5月10日、

Line電話が鳴り、

本人ではなく娘さんから、

 

「昨日、母が亡くなりました」

 

と。

 

 

 

えっはてなマーク

 

頭の中はパニックもやもや

 

 

 

電話を切ってからも

しばらく放心状態でした。

 

 

 

 

 

私が西宮に住んでいた時、

子供がハイハイから幼稚園に入るまで、

 

 

毎日のようにお弁当を作って、

公園へ行き、

一緒に子供を遊ばせていました。

 

 

 

それでも、

話が尽きる事ないくらい

気の合った私の親友です。

 

 

 

彼女がいてくれたおかげで、

子育てが楽しく、

知らない土地で、

寂しい思いをしないで済みました。

 

 

 

阪神大震災の時は、

家族でお世話になりました。

 

 

 

マレーシア移住が決まった時も、

前日に、わざわざ

仕事先から会いに来てくれて、

駅で私を見るなり、

人目も憚らず泣いてくれました。

 

 

 

ところが、それが、

彼女に会った

最期になってしまいましたぐすん

 

 

 

その後、

私はマレーシアで難病になり

東京に帰って来ましたし、

彼女も耳の癌を患い、

 

 

「会いたいね」

 

 

と言いながらも、

お互い不調続きで

東京⇄兵庫間がとても遠く感じられ、

 

 

 

結局、

会う事はできませんでしたショボーン

 

 

 

 

 

今年のお正月、

お年賀LINEを送ったのに

返事が来なくて、

 

 

 

その後も気になって

Lineをしたのですが連絡がつかず…

 

 

 

去年は、耳の方も

「定期検診を受けたら大丈夫だった」

と、

嬉しそうにしてたから、

 

 

 

まさかこんな事になるとは…

 

 

 

電話をくれた娘さんは、

息子ととても仲良くしてくれたので、

私も身内のように感じています。

 

 

 

電話の向こうで鼻をすすりながらも

一生懸命話してくれて、

大人過ぎて

心配になるほどでした。

 

 

 

でも、 

 

「お母さんに

やり残した事はないんです。

悲しいけど、

母が苦しみから解放されて

ホッとしています。」

 

 

と言ってた言葉が、

とても、印象的でした。

 

 

 

お母さん想いの娘さんと、

「優しい」と自慢していたご主人に

看取られて

幸せだったのかも…

 

 

 

と、思いたいですが、

彼女はまだ50代…

 

 

 

かわいい孫にも恵まれ、

「長生きしたい!!

 

 

って、ずっと言ってたのに…

 

 

 

耳の癌が見つかった時も、

初期だから手術すれば大丈夫

って主治医に言われてたのに、

すごく怖がっていました。

 

 

 

今回は膵臓癌だったそうです。

怖かっただろうなぁ〜。

 

 

私に連絡しようか

すごく悩んでいたそうですが、

 

 

絶対に元気になって…

と、言って、

頑張っていたそうです。

 

 

 

そんな事、悩まないで

辛い気持ち、不安な気持ち、

何でも話して欲しかった。

 

 

遠く離れているけど、

何かできたはず…

 

 

親友が苦しんでいる時に

 何もできなかった事が

私は一番辛いです。

 

 

 

 もう、話もできないし、

 

 

LINEしても、

返事が来る事はありません。

 

 

 

今までのLINEを読み返してみると、

もうこの世にいないなんて、

やっぱり信じられない。

 

 

 

迷惑でも

ずーずーしくても、

もっとLINEすれば良かった。

 

 

元気はてなマークって聞かなければ良かった。

 

 

 

 

もし、

 

 

あなたに大切な人がいたら、

家族でも友達でも、

 

 

忙しいかな?

とか、

 

迷惑かな?

とか、

 

いつか、連絡しよう。

 

 

などと思わず、

 

是非、

連絡してみて下さい。

 

 

 

この世からいなくなったら、

もう一緒に、

話す事も笑う事もできません。

 

 

 

私はいつも

あとで後悔しないために…

と思って、

その時その時を考えて

生きてきたつもりでしたが、

 

 

 

今回は、

取り返しのつかない事を

してしまいました。

 

 

 

これからは、

大切な人にはもっと連絡しよう!!

 

 

 

そして、

私が向こうに行った時、

彼女を必ず見つけて、

積もる話をしたいと思います。