愛瑠の愛と憎しみの鼓動

愛瑠の愛と憎しみの鼓動

日々想った事、感じた事を包み隠さず毒吐いて行ける場として利用して行きます。※愛と憎しみの鼓動をつづっていくわけではありません。





※このブログをより解っていただく為※
※Thing done to understand this now!!※

初めにプロフィールをお読みください
ペタ・コメント・相互読者は随時100%お返ししております♪

是非読んで頂きたい愛の鼓動

愛瑠の愛と憎しみの鼓動愛瑠の愛と憎しみの鼓動

Amebaでブログを始めよう!
お久しぶりです!
最近は新しい趣味に没頭しすぎてブログなんて書く暇のなかった愛瑠です。

今年の4月末ぐらいから遂に・・・

ミニ四駆始めました(*´ω`*)

もちろん第二次ブームの世代ですので復帰組となります。

復帰と言っても実に20年振り

私が『かっ飛べ!マグナァァム!!』と小さな模型屋のコースで小学生ながら漫画を真似て叫んでいた頃に産まれた赤ちゃん達はもう成人を迎えているなんて信じられません。

そして、子供の頃にあった改造を今の時代に応用なんてしても全く実戦に適応されないと言う事はこの3ヶ月で既に痛感させられました。

ミニ四駆

昔はこの様にウィング部分にローラーを取り付け、第二次ブームの火付け役漫画『レッツ&ゴー』に出てくる土屋博士の言葉を鵜呑みにし、ありもしないダウンフォースを意識して
スポンジタイヤやボディーの肉抜きでの軽量を測り、常に最速という称号を目指していた記憶があります。

しかし今は20年の時を経て様々なパーツ、思いもよらない奇想天外な発送で安定した走りを実現させる。

これが、基礎となってきているんですね。

そんなミニ四駆

今、第三次ブームの波が2012年~2015年に掛けて押し寄せて来ています。
これは偶々か必然か、タミヤの策略なのかは確信出来ませんが、いずれにしてもミニ四駆の発売元であるタミヤさんは先を見る仕事をしているんだなぁと感じました。

と言うのも、我々第二次ブーム時でも行われていた"ジャパンカップ"と言うミニ四駆の全国大会

この大会、当時子供ながら出たい出たいと言う願望が凄くあったんですよね。

しかし、当時この大会に出るには応募者何万人の中からの抽選で参加出来るか否かが決まるシステムとなっていて、更に参加条件は小学生以下のミニ四駆を愛する少年達のみ

大会に出場しただけで小学校のヒーローでした。


抽選に落ちた子供たちは大会の会場で先行販売されるミニ四駆を目的に遥々遠方まで友達と行ったものです。

最後に先行販売で買いに行ったのが『ハリケーンソニック』だった事は今でも覚えています。


ミニ四駆



そんな子供達は中学校に進学するに連れ夢見たジャパンカップの出場を諦め

新しく出たハイパーヨーヨーやポケットモンスターに魅了され
ミニ四駆離れが始まって行くんですよね。

やがてブームも廃れていき、子供たちの夢見たジャパンカップも1999年(第12回)で廃止

そして時は経ち2012年

3年前にこのジャパンカップが"オープンクラス"と言うクラスを引っ提げて帰って来たのです。

言うなればあの頃に夢見たジャパンカップ出場のチャンスを成長したアラサー達にも掴めるようにというプレゼントを引っ提げて

そりゃぁ、第三次ブーム始まりますよ。

と言うか第一次、第二次ブームがそのままスライドして今復活を遂げた感じですよね。


男心はいつでも童心と言う心理を利用し誘発的に狙った商法にしか思えません。


すっかり、私も復帰組としてその策略に落とし込まれました。


子供の頃、最後まで愛用していたネオトライダガーをファーストマシンとして復活です。
ミニ四駆



しかし、前述にもある通り昔の改造方法とはすっかり変わっているご様子

マスダンパーなんて子供の頃は無かったし
ダウンフォースなんて土屋博士のデマ情報だったという事も大人になり気付き
ボディーの肉抜きなんて確かに軽量化には繋がるがドレスアップの一つ程度にしかならない事

色んな知識を纏い、本気で30歳になって経済力を得た大人がミニ四駆を始めるとどうなるか
そう言った興味もあり始めてみましたが

正直、どれだけ金を積んでも今の子供達と同じ土俵にしか立てない事がこの3ヶ月で解りました。

結局このミニ四駆で最速を目指すには【知識】と【知恵】が必要なのである。

既につい最近、先月の6月28日には夢に見たジャパンカップの出場も果たし
一次予選敗退と言う無様な結果で幕を閉じましたが、その悔しさを胸に次なる目標は

ジャパンカップ1次予選突破を掲げ次回9月に行われる岡山大会へ遠征してきます。

流浪ミニ四レーサーとして、ちょっと頑張って目標を叶えていければと




30代に差し掛かろうとするオッサンが童心に返り物思いに耽るのであった。