「ねぇ、ロジャー・寺~」
椎菜は、この呼び方がひどく気に入り、彼に話しかける度にこう呼んでいた。
ロジャーはその度に訂正していたが、そのうち面倒になり、ついには何も言わなくなった。
だが、決して認めたわけではない。
寺だろうが神社だろうが、自分にとっては大事な名前なのだ。
出来れば、ちゃんと覚えて欲しいと思っていた。
「シーナ、頼むから、その中途ハンパな呼び方やめてくれないデスカ?
どうせなら、ロジャー・テイラーと呼んでくれ。
てか、last nameいらないでしょ。ロジャーでいいんでしょ!」
「だって、面白いんだもん」
からかうのが・・・と椎菜は心の中で付け加えた。
飛行機が離陸してから、小1時間ほど経過していた。
窓の外は青い空と白い雲ばかり。
他の乗客達は雑誌を読んだり、目の前のモニターで映画鑑賞などを楽しんでいたが、椎菜はこのヘンな外人を相手にめちゃくちゃな英語で会話のレッスンに励んでいた。
「がんばって話せるようにならなくちゃ。アメリカくんだりまで行くのに、会話も出来ないんじゃお話にならないもんね」
本来なら、渡米する前に習っておいた方がよかったのだが、今回のアメリカ行は急に決めたことなのでその暇は全くなかった。
しかし、世の中には旅先で全て日本語で通すという強者もいるらしいので、大した問題ではないのかもしれない。
実際、日本に旅行に来た外国人が、日本語を話そうとしているかというと、そうでもないのだ。
いざとなったら、自分も日本語で通せばよいと椎菜は本気で考えていた。
しかし、外語短大卒のプライドもあるので、少しくらいは話せるようになりたい。
それにしても、椎菜の英語はひどかった。
「キミの英語は何を言っているのか、全くわかりません。僕の生徒の方がずっと優秀ダヨ。中学生だけど」
「ふーん、中学生に負けてるのか。でも、そのうち、しゃべれるようになるんじゃない?全然ノープログラム」
「それを言うなら、No problem。全く、先が思いやられるヨ」
「大丈夫だってば!何とかなるわよ」
「ホント、ノー天気でイイネ」
「失礼ね。楽天的と言って!」
楽天的というよりは、無鉄砲である。
その計画性のなさは、すぐに露呈することとなった。
「ところでシーナは、どこまで行くのデスか?」
「あたしは、憧れの地、チャールストンをのんびり観光しようと思って」
「Charleston?」
チャールストンとは、サウス・カロライナ州の南部に位置する南北戦争にゆかりのある歴史的な町である。
豪邸群が建ち並んだ町並みは美しく、サムター要塞や奴隷市場博物館など観光名所が数多く存在し、多くの観光客が世界中からやってくる。
しかし、その町の名を聞いてロジャーが怪訝な顔をした。
その表情に気分を害した椎菜は、腕組みをし、口をへの字に曲げた。
「やな感じねぇ。何か問題でも?」
「いや、モンダイというほどのモノでもないですが、随分遠回りデスね。どこかに寄り道して行くのデスか?」
「遠回り?どういう意味?」
「だって、この飛行機は、スパータンバーグ空港に行くんデスけど」
「えっ、何言ってるの?これは、チャールストン空港に行くんでしょ?」
「No, 残念ながらチャールストンには行かない」
「うそっ!だって、ちゃんとここに・・・」
椎菜は、バッグの中を掻き回してチケットを探した。
確かに、ここに入れておいた筈なのに、こういう時に限ってすぐには見つからないものだ。
気持ちが焦っていると、どうしてまともに探し物が出来ないのだろう。
そう思いつつも、やっと目的の物を見つけ、手に取り改めて見直した時、初めてその驚愕の事実に気が付いた。
そして、椎菜は、みるみると蒼褪めていった。