小説部屋の仮説

創設小説を並べたブログだったもの。
今は怠惰に明け暮れる若者の脳みそプレパラートです。

<十字を背負う者達> 第7話 異教徒の街

2011年09月08日 | 小説

第7話  異教徒の街

シルヴェストルはズィリハでの晩、夢をみた。遠くの夜の世界に揺らぐ白銀のマント
をはおる男の夢だった。暗い闇の中でもその揺らぎは異様とも思えるほどに輝き、
はっきりと目に焼き付いて離れなかった。何処かで見覚えのあるマントでもあった。
後ろから差し込む光が脳裏に焼きついた恒久の記憶を呼び覚ます。懐かしい匂い、
懐かしい背中。何処かで見た紋章。

彼はそのマントを翻す者に手を伸ばそうとする、理由は無かった。すると、男は
ゆっくりと振り向きはじめる。だが、振り向いた瞬間、カビ臭い土煙りが男への行く手
を阻んだ。みるみると男の首までを嵐のように包み込んでしまい、まるで頭部だけが
虚空の夜空に浮かんでいたのだ。その首はシルヴェストルの方へ、ゆっくりと振り向く。

彼は息をのんで、男の顔を見た。見たと思ったその時には夢から目覚め、目に映るのは
真っ白な白革と褐色の支え木で丈夫に組まれた天井。見回すとやはりここは
ズィリハに敷かれたただのテント。シルヴェストルが簡単な木の台に敷かれた柔らかい
布地の上で体を起こすと、一瞬頭にくらぁとした揺れがくる。周りを見渡せば馬が6頭
ほど入れば十分な小屋ほどのスペースに、従士の男達が地べたに直接敷かれた布地の
上に10人ほど雑魚寝していた。ちょうどそのテントの隅の方に一段高くなるような
場所が設けられ、そこに彼は寝ていたのだ。

朝日の香りを吸おうと、深呼吸をする。「うわっ」といいつつ彼は顔をしかめた。
初夏で緑がいくら青々しく茂ろうとも、ここは半日の行軍で疲れ切った男達が
無造作にねっ転がっていた。自分も含め、しかめらざるをえない朝日の香りだった
のだ。
しかたなしに彼はひいこらひいこらと、朝と夜との境界の色を帯びて薄暗いテントの
中で寝ている者を起こさないように、ゆっくりと外に出ていった。

外に出ると朝日が昇り始めていたようで、紫や薄い赤、藍や澄んだ空の色、全てが
混ざり混ざって世界の一日を告げる空の色をしていた。美しくとも儚いその色は、
爽やかな朝の風に誘われだんだんと、刻一刻とやってくる太陽を待ちながら、拭い
きれない夜の色を払っていっていく。その聖地からは見れない久しく触れる朝の
世界にシルヴェストルは、感慨深い気持ちと同時に葡萄酒が喉を潤していくような、
腹の底にたまる充実した思いを抱いた。

ふと、横っ腹にぐいぐいと割りこむかのように目覚める直前の夢の中で見た事が
浮かんだ。けれどもどうしてか、振り向いた男の顔が思い出せなかった。
もしかしたら、最初から顔なんて無かったのかもしれない。靄の掛ったような夢
は考え込むにしたがってどんどんと感覚を無くしていく。さながら流れ落ちる
清流の滝のように、流れては消え流れては消え、だが流れてもたしかに存在は
していた。水の網目だけが見えなくなっていったのだ。彼は夢で何を見たかすら
目が冴えれば冴えるほど、思い出せなくなっていった。

言いようもないもやもやとした感情のまま、彼は気分転換にテントの周りを
一周してみる。夜では気付く無かったがこのズィリハの地に、約13のテントが
連なっていたのだ。なかなかの数に驚きながら、その中で一番乗りの自分に彼
は内心満面の笑みであった。

裸足の裏で踏みこむたびに、さらさらと朝露が染み込んだ低い草がなでていく。
テントを出るとすぐに燻ったたき火の横で、こくりこくりと昨晩から交代で
継がれた一人の見張りの従士が目についた。彼はちょっと疲れたような表情の
まま、肩を上下にさせている。きっと今日の早朝から朝までの見張りが彼の
ルーチンなのだろう。

ふとシルヴェストルは不意に芳しい朝の香りの中に、香ばしい動物的な匂いが
漂っている事に気付く。よくよく見ると燻ったたき火の黒炭の中に、小さな
白い歪な棒、それがそこら中に散らばっていたのだ。大きさ的に言うと
荒野に住む野ネズミの骨程度だろうか。

それを見て一瞬で彼は悟る。
(……はぁん、さては節制の戒律を……)
修道士にとって日によって肉類アルコール類など採ってはいけない節制の戒律が
あり、それは今日が最後なのだ。けれどもどうやら彼は昨晩の穀物だけでは、
どうも腹のタシにはならなかったらしい。…だが、それもしかたあるまい、と
シルヴェストルは従士を起こさないようにゆっくりと火かきの棒で、白い骨を
黒々とした灰の中にそぉっと押しこんでやる。

だが従士は隣でごそごそとした物音にハッとして起き、シルヴェストルの方を
振り返って「お、おはようございますシルヴェストル卿」と驚いた様子で言う。
言いながら、彼はシルヴェストルが持つ火かき棒の先の白い骨片を見て、また
さらにさらにハッとした表情になって口があわあわと震えた。顔も若干青ざめている
ように見える。

そんな彼を見ながら愉快そうにくすくすと笑い、指の近くに人差し指で「しーっ」
と無言で言った。彼は青ざめた表情から一転し。
「え?え、えへ、えへへ、も、申し訳ありません」と苦々しい笑みを浮かべながら
謝った。今度は従士はシルヴェストルに感謝の笑みを浮かべながら、こっそりと背中の
方から小さい瓶を取り出したのだ。よおくシルヴェストルが見ると、それは薄汚れた
ガラスの小瓶で中には橙色に澄んだ液体がちゃぷちゃぷと入っている。
どうやら東方由来の酒のようである。

「……はぁ、君は……」飽きれてものが言えない。そんな様子の彼をしり目に、
従士は、無言でその瓶を彼の手に握らせた。ずっしりとした重さが感じられた。
シルヴェストルが目をまんまるにさせて若干困惑をしていると、従士は「これでご勘弁を」
と言いながら、間抜けな笑みを浮かべ人差し指を唇に近付けたのであった。



皆が起き出し、朝のミサとお祈りをすませ、皆は各々に戦いのための準備を
しはじめていた。従士達は馬達に馬草を与えながら各々の装備品を整える。
騎士達も自らの重い鎖帷子を着る作業を手伝わせながら着実に始めていた。

テントの傍でシルヴェストルは赤く厚手のショーズと上着を体を捩じらせ
ながら着て、順番通りに鎖帷子を身に纏い、上からパイアン家の家紋が
織り込まれ少し汚れた白のクルズィート(軍衣)を被る。被る瞬間、むあっと
嫌な匂いが鼻をついたが、不思議とそれが心地よかった。

ギャストンの領地の従士達が何人か、お手伝いなさいましょう、とやってきたが
やんわりと彼は断って一人でいつも通りに軽々と身につけていった。老齢の従士
はそれを見て何処か感動したような顔だけを見せて、いそいそと自分の事をしに
何処かへ行ってしまった。

ものの数十分後もたたぬうちには騎士、従士達は全員、家家ごとにギャストン領の
テント前に集合する。皆が各々の諸侯の紋章が織り込まれた軍衣やサーコートを
身に纏い、士気が高まる中、あんなにも入念に着こまれた鎖帷子にもかかわらず
ギャストン・ド・ドレクールは静かに静かに、水面の上を滑る落ち葉のように前に
進み出でてきた。

シルヴェストルは集りの中、馬の手綱を持ちながら神妙な面持ちで待っていた。
ここが聖戦の場所。思えばここまでの道のりは全ての人生だったかもしれない。
まずは神に遣え、騎士に仕え、騎士道のためには女性にまで仕えた。当時から
他の人間と接することは苦手だったのだ。

皆が注目する。静寂した時が訪れた。遠くの鐘の音のごとく耳を突くのは、心臓の
鼓動の様に規則的にはためく旗手が持つイェルサレムの国旗。馬が時々漏らす
荒い鼻息、地面を踏みならす蹄の音。古戦場ズィリハの地を撫でていく風のざわめき。
低い草原の夏草は揺れ、がさがさと戦士達の足元で煽っていく。戦士達の世界を
包んでいく息吹は着実に、狭まりつつあったのだ。

軋みながら回って行く風車小屋の歯車。激しく無情な世界の風をうけ、彼らは歯車
となって苦みを纏った濁り水を引いていく。ぎりぎり、ぎぎぎ、ぎりぎり、ぎぎぎ。
音が迫る。世界は縮む。戦いへの歯車は既にもう止められぬ所まで噛みこんでいった。
例え間違った方向へ噛みこんでいっても、戦士はそれを引き戻そうとはしない。
なぜなら引きもどそうとしてもそれ以上に大きな風でまた歯車は回り始めるからだ。

ギャストンの声が風にのって響いていく。彼の白銀のマントが風に泳いだ。
「テンプル騎士団の諸君、おはよう。
 ぐっすり英気を養った者も、残念ながら奮いで眠れなかった者もいるだろう。
 どんなことがあっても既に時は満ち切り、小さな震えすら敏感に感じ取る。その震えは
 君達の震えだ。この戦いの器におさめられた聖戦という名の清水は、今や輝きを放ち陽が
 昇ろうとも、蝋燭とは違う、恒久の光を生みつづけているのだ。

 だが、分かっているだろうが、君達の震えで、その光を揺らすことは決して許すことは
 できない。揺らす者がいるならば、私は容赦なく切り捨てる事をここに宣言しておこう。

 我々は我々の神から風をもらい、我々は我々の風車の歯車を常に回し続ける。その歯車は
 決して空回る事は無い、そのことも忘れないでほしい。歯車の伝える先は聖イェルサレム
 に住み、聖イェルサレムに巡礼し、聖イェルサレムをあがめ、そして聖イェルサレムに
 住まう神々にあるということを。全ては我々の世界へ通じる者へ還って行くのだ。

 異教徒を狩れ、彼らは我々の神に背く敵だ!
 異教徒を狩れ、彼らは我々の神とは違う邪神を侵攻する者だ!
 異教徒を狩れ、彼らは我々の神の聖なる土地をゴミムシの如く這いずりまわる!
 異教徒を狩れ、彼らは我々の神と神を信ずる者達全ての敵、聖なる理を侵犯し暴れる首を挿げ替えろ!

 主よ、この時を我らに与えくださって感謝をしております、アーメン。
 今こそ出陣の時はきた、神に仕えしテンプル達よ、我に続け、戦いへ赴こうぞ!」 
ギャストンの言葉ののち、地が震えるほどの雄たけびが上がった。昨日のソロモンの神殿で
は比べ物にならないほどの大きな咆哮、地が開けてるにも関わらず、千里の先まで届いて
いきそうな咆哮。雄たけびは10にわたって長くに及んだ。そして彼らは行進をし始めた。


バサリバサリ、力に押され踊る旗手が構える十字軍国家イェルサレムの旗。真ん中に大きな
黄色い十字と4隅に小さな十字。十字は風が強く吹く度に大きく歪み、刃を見せて皮肉に
笑った。旗手の持つ旗は皆より頭一つ上に出た所にはためく。その笑みに彼らは気付いている
かどうかは分からない。動きが気になって馬がたまに見上げ、足を止める程度の事であった。

ズィリハに設けられた自陣を護る1つの諸侯だけを残し、テンプル騎士団達は行進をし始めた。
皆言葉も少なく、ただ一心不乱に古戦場を踏みしめ行軍を続ける。弓矢を持った従士が真ん中
を歩き、それを囲むかのように騎士をも含む馬に乗った騎兵達が行き、さらにその外側を
大きな槍を構えた従士、その槍を持つ従士を護るかのように盾を持つ従士が逞しい肉体と
強靭な精神を誇る。
隊は綺麗なほどひし形に並んで、進んでいた。これはテンプル騎士団が少数で勝つために
生みだされたれっきとした陣形である。騎士と修道士という二つの顔をもちながら、さらに
闘い続けるというテンプル騎士団の騎士達は他の諸侯たちとは違うプライドを持っていた。
それは正真正銘の神に仕える戦士のプライドであった。

その先頭にいるのはギャストンの右腕を努める旗を持った老齢の従士。旗は誇りをもった
戦士達を聖戦へ扇動する。さらには後方から突然鳴り響くのは小太鼓の的確なリズム、
このリズムを合図にしたかのように行軍する彼らの間に流れるのはグレゴリオの聖歌。
神の啓示を受け、彼らは神を讃える歌を戦場で歌う。その応唱聖歌を幾度か復唱した
ところだろうか。日はまだ昼の刻と朝の刻のちょうど間に輝いていた。

突然、先頭の旗手が叫ぶ。
「みよ!異教徒達だ!」
さらに燃え盛る戦士達の戦いへの飽きぬ希望。その希望を神のための戦いと信じて、その
戦いが世界を自分達を幸せにすると信じて。彼らの目の前には一つの朽ち果てた街が存在
した。木片と枯れた草木の街、ここには昔に異教徒の街があったが十字軍遠征と同時に
滅ぼされた。今では羊飼いがちょっとした休憩の時に使うか、あとは渡り鳥の宿屋になる
程度である。

その朽ち果てた街の奥に、大きな影があった。そう、異教徒達の新しくできた街が異教徒
を狩ろうとするテンプル騎士団の目に映ってしまったのだ。ああ、荒んだ風は嘆いていた。
既に荒れた大地も嘆く。無情なる戦いが今行われようとしていたのだ。旗手の持つ旗が
またもや日の輝きを受け、風を受け、地を感じ、血を吸おうと、血の付いた刃を笑わせた。


行進する軍団の中でウォーチャントの背中に乗るシルヴェストルはその荒涼な世界を
肌を持って、初めて感じた。心臓が高鳴る。
「ここが、父上がいた……戦場」干し肉のような乾いた風が鼻孔をついていく。
だが、その匂いは鼻の中に入った瞬間、乾いたものではなく味気を帯びていった。
干し肉から焼きたての石の上で踊る生肉へ、生肉からへ濃厚な山羊のミルク、山羊の
ミルクから芳しい葡萄酒、葡萄酒から東方のキツイ匂いの酒。香りは幾度となく感覚
を旅芸人のように渡り歩き、一つの終着点へ辿りつく。
口の中を閉めたのは薄い酸味、まるで刃物を舐めたかのような塩気、舌が引っ込む
ような感覚。厨房にいけば嫌というほど嗅げる香りというのに、何故この場で
こんなにも息が上がるほど興奮する香りとなったのだろうか。

体中の血肉が全て鍋の中で沸き立つような、恐ろしいほどにめちゃくちゃに自分の
感情が地平を走り去って行くのを感じた。手足を振り上げ、咆哮をあげ、髪を振り乱し、
盾を捨て、鎧を捨て、剣を捨て、ただ裸の騎士となってしまいたい。雄たけびを上げ
ながら砂漠の大地を怒り狂った巨人の様な感情が、今にも走り出しそうに体を震わせた。

駆ける駿馬、さらにそれすらも追い越す火車と化した彼の思い。締め付ける鎖帷子が
肉に食い込んでいくようなほどに、目が飛び出してしまうかのように、世界は急に
一点しか写さなくなったのだ。目の前に見えるのはただ一つ、異教徒。その文字だけが
眼前の戦場をリズムを取りながら華麗な足取りでステップを踏みつづけた。



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