“哀悼の意を表します” 大量虐殺兵器 原子力爆弾投下は戦争犯罪である。 | 元足立区議会議員 松丸まことのブログ

“哀悼の意を表します” 大量虐殺兵器 原子力爆弾投下は戦争犯罪である。

原子力爆弾による“大領虐殺”

 

第二次世界大戦の末期に当たる大東亜戦争末期の1945年8月に、アメリカ軍が日本に二発の原子力爆弾にを投下した。

 

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、日本の広島市に、ウラン型原子爆弾が投下され上空600メートルで炸裂した。同年12月末までに14万人が死亡したと推定されている。

 


広島の3日後の、1945年8月9日午前11時2分、長崎市にプルトニウム型原子爆弾が投下され、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼっている。

 

なんと2回の原子力爆弾投下後の4ヶ月で21万人以上の日本人が殺戮されてしまった。

 

連合国側の「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため」という言い分が有るにせよ、罪のない老人や、子供や、女性に一般市民を、幾万人、幾十万人、殺してもいい」という言い訳にはならない。

 

まさに大量虐殺であり、アメリカによる戦争犯罪であると言わざるを得ない。

 

と、言えども、私たち日本人は泣き言や恨み言は一切言わない。武士の血統を持つ誇り高き国民である。

 

韓国のような「物乞い外交・乞食外交」などは一切してきていないし、今後もすることはない。

 

戦後、先人達は自ら立ち上がり、日本を立ち直らせ、世界第二位の経済大国にまで成長させてきた。

 

この間、アメリカの協力も大きくあったと理解している。

 

大量虐殺は許すべからず蛮行であるが、輝かしい栄光は未来に向けた行動のみにあると考えている。

 

 

 

広島県・長崎県の原爆被害者皆様、そして靖国神社でお眠り頂いている戦死者皆様へ、ご冥福と哀悼の意を申し上げます。 私は戦争は美でも善でもないことを知っています。 私も未来に向けて国を守って参ります。

 

 

 

 

原爆投下当初にはアメリカ側にも原爆投下を批判する意見があった。 『ウィキペディア(Wikipedia)

 

ハーバート・フーバー第31代アメリカ合衆国大統領

「いかなる詭弁を用いようと、原爆投下の主目的が、戦闘員ではなく女子供老人などの非戦闘員の殺傷であったことを否定することはできない。そもそもアメリカは日本を挑発しなければ決して真珠湾を攻撃されることはなかっただろう。」    
 

 ロバート・マクナマラ元世界銀行総裁ケネディ政権国防長官 

「アメリカはこの戦争を外交的手段で終了させられた。原爆投下は不要だった。日本の犠牲はあまりにも不必要に巨大すぎた。私は東京大空襲において、同僚達と、いかにして日本の民間人を効率的に殺傷できるか計画した。その結果一晩で女子供などの非戦闘員を10万人焼き殺したのである。もし戦争に負けていれば私は間違いなく戦争犯罪人となっていただろう。では、アメリカが勝ったから、それらの行為は正当化されるのか?? 我々は戦争犯罪を行ったんだ。一体全体どうして、日本の67の主要都市を爆撃し、広島・長崎まで原爆で、アメリカが破滅させ虐殺する必要があったというのか。」 

 

ドワイト・アイゼンハワー アメリカ合衆国第34代大統領(連合国軍総司令官)
「原爆投下は、米国兵士の命を救うためには全く必要のないものだった。我々は日本に原爆を投下する必要はなかった。」

 

ダグラス・マッカーサー連合国軍総司令官

「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月、私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところがワシントンのトルーマン政権は突如日本に原爆を投下した。私は投下のニュースを聞いたとき激怒した。」    
 

ウイリアム・ダニエル・リーヒアメリカ海軍提督(大統領主席補佐官)
「日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、実際原爆投下後もアメリカはそれを認めたのだが、日本は降伏する用意があることも知っていた。だがトルーマン大統領はそれを知っていながら無視した。ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも彼は無視した。この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、なんの意味を持たなかった。海上封鎖は十分な効果を挙げていた。この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。これは爆弾でもなければ爆発物でもない。これは”毒物”である。恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない!」    
 

ウィリアム・ハルゼー・Jr.太平洋艦隊第三艦隊司令長官(のち元帥)

「最初の原子爆弾(ネバダ州の実験)はいわば不必要な実験であった。これを一度でも投下したのは誤りだった。(…中略…)原爆は多数の日本人を殺した。しかし日本人はかなり前からロシアを通じて和平の打診をしていた」    
 

カーティス・E・ルメイアメリカ陸軍航空軍少将(のち空軍参謀総長)

「ロシアの参戦と原爆がなくとも、戦争は二週間で終わっていただろう(…中略…)原子爆弾は戦争の終結とは何ら関係がなかった」    
 

アーネスト・J・キングアメリカ海軍元帥 艦隊司令長官兼海軍作戦部長
「(原爆か上陸作戦かという選択に関して)ジレンマは不要なものだった。なぜなら、じっくり待つつもりさえあれば、海上封鎖によっていずれ石油、米、薬品や他の必需品が不足し、日本人は窮乏して降伏せざるをなくなったからだ」    
 

ヘンリー・スティムソンアメリカ陸軍長官

「私はトルーマンに、広島の破壊を示す写真を示した。大統領は、それを見て、我々が負わなければならない恐るべき責任について、私に吐露した。」    
 

レオ・シラードマンハッタン計画参画の科学者

「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」    
 

モリス・ジェプソン エノラゲイ号技術者

「多くの人々が死んでいるのはわかっていた。喜びはなかった」

 

クレア・リー・シェンノート アメリカ陸軍航空隊大尉(のち少将)

「日本との戦争へのロシアの参入は、その終結を早める決定的要素であり、原子爆弾が一つも投下されなかったとしても、その事実は変わらなかった」    
 

ポール・ティベッツ エノラゲイ号機長

「軍人として命令を受けた以上、任務を遂行するのは当然」