよ」
「ではそうかも」

というやりとりで、私は時速15Kmで走行していたという記録になっているのだろう。
ほんとに会話がこれだけだったらもっと注意深くしてたのだけど、あまりにいろいろ煩雑で個人情報なども意味なく山ほど聞き出されたりして面倒になっていた。

時速15Km。1時間で15km先まで行ける速度。
そんな速度で倒されて、擦り傷で済むとは思えない。
徒歩と同じ速度で走ってもたいしてふらつかない自信もある。
最徐行で進入したから衝突したときはブレーキもかけてほぼ時速ゼロだったと思う。

後から思うとあれってほとんど「誘〇〇問」?
こうやって「えん〇」とかになってしまうのでは。
と背中がぞくっとした。
そしてあんな記録がどこかに残っているかもと思うと本当に後悔してもしきれない。

そして、ただでさえそそっかしい上に歳とともに反射神経も運動神経も鈍くなっている。
不測の事態に臨機応変に対応する力も衰える一方のように思われる。
今まで以上に用心深く過ごさなくてはとつくづく思う。