prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「夢二」

2024年04月26日 | 映画
沢田研二がいかにも若い。
そういえば役者として出ている長谷川和彦と「太陽を盗んだ男」で主演者と監督として組んでいたのでした。
こういうとなんだが、鈴木清順も役者として色々出ているので、長谷川ももちっと役者として仕事してたらどうだったろう。
俳優と監督の垣根が下がったのは世界的な現象なのだし。




「スープとイデオロギー」

2024年04月25日 | 映画
参鶏湯を作るところで、この料理は二、三人で食べるには多過ぎるかなと思った。四、五人で分けるものだろう。
人数が減ったということは朝鮮総連の熱心な活動家だった父親がいなくなったのと周りで活動していた人が少なくなってきたということだろう。

4.2済州島事件というのは馴染みがなかったが、監督も良くは知らなかったのがうかがわれる。今では済州島は観光地になっているのだが。
あまりに凄惨な事件なのでオムニも話しづらかったのだろう。次第に認知症が進行している中、ぎりぎりの機会になった。

文在寅大統領(当時)が事件を謝罪するのだが、この人完全に引退したみたいね。いま本屋やってるらしい。




「貴公子」

2024年04月24日 | 映画
冒頭、ピントをわざと外してボカした画面作り(フィンチャー「セブン」そっくりのピストルの銃口にピントが合っていて顔はボケているカットあり)は冴えていて、つかみはOK。

ただこの時登場する「プロ」の正体が話が進んでも一向にはっきりせず、ターミネーターかと思うような不死身ぶりを見せるもので、金属の骨組みが見えるのではないかと半ば本気で思った。

タイで賭けボクシングをやっている貧しい母子家庭の青年のもとに急に弁護士が来て、実は韓国に父親がいて病気で動けないので連れてきてくれと依頼を受けたと言う。

青年が韓国に着いてからいきなり二つの勢力の間で翻弄され、これにどちらにも属さない「用心棒」の三船敏郎的立ち位置の「プロ」が割り込んでくる。

正体を明かすのに気をもたせ過ぎで、個々のアクションシーンは迫力あるのだがどうも落ち着かない。

青年をなぜ連れてきたかというネタは納得いくのだが。





「名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)」

2024年04月23日 | 映画
悪口でなく五稜郭の観光映画で、見間違いかもしれないが、五稜郭のまわりの森で起きた騒動に混じって一瞬タヌキが映らなかったか?

あまりにおなじみのキャラクターが増えすぎて、整理はされているけれど、コナンの比重が軽くなった感あり。





「プリシラ」

2024年04月22日 | 映画
エルヴィスが指輪をプリシラにはめるところでカール・オルフのgassenhauser(独語で男の意味)がかかる。
「地獄の逃避行」「トゥルーロマンス」ほかでも使われている曲で色々と連想が広がる。

「ツァラトゥストラはかく語りき」を除いてエルヴィスの曲はかからないのだなと思ったら、許可が出なかったのだと。

撮影のタッチがソフィア・コッポラの前作「ビガイルド」に似ているなと思ったら、果たせるかな同じフィリップ・ル・スールの担当。







「あらくれ(1957)」

2024年04月21日 | 映画
高峰秀子が上原謙(成瀬作品の常として、まぁ頼りにならない)と一緒に「金色夜叉」を見ていると有名な寛一がお宮を蹴り倒す場面で画面が妙な具合に斜めに傾いて切れる。かなり実験的な技法に思えるので驚いた。
あとで考えてみると、高峰が上原を蹴り倒したいのはこっちの方だと思っているのが投影されたのかと思えた。考えすぎだろうが。

今、このスタッフ、キャストで生きているのほとんど仲代達矢だけではないか。このときの役どころは高峰に雇われている若手の仕立て屋。
加東大介(後半ちょび髭を生やしたものでヒゲダルマと言われる)を見限ってこの若いのに乗り換えるところでエンド。
しかし、エンドマークが出てすぱっと終わるというのは気持ちいい。

水木洋子の脚色は一見たんたんと場面を運んでいるようで巧みに省略を効かせて余白を活かしている。

加東大介との取っ組み合いを見ていて高峰秀子の身長体重はどのくらいかなと思って調べてみたら、おおむね身長158センチ、体重45キロくらい。上背は今の20代女性と大して変わらないが、体重は少なめ。これで太めの加東大介と取っ組み合いをするのだが負けてません。

お一二のかけ声の薬売りがちらっと出てきたり、リヤカーや人力車を引いたり個人で外を回る商売人が印象的に描かれるのは成瀬の得意とするところ。




「パスト ライブス 再会」

2024年04月20日 | 映画
オープニング、東洋人の男女と白人の男の三人が一緒にいて、それを誰かが客観的に観察しているような呟きがかぶさり、いったいこの三人はどういう組み合わせなのだろうという興味から始まるもので、あとで答え合わせされるだろうとも予想できるし、実際そうなる。
収まるところに収まる、という感じは全体にも言える。

それから24年前に遡り、東洋人の男女が小さいときソウルで過ごした幼馴染で、ふたりとも成績優秀だが女の子がいつも一番なのがたまに二番になったと泣いている。女の子の方が裕福らしく、海外に移住することが決まっていることなどが綴られる。移住する飛行機で名前をノラと改名する。
ヘソンが韓国で兵役を務めて(このあたり生活環境のコントラストが目立つ)、ノラがニューヨークに移住し、それから12年が経って(10年ではないのは干支と関係あるのか)思い出したようにFacebookメセンジャーのビデオ通話機能で会話を交わすが、かなりの割合の人がFacebookを使えるようになった時に長いこと会っていない友だちに連絡とったのではないかな。そんなことも思い出した。
このあたりのあるあると思わせる気持ちをくすぐるのが上手い。

ふたりともノートPCがMacなのね。

夫アーサー役の俳優、どこかで見た覚えがあるなと思ったら、「ファースト・カウ」の主演ジョン・マガロ。

グレタ・リーとユ・テオが韓国語で話して、それに英語しかわからないジョン・マガロが立ち会っているところの居心地悪さとそれを抑えている感じがなんともいえず印象的






「リンダはチキンがたべたい!」

2024年04月19日 | 映画
リンダがあたしが一番好きな色は黄色と言うのだが、そのリンダに塗られているのがご覧の通り黄色。自己肯定感強し。
1キャラクターにひとつの色と決められていて、その色が原色なのにケバケバしくない。

輪郭の中に彩色されているとは限らず、引いたサイズの人物だと丸くおおざっぱに塗られた中にキャラがいたりする。

ストライキで物流が止まったものでチキンが手に入らなくなったという設定がフランスらしい。
指輪や手錠の鍵など小道具の使い方が律儀。





「ブルックリンでオペラを」

2024年04月18日 | 映画
色の浅黒いエヴァン・エリソンが白人のアン・ハサウェイとピーター・ディンクレイジ の息子というのには?となった。
エリソンとカップルになるハーロー・ジェーンはトーマス・ジェーンとパトリシア・アークウェットの娘。その他係累に多くの芸能人がいる。

ハーロー・ジェーンの父親ブライアン・ダーシー・ジェームズがカウボーイ気取りのマッチョの毒親で、世界的にこの手の毒親は問題になっているみたい。





「山河あり」

2024年04月17日 | 映画
1962年、つまり60年以上前の製作。
「地平線」「愛と哀しみの旅路」「波の盆」はおろか山崎豊子「二つの祖国」原作の大河ドラマ「山河燃ゆ」より前(日系人アメリカ市民同盟がNHK協議して改題したというが、この映画からつけたのではないか)
戦前にハワイに移住した日系一世とその子供たちの二世がまだ現役の時代ということになるだろう。

高峰秀子と田村高廣の息子がミッキー・カーチスだとはわからなかった。どうもバタ臭いマスクだと思ったら。
アメリカ側の差別意識や排日運動について描き込まれていないのは日系人社会内部に限られた話だからとはいえ、不足感はある。

高峰秀子とミッキー・カーチスが日本の田舎に帰郷したら日米が開戦して帰れなくなり、二世のカーチスが「アメリカ人」だと逮捕され収容所に入れられるという角度から日系人を扱ったのは珍しい。アメリカでも日系人を強制収容したはずだが、そのあたりは曖昧。

シネマスコープの横長画面で横移動撮影が多用されていて、ハワイロケの農地の広大さを活かす一方、出征していく石濱朗を小林桂樹と桑野みゆきが追う大移動など、この映画の企画担当の木下恵介の戦時中の「陸軍」のクライマックスを思わせる。

ハワイが舞台とあって後半は自ずと真珠湾攻撃になるが、逆に具体的な爆発などの描写は省略してあわただしく行き来する自動車などで替えている。

日系二世部隊が日本軍と戦ったと思わせるきらいがある。上層部が対日戦に投入するのは警戒してヨーロッパ戦線に投入したはず。




「毒娘」

2024年04月16日 | 映画
毒親を逆さにして毒娘という感じのタイトルだが、特に父親がひどい。
再婚相手とはまだ子供がなく、チクチクと子供作りを要求してくるあたりも自分の連れ娘が可愛いからまた欲しいというわけでもなく妻に言うことを聞かせたいからなのが透けて見える。
平然とDVをふるうかと思うところりと謝るあたりも、人間性にすでに問題があるのがうかがわれる。

よくわからないのは出だしで空き家に入り込んだカップルが謎の若い女に襲われた後、場面が変わるとなんでもないように人が住んでいるものだから過去に戻ったのか時間の順序通りなのか、いずれにせよ変。

若い女のキャラクターが二人出てきて、これが見た目がよく似ているのです。
キャラクターデザインを「ミスミソウ」で内藤瑛亮監督と組んだマンガ家の押見修造がやっているのだが、似せるにしても違いをはっきり描いてからにしてはどうか。




「インフィニティ・プール」

2024年04月15日 | 映画
アレクサンダー・スカルスガルドとクレオパトラ・コールマンの夫婦がリゾート地の島にやってきてミア・ゴスとトーマス・クレッチマンの夫婦と知り合い、浮かれて禁止されている地域に遊び半分で出かけ、夜スカルスガルドが運転する車で人をはねてしまう。
スカルスガルドは青くなるが、ゴスが「X」「パールPearl」のイメージそのままに構うことはないから逃げろというものだからそのままホテルに逃げ戻ったら果たせるかな警察が来て連行され裁判抜きで殺人罪で死刑を宣告される。

この後が奇妙なのだが警察はスカルスガルドのクローンを作ってはねられた農夫の遺族(子供です)に復讐させると言い出して、実行する。クローンの製造費はスカルスガルド夫妻もち(妻の父親は財産家)。
子供がスカルスガルドのボディにぶすぶすナイフを突き立てるあたり、まことにどぎつい。なおこれは成人指定です。

この処刑シーンで、子供の後ろの振り向いたら見える場所に本物のスカルスガルドがいて、振り返って驚く芝居をつけるためにこういう位置関係にしたのかと思ったが、そういうわけでもない。

クローンなんて持ち出したところからして相当に荒唐無稽で、基本似たようなことの繰り返しになるという展開はあとで考えると読める。後半はどこから現実でどこから非現実なのかわからない展開とどぎつい描写にもかかわらず、繰り返されるうちに飽きてくる。

カナダとハンガリーとクロアチアの合作で、エンドタイトルの人名に東欧らしくKovácsとか Csörgö といった具合に母音の上につく発音区別符号 (「´」ならアキュームアクセント、「¨ 」ならウムラウト )がつく文字列が目につく。
舞台は架空の島だが、撮影は東欧の建物を利用したと思しい。
エンドタイトルで人名がずらりと縦に繰り返し並べられているのはクローンのイメージというわけだろう。バックの色が徐々に変わっていくのが効果的。







「リプリー」(Netflix版)

2024年04月14日 | 映画
白黒画面なのでリプリーシリーズでも「太陽がいっぱい」みたいに地中海とヨットを明るく燦々と輝く太陽のもとに描いているわけではない。
代わりにたびたび画面を占めるのは立ちふさがるような階段の上下差や切り立った崖沿いの道路で、イタリアといえば美術だが、美術館の展示も視線を遮るものとして機能していると思しい。

淀川長治が「太陽がいっぱい」について同性愛的モチーフがあることを公開当時すでに指摘していたが、ここでは金持ち青年が自分からぼくは同性愛ではないと(口では)否定する。しかし、リプリーの方ではそう告白されたとウソ?をつくし、リプリー役のアンドリュー・スコット自身は自分はゲイだと公言している。
余談だが、公開間近のスコット主演作「異人たち」のスコットの役柄も監督も同性愛者。

そこで原作を(やっと!)読んでみたらかなりはっきり同性愛的ニュアンスがあるのがわかる。パトリシア・ハイスミスが同性愛者というのは今では周知の事実。
原作ではリプリーは女のキャラクターであるマージに手紙で「ホモ以下」と罵られていたりする。
なお、マージはこのミニシリーズでも原作でもかなり気が強くマリー・ラフォレみたいにアラン・ドロンに転んだりはしない。ダコタ・ファニングですからね。

「太陽がいっぱい」の撮影を担当したアンリ・ドカエが「日本での七夜」撮影で来日した時のキネマ旬報の白井佳夫によるインタビューで日本の映画評論家(淀川さんのことね)による同性愛的モチーフの指摘を受けて、ドカエは「あるかもしれませんね。いや、大いにありうるでしょうね」と答えている。脚本の
ポール・ジェゴフも監督のルネ・クレマンも結婚しているけれど同性愛的体質はあるとのこと。

ハイスミスの原作(と今回のミニシリーズ化)と「太陽がいっぱい」との差異はかなり多くて、たとえば犯行が行われるのは小さなボートでヨットではない。「太陽」といえば金持ちらしくヨットの印象で(あのラスト!)同時に金持ちと貧乏人とのコントラストにシフトした分、セクシュアリティの比重は当時の日本では軽くなったか。

あと二番目に殺されるのが今回は女になっていた。「太陽」では撲殺するのに変な布袋像みたいなのを使ってたが、今回は原作通りガラスの灰皿。
最初の殺しでナイフでぐさっとやるのを性的な裏目読みしたくなる(なおナイフと撲殺の違いも淀川さんは指摘しています)

自分の正体を消し去って他人になりすますというモチーフは、宮部みゆき「火車」などを経てかなり現代的に思える。



「銀座カンカン娘」

2024年04月13日 | 映画
なぜかメインタイトルもエンドタイトルも出なかったが、今回国立映画アーカイブで特集された高峰秀子のほか、灰田勝彦、古今亭志ん生、浦辺粂子、笠置シヅ子、岸井明といった豪華キャスト、監督は島耕二、脚本は山本嘉次郎と中田晴康 、撮影は三村明。
1949年8月16日、新東宝で封切り。

それにしてもタイトルが出ないのでは、志ん生をもじって新笑にした意味がないではないか。 ラスト暗くなった画に声だけ流れる。
高峰秀子と灰田勝彦の共演は戦争をはさんで1940年の「秀子の応援団長 」から。

ロケのなんでもないようなカットがひろびろとしているところに時代が出ている。
上映時間が69分と短いせいか割とミュージカル・ナンバーがはしょり気味。

先日の朝ドラ「ブギウギ」で取り上げられたナンバーが生(というのもおかしいが)で見られるのが、生まれていないけれど懐かしい。






「セールス・ガールの考現学」

2024年04月12日 | 映画
モンゴル映画、といっても紙幣にチンギス・ハーンの肖像が入っているのと、使われている文字がロシア式アルファベット=キリル文字なのがそれらしいくらいで、女子大生の生活自体は怪しげなアダルトショップで働くなど十分日本でもありそうでそれほど意外性はないのに逆に驚く。
ただアダルトショップで働くからといって自分の性を売りものにしているわけではなく本質的なところでちゃんと真摯に向き合っている。