大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 73

2015年08月28日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第五章 疾風 ~山野八十八~ 

 明治二十九年(1896年)三月 下京区。
 尊王攘夷や天誅騒ぎが嘘のように、壬生村は静まり返っていた。そして時代は、目まぐるしく変わり、二本差しが町を闊歩していた頃などなかったかのようであった。
 老齢に差し掛かった男は、武士の時代の終焉と共に、時代の推移を肌で感じていた。なぜ郷里の加賀ではなく、京に舞い戻ったかと言えば、己の人生で一番良い時期を過ごしたこの町を忘れ難かったためであったが、再びの京は、決して男に優しくはなかった。
 戻って直ぐに足を向けたやまと屋も既になく、お栄の消息を探る術は途絶え、ただ、元新選組という不名誉な過去を斯くしてありつけた職は、菊浜小学校での用務員であった。
 小間使いをしながら、夏には汗を流し、冬は鼻を啜り。それだけで月日が老いを男にもたらすのみ。それでも生き残れたことは良かったのだろうか。多くの戦友と共に、散った方が幸せだったのではないか。そんな思いが頭をもたげる時もある。
 糊口を凌いだ用務員の職も間もなく定年となり、明日からの糧への不安を拭い切れずに帰路への足取りも重い。
 ふと、あの頃を懐かしみ壬生寺へと向かった。行く先には白梅が咲き誇っている。
 毎年この季節になると、土方歳三(副長)の刀の鍔を思い出す。そこには梅の花が刻まれてあったからだ。
 あの時、なぜ、土方は自分を逃したのだろうか。
 ひと度五稜郭に入場したものの、新政府軍との最期の戦いを前に、戦線を離脱した。敗戦を予測しての離脱ではない。もはや守るべき幕府がないにも関わらず、あたら若い命を無駄にはしたくなかったのだ。その時、土方は薄く口元を緩めただけであった。
 だが、こうして四十有余年を重ねると、それも言い訳だったように思えてならない。生きたかった。生きてお栄と会いたかったのだ。
 我ながら軟弱なものだと、しゅんと鼻を啜る。
 梅の花は、時代の流れなど知る由もなく、ただただ咲き誇るのみである。
 「山野はんやおへんか」。
 名前を呼ばれて振り向くと、見知らぬ男、いや幼い面影を残した中年の男がいた。
 「やはり、山野はんや」。
 「もしや為三郎さん…」。
 「へえ、為三郎どす」。
 新選組時代の屯所だった八木家の三男であった。あの頃は未だ幼い子どもだったが、今では当主になっていると言う。
 「お久し振りどす。山野はん、こないな所でなんをしたはるのどすか」。
 「いや、つい懐かしくて」。
 そう答えながら八十八は己の塩たれた姿に恥じ入った。黒い薩摩絣も白い小倉袴も高下駄ももはや遠い昔。垢染みた着た切り雀である。
 「お会い出来て良うおした。娘はんが、あんたはんをお探しどす」。
 「娘…娘なぞいませんが」。
 「いてはります。やまと屋のお栄はんが産まはりました娘はんどす」。
 浪士組結成直後から参加し、函館まで転戦した山野八十八は、祇園で芸子していた愛娘と再開し、天寿を全うした。

〈「新選組美男五人衆」完〉





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