こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

迷惑がらずに感謝の気持ちを表そう

2022年01月18日 | 日々思うこと、考えること
 今朝も寒い。だが、月明かりがあったとはいえ夜中はもっとだったに違いない。私の住む地区に電線、電話線を供給している木の電柱2本がずいぶん傾いていたため、コンクリのそれに変えるということになり、昨晩その工事が行われた。道路が狭いこともあって、0時から6時という工事時間が設定されていて、寝入る時に窓越しに外を見たら、工事の行われる2本の木の電柱の立っている場所がそれぞれライトの明かりによって煌々と照らされていた。それを見て、こんなに寒いのに工事をしてくれるなんてありがたいひとたちだと思った。夜間の騒音でもを指摘しようとしていると勘違いされては申し訳ないので、わざわざ写真を撮るようなマネはしなかった。朝には、魔法のように新しい電柱が立っていた。こんな寒い時間にこうやって働いてくれる人がいるから、社会の基礎は守られているのだと目の当たりにした。
 そんなことを思いながら朝のNHKニュースを視ていたら、郵便配達員が郵便受けの扉のダイアル式の鍵を開けてまで大きな郵送物を入れて困る、ということが流れていた。配達員さんは親切心から郵便箱の扉を開けて配達しただけだと私は思うのだが、それを通報したという人は、気持ちが悪いと言っていた。人によってはダイアルを動かしていない人もいるだろうし、一目盛りしかずらしていないような人もいる。そもそも郵便受けに郵便物を配る人がわざわざ中のものをのぞいたり盗んだりするだろうか?良かれと思ってしたであろうことが裏目に出てしまってその配達員さんが気の毒だった。そもそも、NHKに垂れ込む前に郵便局に相談したらよかったのに。日本郵政は全国の郵便局にそのようなことをしないように通達を出すと言っていたが、これからは、郵便局が遠い人は、不在通知を受け取って、時間をかけて郵便物を取りに行かなくてはならない。顔見知りばかりの地区でそんなことになったらたがいにギスギスすることになりかねない。置き配の時代だというのにどういうことなのだろうか。
 世の中に様々な考えの人がいるのは重々承知ではある。でも、なにか行動に移す前に少し考えた方が良いのではないかと思えることもある。物騒な事件が多く発生し、警戒感を強める人の気持ちはわかる。街の診療所が放火されたり、こんな小さな集落でこんなことがと驚いてしまうような事件もある。だが、多少は互いを信じて行動しても良いのではないだろうか。とくにエッセンシャルワーカーへの信頼は大切だ。公共事業の現場で働く人、事業所の清掃に従事する人など、社会を支えてくれているエッセンシャルワーカーの人たちに対して感謝することは、その人たちへの応援だ。道路工事とかトイレ掃除、郵便配達などなど、公共的な仕事は往々にして個人の行動と重なることがある。だからといってなくてはならない仕事であって、お疲れ様です、ありがとう、そういった言葉をかける機会があったらなるべくそうする。たいていの人はそれに応じてくれる。
どこまで人を信じるか

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