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「チェット・ベイカー 〜その生涯と音楽」読了。

2021年12月23日 22時56分00秒 | jazz
装丁が何だか古臭いのだけど、2019年発行の割と新しい本。

この本も著者ドフォルクが相当綿密に色んな人達を取材して様々な角度から見たチェットについてまとめ上げている。

ローカル・ミュージシャンでカントリーウエスタンのバンジョーやギターを弾いていてたがウダツの上がらなかった父と、過保護で甘やかす母に育てられたチェット。子供の頃は日本で言うところの「のど自慢大会」などに出場し、その頃から周りの子供と違い、子供らしい唄など歌わず、オトナなジャズ・スタンダードを歌っていたそう。13歳でトランペットを父からプレゼントされ夢中になる。正式な音楽教育は受けてないらしい。

やがて、陸軍に入り軍楽隊でトランペットを吹くことになる。除隊してカリフォルニアに出てメキメキと頭角を表す事になる。西海岸ツアー中のチャーリー・パーカーのオーディションに受かったり、ジェリー・マリガンのバンドに加入したりと、トントン拍子だ。

彼は譜面が強くなく、全て耳でやっていたそうだ。ピアノのラス・フリーマンの証言によると曲のkeyさえも理解してなかっただろうという。ボーカリストがkeyなど気にせず自由に歌うのと同じ様にトランペットを吹いていたという事だろうか。それってインプロヴァイザーの理想型であり、お決まりのフレーズも不要で、彼がどんな曲でも澱みなくアドリブが出来るのも頷ける。でも、やはり譜面が読めないというのは彼としてもコンプレックスだったらしく、大学に通ったそうだが、すぐにドロップアウトしたそうだ。

因みに、元々歯茎に問題が有った彼は最初から前歯が抜けており、そのせいでマウスピースを歯に強く押し当てる事が出来ず、独自にそれでも鳴らせるテクニックを見つけ出し、あの柔らかい音色が生まれたそうだ。


チェットが売れっ子になった理由の一つとして、クールジャズを母体とした「ウエストコースト・ジャズ」の流行がある。その中心は白人の若手であった。アート・ペッパー、スタン・ゲッツ、シェリー・マン、ショーティ・ロジャースなどだ。既にキャリアが有ったテディ・エドワーズやデクスター・ゴードンなど黒人のミュージシャン達は職を失い、ストリップ小屋などで最低レベルのミュージシャン達と演奏する羽目になったそうだ。ただ、クールジャズに恨みを持つそのエドワーズもチェットの実力は認めていた様だ。

チェットは52年頃からドラッグを始め、あっという間にジャンキーになり、様々なトラブルを起こす。遅刻や、更には現場に現れなかったり。映画に出演するくらい、ジャズ界のジェームス・ディーンと評されたルックスと、楽器のテクニックを持ってすれば、大金持ちになれた筈だが、貰ったカネはドラッグや高級車などの浪費により一瞬に消え去ったとか。

逮捕や裁判や投獄を国内外で繰り返し、挙句はドラッグ・ディーラーとのトラブルで用心棒達にボコボコに殴られて殆どの歯を失う。その頃は演奏も出来ず、ガソリンスタンドでバイトしてたそうだ。ただ、そんな楽器が吹けなかった頃は皮肉にも家庭人となり、良い父親でいたそうだ。

入れ歯と安定剤のクリームを手に入れ、ジャズ界に復帰すべく練習に励んだそうだが、この頃が最もよく練習したと本人は述べている。これは映画「ブルーに生まれついて」でも再現されている。しかし終生、この安定剤に演奏のクオリティが左右されるという悩みは尽きなかった様だ。

ジャズが米国で廃れると、家族を母国に残してヨーロッパに行ってしまう。兎に角、チェットは究極の自由人なのだ。著者も「上流階級の浮浪者」と上手いこと例えている。つまり、相当な額のギャラを貰っても、あっという間に使い果たすから、住む場所も無く、常に誰かの家に世話になってるから、居場所が掴めない。イベンターとかは彼に仕事を頼むと、現場に果たして現れるのか気が気でなかったそうだ(笑)

強く印象に残ったのは、晩年、スタン・ゲッツとのリユニオン・バンドの欧州ツアーの話。元々、ゲッツはこの話に乗り気ではなかった。というのも、漸くドラッグから足を洗い、真っ当な人生を歩もうとしていた所に、浮浪者の様な出立ちで全くドラッグをやめようとしないチェットを近くに置きたくなかった…というのがある。結局、ツアーが始まると欧州でのチェットの人気は凄く、それに嫉妬したゲッツが心のバランスを崩してしまう。当初のピアニストだったギル・ゴールドスタインをボロカスに罵りクビにしてしまう。

で、チェットはというと、素晴らしいピアニストであるゴールドスタインにその様な態度を取ったゲッツが許せなかった様だ。僕はこのリユニオンのビデオを持っているのだが、アンサンブルは息もピッタリで完璧だし、とても仲良く演ってる様に思えたのだが、内情は全く異なってたのだと知り、驚きと共に感心した。客にそれを感じさせないって、本当のプロだよな!と。

そして、これを録音してレコード化するという話になり、リーダーとなったゲッツは200万円程のカネを手にするのだが、チェットには20万弱程度しか渡さなかった…と取材で判明し、著者は「ゲッツとはこの様な男なのだ」と最大の軽蔑を言葉として記している。

ホテルで発狂したジャコ・パスタリアスを同じジャンキーとしてなだめて落ち着かせたとか、ピアニストのハロルド・ダンコとのツアー中にダンコの実家に行って、両親とすっかり打ち解けたチェットを見てダンコの母親が「チェットってあのジャンキーの?とても良い人じゃない。」と言ったとか、なんだかチェットのほっこりした人柄が浮き彫りになる本だった。

ゲッツにしろ、ペッパーにしろ、このチェットにしろ、元々の体力が凄かったらしく(華奢なチェットにそのイメージは無かったが)、そのお陰でドラッグを大量に摂取し続けても長生き出来たのだ。周りのジャンキー仲間は全員若いうちに早々に亡くなっている。チャーリー・パーカーでさえ。チェットは晩年、「俺がドラッグに掛けた金は1億円以上だ。」と自慢してたそうだ。

しかし流石に、麻薬取り締まりに厳しい日本にドラッグは持ち込めず、メタドンという麻薬常習者に医者が処方する代用薬(ビールで例えればノンアルみたいなものか?)で済ませたのだが、そのトウキョーライブの演奏は最高らしい。ヨーロッパでも、麻薬問題で入国が難しい国が有ったらメタドンで済ませてたそうだが、やはりその時のライブは最高に良かったとか。でも、やはり刺激を求めてまたドラッグに溺れ、ダメな演奏に戻る…の繰り返しだったそう。

普通に人間らしく、嫉妬や葛藤や、自分の音楽へのこだわり、他のミュージシャンへの厳しさも有りつつ、基本、穏やかでのんびりした人だったんだな…との印象だ。ただ、あまり心を開かず、割と孤独が好きで、極端に自由で、おまけにヘビーなジャンキーなので、周りはさぞ大変だったんだろうなと思う。でも、多くの人々にとても愛されてたのは感じる。その音楽も人柄も。

この本を読んでると、何かと「Let's Get Lost」というチェットのドキュメンタリー映画の話になるので、久々に観てみた。この人の生き方って、究極に「流れに逆らわない」って事なのかな…と思った。良きにつけ悪しきにつけ。YouTubeで、ペラペラのイタリア語でインタビューに答えるチェットを観た事があるけど、流れにに逆らわずイタリアに辿り着いて、必要に駆られて話せるようになったんだろうな。どうせ、ドラッグ買いに行く為に必要だったんだろうけど(笑)

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