こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生はあっという間だな、あと少しの間どうやって生きよう

人の命は儚いものなのに

2021年11月26日 | 日々思うこと、考えること
 昨日、また大きな交通事故があり、2人の命が奪われた。鎌倉の隣の戸塚区でのことで、テレビに流れる画像は記憶にあるものだ。事故を起こした人は事故を起こしたくて起こしたわけでは無いが、結果として取り返しのつかないことをしてしまった。同じ運転免許証を持つ身としては他人事ではない。無防備な人の間を凶器ともいえる自動車を運転することの重大性を改めて考えなくてはいけない。

 新型コロナウイルス感染症の感染が拡大した初期の段階では多くの方が亡くなり、著名人も含まれその恐ろしさを多くの人が実感した。日本ではこれまで、170万人あまりの人が感染し、18、349人が亡くなっている。感染拡大は奇跡的に終息し、治療法もほぼ確立されて、新規治療薬の開発も進んで、もはや亡くなる人はほとんどいない状態だが、新たな変異株がでてくる可能性もあって油断できない。

 エチオピアでは内戦状態となっているそうだ。広大なアフリカ大陸には多くの民族がいて、互いに反目するようなこともあるのだろう。内戦だの紛争は世界中に溢れるほどあり、日々多くの人が命を落としている。人間にどうして言葉の差異、民族の差異、肌の色の差異が存在するのか、詳しいことは知らないが、だ、同じ種としてほぼ同じ時期に地球上に存在していることからは同種の生物といっていい存在なわけで、殺し合うということは互いの存在、ひいては自らの存在を否定することにつながってしまう。

 薄皮一枚纏っただけの脆弱な存在である人間は、膨大な命の上で生きながらえてきたが、その命運など一寸先は闇で、どうなるかなんてわかったものではない。いつ頭上にミサイルが飛んでくるか、テロに巻き込まれるか、車が突っ込んでくるか、知らないところで恨みを買っていて殺されるか。天寿を全うするなど覚束無いことと覚悟して生きなくてはならない。

 とはいうものの死ねと言われてハイそうですかと死ぬのも嫌だ。だとすれば、他人を自分と同じように尊重して生き、自分は自分で身体を労わって生きることが求められるのだが、どちらも言うは易し、行うは難しだ。
いくら生きてもわからない

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