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東日本大震災 石巻市南浜町 父母を亡くして

東日本大震災 石巻市南浜町 父母を亡くして

私の実家は 石巻市南浜町
東北大震災で街がひとつ消えました

震災後 自衛隊も警官も立ち入ることができなく、
陸前高田や気仙沼などはいち早く報道されましたが、
まるごと消えてしまった街は、
メディアも報じず、
何も情報がないなか、
14日に徒歩で息子と現地入りし、母の遺体を見つけました。

行方不明だった父は、
遺体安置所に通い、
身元不明者の写真一覧の中から見つけました。

震災当時の様子を、たくさんの写真を交えて綴っています。
お時間のある方はさかのぼってご覧下さい。

kazemaru311@yahoo.co.jp

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2021年12月22日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
2021年があと1週間ほどで終わる

勢いがあった2019年

それを断ち切られた2020年
でも、どこか安心していられたところもあった

そうだよね

やっぱりね

私のせいじゃないものね

みんなおんなじだものね





2021年再始動

、、、、、と言っても、前半は全然。

震災から10年目だから忙しいでしょう?

と、よく言われたが、

特にそんな予定もなく。

初めて大阪に飛行機での出張が入っていたのが、
直前にキャンセルになった事だけが、とっても悔しくて。


オリンピックのボランテイアや、
パラリンピックの聖火ランナーにも参加したが、


こそこそしなければいけなくて。


参加した意味はあるのかな?


たくさんの大切な人やニャンコ達が亡くなった年でもあった。


ぎんちゃん、
かずちゃん、
不妊治療でお世話になった産科の先生、
こゆきちゃん、


そして、ソルト。


プライドが高く、
抱っこをさせてくれなくて、
いつも綺麗に自分で毛づくろいして、
手足が長く、目が大きく、
ツヤツヤふっくらととても綺麗な気高い猫。

六月二日に息を引き取ったが、

まだ認められないでいる。

最後に通院していた動物病院の前を通ると、
涙が出てしまう。

思い出すととても苦しい。

大切な人を失うということはこういうことなのだよなあ、と思う。




そう考えると、

あの震災は、涙さえも流れなかったほどの苦しみというか、唖然とした呆然としたというか、
ブラックホールに落ちて落ち続けるというか、

やっぱり異常だったんだよな。


先日、震災で働き盛りの息子さんを亡くした語り部の大先輩に、
お話を聞く機会をいただいた。

彼はほぼ毎日徒歩で自転車で、
石巻の日和山へ行き、
門脇南浜地区の移り変わりを見てきた。
そこで出会った人に、自分の思いを打ち明けたのが始まりだが、
話したら自分の心(胸のあたりを指して「ここが」とおっしゃった)が楽になった。
だから、続けてこれたという。

また、奥様は、息子さんが亡くなったことで、
一度も泣いた箏がないとおっしゃっていた。

30代で亡くなった息子さんに、
「もうやるべきことをやり遂げたのだろう。
自分はまだやり残した事があるからまだ生きているのだろう。」
とおっしゃっていた。

いつもニコニコと、ご主人の後について歩いている奥様。

どうしたらその様に達観できるのだろう?





最近石巻がとても遠く感じる




100年後、あなたも私もこの世にはいない

おそらくね





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Last updated  2021年12月23日 23時23分23秒
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