振り返り。 | むくみかんづめ ~ネフローゼ闘病にっき!~

むくみかんづめ ~ネフローゼ闘病にっき!~

今日も今日とて生きてます。

2011年6月にネフローゼの診断を受け、再発を繰り返しながら脱ステロイド目指してます!


なんだか一度長い文章を書くと、今日も書こうかな、そんな気持ちになりますね。
どーもこんばんは。

わたしはいま、出張帰りの新幹線の中でこの文章を打っています。
YouTubeを見て、文章が思いつけば綴っていく、そんな感じですね。


さて。
ツイッターにリンクも貼ったことですし、もう一度自分自身を振り返ってみましょうか。



私がネフローゼを発症したのは、大学二回生の夏。
19歳の終わりかけ頃でした。

元々それなりに勉強ができた方ではありますが、それなりゆえのそれなりのレベルの大学に入学し、もともと興味のあった食品の勉強をしていました。
専門科目も増えてきた二回生。
片道3時間近くかかる通学、バイト、サークルと、それなりに忙しく楽しく過ごしていたタイミングです。

そんなタイミングでネフローゼ発症。
ただ。
私の周りの友人たちはなぜか私を見捨てず、理解しようとしてくれました。

友人たちのサポートのおかげで、無事4年間で卒業することはできました。
が、まだ安定していない体調、学びたいことがあるからと進学。
研究内容を変えたため3年在学し、就職しました。

この時すでにネフローゼ発症から丸5年。
再発は3回(うち2回は学部生のとき)でした。


5年も経ってたら、ではありません。
この間に私は、どうすれば再発しやすいか、主治医と綿密な打ち合わせを繰り返しています。
毎月ある診察、安定する体調。
このタイミングでの減薬なら大丈夫。
この程度の無理なら問題ない。
安パイをとって、常にネガティヴになるのではなく、多少の無理を繰り返しました。

再発するたび、なぜ私なんだ、なぜ再発するんだ、病気だから仕方ないと、しばらく捻くれはするものの、周りの友人たちが働いている姿を見れば見るほど、私も早くそちら側に混ざりたいと、そう思うようになりました。

そして、少しずつ。
体調にある程度の意識を向けておけば、健康な人と大差なく、普通に、生活できるようになりました。



普通に、生活できるようになってきた私は、病気を隠して就職。
休みを取らずに行ける病院に転院し、就職までに減薬のタイミングを年2回なら再発しないと確信を持てるよう準備しました。

そして今、三年目を迎えています。


私は今、食品メーカーで、商品開発の仕事をしています。
こと最近に関しては、担当分野でもかなり新規性のある開発業務に取り組んでいて、今日もその商品のテスト製造のため、工場まで出張でした。

プレゼンの目玉商品として使ってもらえて、プレゼンにも参加させてもらえました。
担当分野では、かなり信頼を得てると言っても過言ではないと思っています。

今の仕事は、考えることを必要とするルーチンワークであり、自分でスケジュールを管理することができます。
幸いにも、持ち前の明るさと生まれ持った要領の良さが功を奏し、失敗はしつつも、一人でテスト製造のために出張させてもらえる程度には成長できていると思っています。

その分、責任もありますし、月30時間くらいはコンスタントに残業もしています。
1時間半の通勤もしんどくて、引っ越しました。


ギリギリまで寝て体力は温存し、帰ってきてからもできるだけ早く寝る。
疲れてるなと思えばドタキャンも厭わない。
当たり前ですが、他人との関係より、自分の体調です。

飲むのも食べるのも大好きです。
旅行が趣味で、いろんなところに出かけています。
先月も宮城までサッカーを見に行きましたし、今週末は同期と朝まで飲み会です。



昔見た、
ネフローゼは爆弾で、関わってくれた人みんなを不幸にする
という言葉。
当時はなんとうまく言い表しているんだと思いました。

でも、今なら思います。
爆弾を抱えても、爆発させなければ、いい。
周りを不幸にするかどうかは自分次第、と。


今月末で退職する、初めて職場でできた後輩に言われました。
辞めても友達でいてください、と。

関わった人が不幸になっているのだとしたら、
私の恋人も、仲良くしてる同期たちも、そして慕ってくれる後輩たちも、みんな不幸だと感じているわけで。
きっと、辞めても友達でいてほしいなんて言葉はもらえなかっただろうなって思っています。




と、まで打って、アップロードを忘れていました。
というわけで、楽しみにしていた同期会に行ってきます。

皆様も、楽しい三連休を…!