喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

捨てるということから、本当の豊かさを考えた

2021-11-17 | 生き方

 しまなみ海道の日帰り旅行。

途中、父母と様々な話をすることができた。

その1つが、「捨てるということ」

 

 我が実家の倉庫や屋根裏には、もう使わないだろうという物が積み重ねられている。

母が、「いつか使うことがあるかもしれない」と、捨てずに残している物がたくさんある。

さらに、「もらっておいたらいいかもしれない」と、余分にと思うものまで、もらってくる。

とにかく捨てられないのだ。

 

 それが、私たちからすると、そのような物があるせいで、置き場もないくらい物にあふれていて、

片付けをしづらい状況をつくっている。

「いらん物は、どんどん捨てようや。亡くなってから整理整頓するのは大変なんやけん。」

という合理的な理由を話す。

 

 過去、母が入院している間に、姉妹に帰ってもらいかなりの物を捨てたことがある。事後承諾で。

そして、また同じようなことを計画している。

「月末にみんなでいらん物を捨てて、家を整理整頓しようや」

父母も理にかなう話なので、強く反対することもなかった。

 でも、その反応に何となくすっきりしなかった。

何だろう。この、もやもや感は?

 【お腹いっぱいだけど、捨てられない】

 

 今日、姉からのメールで、そのもやもや感がどうしてか、分かった。

姉は檀家になっているお寺の婦人会に参加した。

参加者は、母と同じ年頃の人ばかり。

そこで、子どもが実家の断捨離をすることについて話をしたようだ。

すると多くの人から、「本心は、捨てられることがとても嫌でストレスになる。できることなら、自分たちが亡くなった後にしてほしい。」

という本音が出たらしい。

 

 自分(たち)は、どれくらい父母の気持ちに寄り添い、捨てることを考えていただろう。

戦中戦後の物不足で生まれ育った父母たち。

全ての物には、それを作り出すまでの苦労があり、豊かさがあって初めて手に入るものだった。

大事に大事に使いきり、そのおかげで暮らしていくことができた。

だから決して物を粗末にできない。それは、身をもって感じていることだった。

 

 高度経済成長時代に生まれた自分(たち)は、そんな経験をしていない。

どんどん物は作りだされ、生活にあふれていく。

消費することが、豊かさの象徴のような感覚。

だから、捨てるということに違和感を感じない。

いや生活しやすくするためには、捨てなければならないとさえ思うようになった。

 

 父母たちの感覚と大きくずれている。

自分(たち)は、物を捨てない父母を問い詰めることができるのか。父母の気持ちをないがしろにして捨てることをしていいのか。

これが、もやもや感のもとだった。

 

 本当の豊かさとは、何でも手に入る生活ではなく、父母たちの思いそのものではないだろうか。

物の裏側にそれを作った人の姿が見える、それを使った人の姿が見える、という。

 捨てることについて、しっかりと父母の気持ちを聞いてみたいと思う。

そうして本当の意味で、豊かな暮らしをしていきたい。

 

          岬人(はなんちゅう)

 

 



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