断食リトリートでは、「断食ハイ」と名づけたいような喜び溢れる高揚感を味わった。
それは、いくらかトーンダウンしたとはいえ今も続いていて、日々穏やかに満ち足りた気持ちで過ごせている。(もちろん、ずっと続くとは思っていない。変化しないものはないから。)





リトリート中、横井先生のお話で「少思・少食」の大切さを学んだ。
少思とは、思考を少なくするということ。
「今に生きる」ということだ。
これまでの12年間、「本当の幸せとは何か」を探求しつつ、瞑想などによって心がけてきたおかげか、ずいぶんと生きやすく、幸せを感じる時間が増えた。
これからも、死ぬまで精進していきたいことのひとつだ。
一方、少食は、健康のためであって、こんなにもダイレクトに幸福感に繋がっているとは思っていなかった。
いや、知っていたけど確信が持てなかっただけかもしれない。





今から30年ほど前、甲田療法を取り入れた桶谷式母乳育児で2年間の玄米菜食の後に行った本断食3日間で、それまで味わったことのない境地を味わった。
全ての悩みが消えて、脳みその中を涼やかな風が通りぬけるようだった。
その後、育児がひと段落したころ、再び、あの境地を味わいたいと座禅断食はじめ、色々な断食合宿に参加した。
しかし、身体が軽くなりスッキリはするけれど、あの時のような精神的な恍惚感はなかった。
今ならわかる。
普段の食事が食べすぎていると、到達できないのだ、と。

ほぼ1年前、右目が見えなくなって始めた少食法。(今は8割がた回復しています)
そのおかげで、思いがけないご褒美をいただけた。
本当の幸せ、本当の快がここにあった。

まだまだ解消できていないサンカーラ、カルマ、業想念故に、引き戻されることはあるだろうけど、何度でも諦めずに立ち上がりたい。
そして、「少思・少食」によって、天命を全うできるように、他者に幸せのおすそ分けがきるくらいに、自分を満たしていきたい。

生きとし生けるものが幸せでありますように