あられの日記

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大坊市へ行ってきた

2022年11月30日 07時15分06秒 | 香川県三豊市観音寺市
四国のJR予讃線にはかつて「さぬきだいぼう」という駅があった。独身時代、毎日JRで高松まで通っていた私です。結婚して神奈川在住になってから帰省すると「さぬきだいぼう」駅は「みの」駅に名前が変わっていた。すんごく不思議だったのですが、みの駅から徒歩1分の場所にある寺で4日間に渡り「大坊市」が3年ぶりに開催されると三豊観光交流局のWEBページのインスタグラムで紹介されてまして。ならば23日の祝日に行く気満々だったのですが、あいにく23日は1日雨降り。結局翌日の24日に大坊市へ出かけたので紹介しますね。
駐車場は数カ所あったのですが、混むと嫌だからと一番遠くの駐車場へ。
と?側の川が秋模様で素敵。トップ画像です。
駐車場から一旦坂、堤を上り川を眺めてから参道を見下ろす。
あれ?あそこに出店があるから多分あそこで合ってると思うのだけど、人がまばらだねえ?
と、取りあえず行ってみようか?
参道の両側に塔頭が数か寺。しかも何気に立派そうな木だなあ?
見物してみた。
道路側に山門があった。
あ、縁起発見:本門寺縁起
当山は日蓮正宗高永山(本山)本門寺と称し、宗祖は日蓮大聖人で、駿河国の大日蓮華山富士大石寺が総本山である。
正中2年(1325)法嫡第二祖白蓮阿闍梨日興上人の本弟子の内上蓮坊(百貫坊)日仙上人によって開削された。開基大壇那は当讃岐高瀬郷の地頭秋山孫次郎源の泰忠(本源院殿日高)である。
秋山氏は甲斐源氏の一族であり、弘安年申に高瀬郷の領主として大聖人の仏法を弘道した。泰忠は祖父秋山光季(阿願入道)より当領地を相続し、元亨元年甲斐の国に於いて日興上人より大御本尊を拝受し、甲斐の同族小笠原氏出身の日仙承認を招請して来讃の準備を整えた。
元亨三年泰忠は高瀬郷に入り強盛なる法華経信仰の総領として地域を治め、安国土実現の為法華折伏破権門理を実践したのである。
日仙上人は泰忠の絶大な外護を得て弟子の養成を計り、翌正中元年西国三十三カ国最初の法華経弘通の頭領寺院為る可く本門寺の工を起こした翌正中二年に完成して以来、末寺三箇寺、塔頭八箇坊を擁する屈指の大法城を誇る名刹本山本門寺万代の礎がここに築かれたのである。
説明板発見:町指定文化財 本門寺開山堂
創建:元禄10年(1697)
本尊:十界互具一念三千の御本尊 日仙上人像
開山堂は高永山本門寺を開基した日仙承認をまつった御堂である。日仙上人は宗祖日蓮聖人直弟子日興上人門下の高弟で、師の命により来讃し、正中2年(1325)本門寺を建立し日蓮聖人弘通の基を築いた。
開山堂建立時の棟札が現存し「奉造立元祖上人御影堂元禄丁丑暦上棟六月十五日也」と記されている。本門寺山門から真正面に大楠に覆われた御堂は荘厳優美でよく均整が取れ、自然と宗教心がそそがれる。正に十七世紀の仏堂を代表する優れた建物である。
案内図によりますと。
こちらが客殿な模様。で、あれが大楠か。
(続く)

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