はるか昔、大学で行政学という講義を受けたことがあります。
その中で、行政組織というものは放っておくとどんどんいらぬ仕事を増やして増殖し、むやみに会議体やワーキンググループを作り、それがためにマンパワーが不足して自滅する傾向にある、と教わった記憶があります。
考えてみると、デジタル庁だの子供家庭庁だの、よくわからない組織が増えています。
これらも新しく職員を増やすのではなく、既存の省庁から人さらいをして組織としての体裁を取り繕っているように見受けられます。
私が勤務する学術行政機関でもむやみに会議やら委員会やらを増やしています。
しかし職員は限られているため、一人でいくつものお役目を仰せつかることになり、内心無駄でくだらない、と思いながら仕事に取り組んでいます。
これ、古くは中曽根改革で著しく悪化し、小泉改革でとどめを刺した感じがします。
阿呆なやつが権力を握るとろくなことをしません。
今は人文情報学が流行りで、これのための組織を①運営委員会、その下に②企画調整会議さらにその下に③部会、ついには④技術検討チームを組織するという具合。
一つの仕事のために4つの組織を作ったのです。
私は正式な委員ではありませんが、担当する仕事とかぶっているため、すべてに出席しています。
それだけでも、多くの時間を割かれます。
その他にも研究推進会議、研究倫理委員会、共同研究委員会、研究報告編集委員会、教務委員会、知的財産委員会、予算施設委員会、webサイトリニューアル委員会、執行部会議、大型実験器具の仕様策定委員会に、それぞれ出ています。
この他、私が関与していない会議だか委員会だかワーキンググループだかが、たくさんあります。
会議の準備と会議出席でほとんどの時間がとられ、勤務時間後、静かになった時間帯に自分の実務を進めるほかありません。
私のごとき下っ端ですらこうなのですから、立場が上の人は毎日会議やら打合せで時が過ぎていくのでしょうね。
そして必要無くなった会議体もそのまま残し、委員だけ決めて会議は何年も開かれない、という馬鹿げた事態まで出来します。
行政学で学んだことは本当だったのだなぁと、30年以上前に受けた講義の中身を反芻したりしています。
民間企業はどうなのでしょうね。
私は民間企業で働いた経験がありませんし、一口に民間企業と言っても大手から中小、零細まで色々あり、業種も多岐にわたりますから、それぞれ理不尽なことはあるのだろうと思います。
私は私で行政という理不尽というか無駄が満載の世界で碌を食んでいます。
そんなことを30年以上も続けていれば、朱に交われば赤くなるの例えどおり何も感じなくなってきます。
じつはそれが一番怖ろしい。
理不尽を理不尽とも思わず、無駄を必要と思い込み、日々の職務に疑問を抱かないどころか、誇りすら持ってしまうという。
私は自分の仕事に誇りを持ったことはありませんし、どちらかと言うと世界に必要ない、あるいはあっても無くてもどうでも良い職種であるような気分が就職してからずうっと続いています。
私は為すべきことはきちんと為しているし、高い評価を得ているという自負もあります。
それなのに、どうしても自分が日々為している仕事が、世のため人のためになっていない、自己満足のための組織でしか無いように感じ続けています。
これはおそらく私の精神を少しづつ蝕み、それがためにやる気の無いおじさんが生まれてしまったのだと思います。
やる気が無いなりに働くというのは結構しんどいことです。
行政学に、行政職員は誇りとやる気を失っていく、という一文を加えたらどうかと思います。