最近、近所のお店が次々と畳んでいます。
しばらく前に撤退したモスバーガー、なかなか次のテナントが入りません。
住まいの向かい側にあったお気に入りのイタリア料理店。
23年前、マンションに入居した時は洋食屋でした。
その後本格的なバーになりましたが数年で撤退。
イタリア料理店は18年頑張って、それなりに繁盛していましたが、コロナの流行や物価高に勝てなかったようで、誠に残念です。
その店が撤退し、建物も壊されて更地になりました。
次は何になるのやら。
マンションの隣にはコナミスポーツクラブがあり、スポーツクラブは2階から6階で、1階には書店とDVDのレンタル店が入っていたのですが、1階の両店舗が出ていくことになりました。
本はインターネットで購入する人が多いし、DVDもインターネットで借りられます。
実店舗は相当体力が無いと厳しいでしょう。
反対側のお隣はパチンコ屋でしたが、数年前に葬儀屋になりました。
徒歩5分ほどの所にあった回転ずし屋はドラッグストアになりました。
お花屋さんはコインランドリーになり、クリーニング屋はリサイクルショップになりました。
町の様子が変わってきています。
私はそれを喜ぶことが出来ません。
町が衰退しているように感じるのです。
盛者必衰、栄枯盛衰。
時の流れとともに、全てが変わっていきます。
何もお店だけではありません。
私たち人間も赤ん坊が成長し、やがては年老いて最後は石の下。
何もかもが変化することに、世の無常を感じずにはいられません。
無常というのは仏教で強調される概念で、私たち日本人は、この国で生まれ育つうちに、知らず知らずのうちに身に付ける物事の本質かと思います。
その本質が、いずれ死に行く全ての生物の業だと思うと、なんだか憂鬱になります。
古来、人間は不老不死の妙薬を探し続けていますが、誰も成功していません。
当たり前です。
それはこの世の真実の逆を求める行為だからです。
また、一定数の人々は精神の不滅や、極楽往生を信じて真実から逃れようとします。
それは精神衛生上は結構なことかと思いますが、これもこの世の真実からは外れる考え方です。
真実から目を背けずに対峙することは苛烈な行いです。
しかしその苛烈から逃れることが出来る者などいるはずもありません。
それならば仕方ありません。
生命が尽きるまで、その日その日を淡々と暮らしていく以外に生きる道は無いものと思います。
辛い。