週末、老人男性とその息子さんらしい方がお店に来られた。
男性に商品を見つめていたので声をかけると、男性は「11歳の孫娘に送るんやけど、どんなんが良いやろか…」と言われた。
香港に住んでいて、好みのものが香港で買えない為に、時々買って送るとの事だったが、何せおじいちゃんが11歳の女の子の好みを分かるはずもなく、私が一緒に選んだ。

おじいちゃんが連れていた息子さんらしき男性は障害を持っている方だとすぐにわかったが、おじいちゃんが「あっち行こう」と声をかけるとサッと立ち上がり付いて行き、キョロキョロと周囲を見渡して待っていた。
買い物が終わりレジを済ませた際、おじいちゃんが私に「助けてくれてありがとう」と言い、息子さんらしき方にも「この女性になんて言うの?」と礼を促した。
すると男性は手話でありがとうと示してくれた。
とっさに手話でありがとうと言われ、それがありがとうのサインだと分かった自分に驚いた私は、ありがとうと返すことが出来た。

そして男性は「飲みたい」とおじいちゃん伝えた。
おじいちゃんは「ああ、ビール飲みたいんか?まだ4時やぞ」と笑いながら言いお店を後にされた。

もっと手話を会話で繋げれるようになりたい、今日はそう思った。
自宅に戻り夕飯時にこれを話した。
「手話しか手段が無いお客様にとって、店員が分からないのは不公平、今日はそう感じた」と言うと娘もまたユーチューブで手話の勉強を始めると言った。

夫は特別学級の教員資格があり、手話が少し出来るが、それは当時の生徒に手話が必要な児童がいた事がキッカケだった。
が、生徒の両親が手話を学ぶ気が無く、児童に手話を習得させても家族と意思疎通が出来ないからということで、児童には手話ではなく、口の動きを読み取る方法で生きて行ってもらう方針だとし、手話を使ってくれるなと夫に言ってきた。
以後、夫は手話を必要とする生徒を持っていないが、知っていて損は無い、1つでも知っていたら嬉しい気持ちにお互いがなれると言った。
フランス語やドイツ語が必修科目で勉強している子供達であるが、この半分を手話に必修科目で入れ替え出来ないもんなのか…福祉がこれほど充実しているイギリスにおいて、そこは必要の無いものだろうか‥