社会人になって最初の頃は医療業界に居た

医療業界でITフリーランスの人を見たことは無かった

 

しかしIT業界に転職したところ、

世の中はフリーランスだらけということに初めて気づいた

しかも、なんだかよくわからない得体のしれない会社の得体のしれない奴が、

なぜか年収〇千万稼いでたりする

それまでの自分の常識が覆された

 

僕が思うに、医療業界の仕事というのは結構定型的な作業が多い

よって、生物統計というマニアックな分野の統計を用いる統計分析業務等の

著しく参入障壁が高い作業を除けば、

作業はワンパターンで内製化しやすいため、外部リソースを頼る必要はあまりない

しかし、パターン化しやすい作業は付加価値も少ないので、

医者を除けばさほどの収入は見込めない(多分w

 

(話は脱線するが、そもそも医療系のデータ分析とは、データ量を増やすコストがかかるので、なるべく少ないデータで結論を導く必要があるから統計担当者の価値が高い印象。これに対し、よく「ビッグデータ」といわれるが、データの全量を解析できるならば統計学が介入する余地は無いため、多くのデータ量を扱うことができる会社ほど統計担当者の価値は低い印象)

 

それに比べるとIT業界の仕事の多くは、

「新しい技術が次々と出てくるのに新しい技術が出るたびに毎回自社で人材育成する」

とか、

「必要となる技術の範囲も広いのにこれを全てカバーする人材を自社で育成する」

…というのは多分悪手だろう

本質的に業務を内製化することはできないので、

必然的にフリーランスが台頭してくる

 

だし、そもそも業務内容もチームプレーでなんとかするのなら組織力がものをいうが、

ほとんど完全に個人スキルによる個人プレーなので実力差はデカい

よって所属会社の規模と技術的スキルは自分の経験上、ほとんど関係無い

※個人の見解w

 

 

 

 

 

 

 

 

IT部門は普通の部署より飲み会が少ない気がする

最初に入ったブラック企業では、忘年会と歓送迎会しか無かった

ITフリーランスになってから、飲み会はほぼ無い

 

昔から思ってるのは、

どーゆーわけか、「誰にも相手にされない奴」ほど飲み会を開催したがる

 

「誰にも相手にされない奴」にも2種類あって、

僕のように特に人間が好きではない人畜無害な奴と、

積極的に人と絡んでいきたい奴である

 

つまり、飲み会を開催したがるのは高確率で後者だ

※以下、「後者」と呼ぶw

 

そもそも、色んな意味で人気がある人物というのは、

ほっといても普段から誘われまくる

よって、特段飲み会が開催されなくても人間関係で困ることはない

しかし「後者」は、ほっといても誰からも誘われないので、

自分から飲み会を開催するしか人と関わる術が無いのである

 

それ以前に僕はそんなに広範囲に人間関係を広げたい欲は無かったので、

誰かに誘われることが苦手だったりする期間も長く、

けっこう人の誘いを安易に断っていた

最初のブラック企業で、なぜかやけに僕のことを気にいってくれている

ひとまわり上の先輩が居て、良く誘われていたがほとんど断っていた

僕がやめるとき寿司屋で少人数の送別会も開催してくれた...

その人はめちゃトーク力が高く面白い人だったが、

僕は当時は十分にその人の良さを理解する余裕は無かった

今振り返ると、構ってもらえるということ自体はけっこうありがたいことであったが、

当時あまりその価値を理解できていたとは言えないので何か申し訳なかった

 

が、その方々以外の「後者」からの誘いは、大体ウザかった気はするw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「望み通りの業務内容かつフルリモート勤務かつ年収が希望通り」

の3つを得ることばかり考えてきた

これが達成されてから5年くらい経過

 

自分の幸せは他人にどう思われるかではない

自分が幸せと感じる仕事にめぐり逢い適正に評価されれば幸せなのだ

これ以上欲しいものは何もない

フルリモで通勤ラッシュやら面倒な人間関係からも解放され、

毎日ジム行って温泉入って高級スーパーで好きな刺身食って健康的にすごせて十分やん!!

…と思ってたが、今日、気付いた

 

中学の時から思ってた

欲しいのは友達や家族だったはずだ

司法試験に振り回され仕事のことばかり考えていて、見えてなかった。。。忘れてた。。。

ブログ書いて昔を振り返ってようやく思い出した

 

手遅れかもしれないが、考え方を変える

忘れないようにメモw

 

 

 

 

 

あまりにも映画を観る時間が無くて、

音声だけ聞きながらリモートワークしてた頃があった

 

すると、不思議なことに、面白い映画とは音声だけでも面白いのである

特に覚えてるのは「幕が上がる」という演劇をテーマにした映画だった

ずーっと音声で聞いてたら、めっちゃ心に刺さった

そもそも、ももクロを知らずに見ていたが(いまだに良く知らないが)、

結局もう2回、普通に観た

 

「私たちは、舞台の上でならどこまでも行ける」

 

プログラミングでも「絶対無理だろ!」っていうリクエストが来たりするのだが、

やってみると案外できたりする

あとはchatGPTに聞きまくると自分では到底思いつかないソリューションが出てくることも良くある

そういう時に、そのセリフを思い出す

 

 

 

遠い昔にリアルタイムで流行ってた俵万智の有名な短歌

『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 

「今日はいいことあったよ♪記念日だよ♪」

という、まるで春のお花畑のような、

非常にどうでもいい短歌過ぎてとっくに忘れていた...w

 

20年後に僕は電子書籍でこの歌集を買った

この、春のお花畑のような短歌が他にどんなんがあるか、

面白半分で見てみたくなった

 

すると、思ったより中身が重いというか暗いというか、

文学的な言い回しが割と多く、作者の苦悩する姿のようなものが目立つ

綱渡りでいつ壊れるかわからない不透明な未来

あれ、、、思ってたのと違う、、、

 

そのうちに、本の中盤以降くらいか?

例の「この味がいいねと言ったから…」が急に出てきて、何か鳥肌が立った

この流れでそれをぶっこまれても、到底春のお花畑とはほど遠い

普通の用法とは違う

「記念日」というと、幸せな未来へ向かう過程を刻む記録のようなものかと思ってたけど、

破綻する未来への過程を刻む時もこのワード選定なのだなと

 

野球に例えると、豪速球の後の超スローカーブは魔球に見える(?)だかいう話もあるが、

局所的に切り取ったらお花畑のような世界が、

文脈によっては全然別物に変容していくのだ

この落差は狙ったものなのだろうか...

 

その後、年1回くらいはつい読んでしまう

 

ちなみに「ハイツ友の会」というお笑い2人組が好きだが、

「なぜ男は物事をすぐ野球に例えるのか。アホだ」という漫才があるのだが、

全くスポーツが好きでもなんでも無いのに野球に例えていたw

 

 

 

 

 

 

 

 

どこの業界でも同じだだろうが、当然IT業界の各社も仕事を奪い合っている

 

発注者の客が居て、その先には元請けがいて、

そこから様々な商流にて様々な会社が居て仕事を奪い合っている

といっても、利害関係においては競合にあるというだけで、

1つのプロジェクトを成功させるという同じ目的のもと、

表面上は協力関係にあるだろう

 

まあでも少なくとも自分は、表面上平和主義を装いながらも、

技術力で圧倒することで競合を全部食いつぶし、

仕事を全部こちらが搔っ攫う積りではやってたけど(二重人格w

 

2015/10/6に沖縄料理屋でプロジェクトのチームメンバーと飯を食いながら、

このミッションは結局戦争なのだと考えていた

 

でもそれっていうのはサラリーマン的な動き方であって、

フリーランスは違う

別にチームメンバーがいるわけではないのだから勢力を拡大する必要もなく、

よって爪痕を残す必要もなければ競合に勝つ必要もない

やる理由とは常に自分都合である

例えば単に楽しいだとか、

やりがいがあるだとか、

変わった内容だから興味を引かれるだとか、

スキルがつきそうな案件だとか、

そして何らかの理由で自分が満足するなり自分が飽きたらやめる

※なお、フリーランスが能力不足で契約を切られる場合はよっぽどの場合である

「変数」とは何かを知らないとかそのレベル

 

そしてただブラックジャックのように金がもらえれば、

もう誰とやろうが何をやろうが何でもよい

(技術力さえあればどうせ誰とでもどことでもやってける。ただし飽きるまでw

高2の時にクラスで「ノルウェイの森」が流行っていた

スクールカースト最下層の僕は、遠くからその光景を眺めていた

 

20歳くらいのときにこの小説を読んで、結構くだらねえ小説だと思った

「ファッション感覚で村上春樹を読んで文学ごっこをしたいだけ」などと思っていたが、

スクールカースト最下層の僻みもあったのかもしれないw

 

しかし30歳くらいの時にこの小説を読んで、

しばらく動くことができないくらい心が動かされた

小説を読んでここまで心を動かされたことはなかった

20歳くらいのときによく芥川賞受賞作を読みまくってほとんど消化不良だったが、

今読み直したら面白くなるやつもあるのかも。。

村上龍の「限りなく透明に近いブルー」も、結構年取ってから好きになった

 

そもそも記憶に残ってる作品を振り替えると、

ご都合主義のハッピーエンドよりは、

自分の過去の体験の中にある「取り返しのつかない喪失感」のようなものと重なった時に

心が動かされていることが多い気はする

20歳くらいのときにはそもそも何も得ていなかった気がする

だから喪失感という体験は無く、何も感じなかったのだろう

 

あとはまあ「あったかもしれない未来」は何故か美化されやすい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ITフリーランスは基本的にプログラミングスキルが求められる

が、資料作成を求められることも同じくらいある

正直僕はかなり得意だ

なるべく他人と会話したくないので、

何が何でも紙だけで説明を完結させたいという強い思いがそうさせたのかもしれないw

 

ITコンサルが作る要件定義資料はあれやこれやと、

作業範囲を確定する為の契約書的な位置づけだから、

漏れが無いように書き尽くす必要があるが、

開発レベルだと、漏れなくというよりはイメージの共有の方が大事な気がする

※結局、プログラミングスキルが無い奴の資料は妄想に基づく具体性の乏しい非現実的な使えない資料になる

 

だが普通プログラマーはプログラミングが好きなわけであり、

資料作成が好きなプログラマーは多分少ない

だし、プログラミングだけやってりゃいい案件などほぼない

※資料レベルで仕様を合意しなければ普通は開発できないはずだから

 

が、珍しく、9割がたプログラミングだけやってりゃいい案件をやってる

楽しくてテンションが上がる

ITフリーランスになってから一番楽しい案件

但し、完遂はできないはずの案件w

3.11の日、表参道の割と高層階で働いていた

上の階だったので、ビルが倒れるのではないかと思うくらい揺れた

 

そのとき、後輩社員と2人で働いていた

定時前に帰宅指示を出す権限は持ってなかったので、

ご丁寧に17:30まで働いた

 

その頃は確かスマホが普及しだした頃で、携帯から動画など見れず

youtubeもまだできたばかりあたりで、PCから動画は見れなかった気がする

なので、地震によりどんな影響が出たのか、イマイチ把握できていなかった

が、帰り道で渋谷駅にあるテレビを見て、この世の光景とは思えない映像が流れていた

初めて事の重大さに気づいた

 

電車も動いていない

タクシーも捕まらない

道路も歩いて帰る人達で行列

3時間かけて家に帰った

後輩社員は家が遠かったので、そのビルに泊まらざるをえなかったらしい

帰宅の判断が遅れたのがアホだった

もっと帰宅の判断が早ければタクシーなり何なり帰る手段はあり得たのかもしれない

あれは後輩社員に申し訳ないなと思った

 

 

 

 

 

 

ITフリーランスというのは普通は準委任契約である

ひじょうに簡単に言うと、責任が軽いw

そもそもサラリーマンとは通常雇用契約だが、

雇用契約も責任は軽い

対して、請負契約とは仕事の完成義務があるので責任は重い

 

責任といっても道義的責任だとか政治的責任だとか、

色んな責任があるわけだが、

ここでいう責任とは主に損害賠償の責任、つまり、金の話である

 

これを踏まえると、サラリーマンの時とは動き方が違う

良くも悪くも、

目の前の仕事は何か出世に結びつくわけでもなく、

遅れたりバグを出したから損害賠償責任を負うわけでもなく、

何というか、他人事なのであるw

 

そもそも身分が安定しているからこそ全力で仕事に取り組める的な、

身分の安定している裁判官等の手厚い身分保障のロジックにも通じるものがあるが、

こういう気楽な立場の方が純粋に仕事を楽しめている気はする

 

ただ確かに、信用を失うと先々の仕事も失うという意味では責任を負ってる

ともいえるのかもだが、現状の買い手市場だとあまり深刻でもない

需要どうのこうのというより、年々物忘れが激しくなっており、

純粋にあと何年頭が働くのか、という点の方が大事かもしれない...