昨日の続きです。


4月13日(日)

朝は、ホテルのすごく美味しい和洋バイキングでした。

夫の上司に、

「タレも辛子も、このどこからでも開けられます。よく混ぜます」

と納豆の食べ方を見せていたら、着たばかりの白いシャツに納豆をこぼしました。

「日本の子供が一番よくやるやつです」

と説明しました。

嘘つけ。


8時半から90分、上級者のレッスンです。

「今日はリクエストにお応えして、

言う・話す・語るの違い
聞く・聴く・訊くの違い、

そしてなぜ、

「私の荷物は成田で盗まれました」 が ちょっとダメで、

「私は荷物を成田で盗まれました」の方が自然か、を説明します。
いわゆる「被害の受け身」ですね」


レッスンが終わって、半田運河を見に行きました。
ミツカンミュージアムは楽勝かと思ったら、
予約が何日も先までいっぱいで、見ることができませんでした。
空きがあれば入れてもらえるということだったので、訊いてみましたが、
一人しか入れないと言うことだったので、諦めて、運河沿いにたくさん歩きました。




日本酒資料館にも入りました。
この資料館の中埜酒造、國盛で有名ですが、実は、世界のミツカンとは親戚だそうです。
ミツカンの創始者は中埜又左衛門さん。
他は酒造利他の醸造一族だったそうですが、
酒などは特に、酢造りに用いる酢酸が一粒?でも入ったら、全部酢になってしまうので、
又左衛門さんは酢作りを、親戚一同に大反対されたそうです。

でも彼は反対にもめげず、素晴らしいお酢
(当時の早寿司に用いられた米酢ではなく、粕酢)の醸造に成功し、
海路で江戸に大量に売りに出ました。

熟鮓(なれずし=魚などを米や塩で乳酸発酵させた保存食)に対して、
早寿司と呼ぶ、今の形態のお寿司が江戸で流行っていましたが、
又左衛門の美味しい粕酢のおかげで、お寿司が大ブームになったのだそうです。
みなさん、ミツカン本社に足を向けては寝られませんよ。
今回は残念でしたが、ミツカンミュージアムには数度行っていますので、
語らせたらしつこく、長い私です。
すいません。

次の目的地は、ミーハー炸裂ですが、「名古屋市市政資料館」です。
ここはかつて本当の裁判所であり、
NHK連続ドラマ「寅に翼」に出てくる裁判所はここで撮影されているそうです。
これと、鶴舞公園と、今日は空いていない名古屋市役所に行くと、
完璧なロケ地巡礼になるようです。

名古屋市政資料館は本当に美しい建物で、当時の裁判所や監獄の様子もよくわかります。
月曜日と第三木曜日、そのほか年末年始以外は一般に公開されており、
貸室もあり、また、有名な喫茶店もあります。
これで明日から「寅と翼」を見るのがまた一層楽しくなるでしょう。
ステンググラスの下の大階段では、ウェディングフォトの撮影をされていました。
私も次に結婚するとき、ここでやります。



今日、4月15日放映の「寅に翼」より。




では、以下、ちょっとたくさんありますが、
昨日撮ってきた名古屋市政資料館の内外の写真をご覧ください。









名古屋は見どころがいっぱいありますが、特にレトロな建物がたくさんあり、
建築探偵の皆さんにはお勧めです。

さてまた名鉄に乗って、再び鶴舞線の植田駅で降り、
夫は一人でサンドイッチを食べに「エスニークス」、
私は地元の友達と約束があって、「ダウニー」へ。
(地元のみなさんはご一緒に・・「あそこ美味しいよね〜」)


友達と、
「8ヶ月に一度会えているんだから、同窓会より偉いよね?」
「しかも私たち、同窓じゃないもんね?」
と、口が疲れるほどのおしゃべりで、2時間はあっという間でした。
私の次の行き先も植田と聞いた友達が、気軽にお店まで車で送ってくれました。
名古屋はみなさん運転するし、本当に頼まなくてもすぐ乗せてくれます。
感謝です。

さてこのお店、「親父の味・一(はじめ)」は、引っ越してから18ヶ月ぶりです。
1500円で一杯好きな飲み物と、お刺身その他5品がつきます。
親父さんとお店のお姉さんと乾杯して、時間いっぱいまでゆっくり飲み、食べました。

残念ですが、私はそろそろ帰る時間となりました。

名駅で、名鉄に乗って出張先へ戻っていく夫と別れ、
JRの新幹線ホームに滑り込んできた新幹線に乗り込みます。
みなさんお弁当を食べていますが、私はお腹いっぱいです。
新横浜から新幹線に乗るので、本当に名古屋は近い。
1時間20分ですね。
考えたら、名古屋に行ってから、岐阜や京都、大阪へ行くのも近いですし、
そう考えると、またすぐに行きたくなります。
転勤で名古屋を離れることになった直近3年間、コロナがあって外出を控えていました。
そのため、あとの楽しみにとっておいた多くの場所に行くことができなかったので、
これからどんどん名古屋に行きたいです。

昨日夫に言いました。

名古屋は私には観光地でもあるけど、生活の場だったでしょ。
こういう場所はなんと呼べばいいのかね。

「ふるさとなんじゃない?」

あ、そうですね。

実家が都内で新鮮味のない私にとって、12年近くも暮らし、
中学生だった娘たちが大学まで行って、
それぞれまた別の街に一人で巣立っていったところ、名古屋。
私たちにとって、大きな意味のある場所になっていました。


ジブリパーク
トヨタ・テクノ・ミュージアム
トヨタ博物館
名古屋城
名古屋市役所
名古屋市生資料館
豊田市美術館
円頓寺商店街・四間道
ミツカンミュージアムと半田運河

お勧めです。

今回お会いできなかったみなさん、いつかまた行きますので、
そのときは飲みに行きたいです。
おつきあいください。







私は最近、最寄駅の改札で帰ってくる夫を待っている忠犬ハチ子ですが、
今回は特別に、夫の出張先の名古屋まで行って来ました。

現在夫は、少し長めの出張中です。
羽根を伸ばしてドラマを見まくっていたのですが、3日ほど泊まりに来ていた次女が帰った日、しばらくぽかんとしていたあとで、急に思いついてハチ子も名古屋出張を決めました。
もちろん自腹です。

昔、JRのCMで
「そうだ、京都行こう」
というのがあったと思うのですが、私も思いつきなので、
「そうだ、名古屋行こう」
です。


4月12日(土)

朝から出たい気もしましたが、こちらからのドタキャンも申し訳ないので、8時から子供生徒のレッスンをしました。

「はいはい集中! まさかスマホ見てないよね?」
「え、いや、見ていません」
「んんんん・・・本当かな?」

次は、9時10分から大人の生徒と1時間。
江戸千家の歴史の記事を一つ読みました。
茶人たちは読めない名前の連続で、ええと川上不白・・ええと益田鈍翁・・・。
これで「どんのう」と読めっていうのは無茶でしょう。

想像でも読めない名前がたくさんあり、
「すみませんが、調べておくので、宿題にしてください」。
自分で自分に宿題を出しました。


家を出る前にバタバタしました。

たった2日ですが、誰もいない間にコバエが出ると嫌なので、台所に生ゴミや、うっかり出しっぱなしのバナナなどがないかチェックし、小さなキャリーケースに着替えだけを詰めてようやく出発しました。


思いつきなので、新横浜に着きそうになってから、EXーICカードで乗れそうな新幹線を予約します。この頃全く新幹線にのありませんでしたので、使い方も忘れていました。今では、AppleWatchに入っているPasmoをどうにかすると、AppleWatchをかざして切符が出てくるそうですが、何かの理由でその切り替えができず、今回はEXカードで新幹線に乗ります。


新横浜から出発するときの恒例として、崎陽軒のしうまい弁当を買って食べながら行きます。
私はこれが駅弁の中で一番美味しいと思います。
一切れ入っている干し杏が、今日もやっぱり不思議です。
経木の蓋についたご飯粒も食べます。





2時に名古屋駅で夫と会い、JR中央線と鶴舞線で川名駅へ。

私の一番長く続けてくれた名古屋の生徒が車で迎えに来てくれていて、
お宅にお邪魔しました。
車の窓から見る名古屋はまだまだソメイヨシノの満開のものも多く、
山桜や鬱金桜、枝垂れ桜もたくさん見ることができました。
鶴間公園もまだ綺麗だろうか。

お茶とお菓子でご夫婦でもてなしてくれました。
夕方まで積もる話をして、また駅まで送ってもらってお別れをしました。

この日、4月12日は、コロナ禍でもがんばって保持していた名古屋教室のアパートを、
2022年にとうとう引き払った、その2周年です。
今日お会いした生徒さんは、この教室での対面のレッスンを11年間受けてくれました。
経済とか世界情勢などは、幼稚園児にわかるぐらいに噛み砕いて、教えてもらいました。
著書もある大学の先生です。
この人は、出張以外にまずキャンセルがなく、
こんなふうに雑談から何から、たくさん話しました。
そんな頃が戻って来たようで、とても楽しかったです。


6時、夫の上司と鶴舞線植田駅で会い、日本一おいしい焼き鳥を出してくれる「カズ」へ。
小さなお店で、開店と同時にいっぱいになるので、これは予約をして行きました。
なんでも食べる上司も絶賛の美味しい焼き鳥の数々。
この美味しさのため、また数ヶ月後には名古屋に来なかんというわけです。
次に来るのは郡上踊りの時だと思います。
最後までいた客になり、ご主人と一緒の写真を撮り、名残惜しくお店を後にしました。


がら空きの名鉄で、知多半田駅近くの今夜のお宿、カンデオ・ホテルズに行きます。
夫がずっと泊まっている部屋に、私が一泊だけ追加で泊めてもらいます。
ここのトップフロアの温泉だけは入らないわけにいきません。
薄暗い浴室の真四角な浅い浴槽に、ゆらゆらと天井のランプを映すお湯。
ことのほかお湯が熱く、だいたい2分でゆでだこになりました。

続きます。






日本語教師の時間配分という話題で、今日も続きです。

時間がたくさんあるのは、火曜日と水曜日です。
昼前に終わる日は、バスや電車に乗って出かけますが、家にいることのほうが多いです。

そういうときに、集中してテストやドリルを作り、言葉カードの整理をします。
これはあっという間に時間が経ちますし、やっておくと後々楽になるので、割とまじめにやります。

レッスンとその準備が終わると、その日やりたいことからしていって、掃除などは後回しにしてしまうため、
夫の帰宅時に家の中が綺麗だと言うことは、たまにしかありません。

時間のある日は、読書したり、生ごみコンポストの天地返しをしたり、
塩麹を作ったり、糠床をかき混ぜたりすることができます。


それに対して忙しいのは木曜日で、もともと5つレッスンがあるところへ、
その週にポツポツ申し込まれる振替レッスンが入ってくるので、つめつめのスケジュールになります。

以前は、日曜日の午後から「明日から仕事」と思うと憂鬱になりましたが、
最近は水曜日の夜から「明日は木曜日か」と思い始めます。


ある木曜日。

6時半に起きてリーマン親父弁当を作り、自分も朝食。
スクワットをし、新聞を読み、時間になると 姿勢を良くするクッションと飲み物を持って仕事部屋に行き、教材やタブレットのセッティングをします。

8:30〜9:00。小さな頃から教えている子供くん生徒です。
私より背の低かった頃は、飽きさせないようにということでいろいろ教材を作りました。
今は彼の興味の範囲が広がり、毎日の生活であった出来事を、ほぼ日本語だけで話してくれます。
私の一番若い生徒です。

この後の10分間の休み時間で、飲み物を補給します。

9:10〜10:10は、夫婦で習ってくれているカップルのご主人の方です。
上級者の奥様に追いつこうというので、熱心に取り組んでくれています。
「龍が如く」のファンで、英語字幕のないものを奥様と一緒にやっていて、面白い質問も多いです。

「先生、舎弟ってなんですか?」

ーーえ、舎弟・・ファミリーの中で、自分の後輩ですね。子分とは違います。
舎弟から「兄貴〜」と呼びかけますが、兄貴が「舎弟〜」と言うことはありません。

また10分の休憩です。時間を過ぎて終わることがほとんどで、ボトルに水を足すぐらいしかできません。

10:15〜11:15は、10年以上教えている上級者です。
清水義範の短編集「永遠のジャック&ベティ」を読み進み、今は「ナサニエルとフローレッタ」。
この本自体、出版が古いので、当時どんな世相だったかも感じられて、読んでいてとても面白いです。

この後、45分空くので、早めの昼ごはんを食べます。
お弁当のおかずの横流しと、玄米ご飯にお味噌汁のワンパターンです。
この長い休みがあって、疲れてきたのが回復できます。

12:00〜13:00は、日本で昔であって教えていて、アメリカに帰国してからも続けてくれている生徒です。
来年また 日本赴任だそうなので、ロールプレイをたくさん作って練習しています。

「すみません、これは幡ヶ谷で停まりますか」
「いいえ、停まりません。次の普通に乗ってください」

実践的な会話を多く学んでもらっています。

15:00開始の人は、日本にJETプログラムで来ている若者です。
毎日生徒たちとの会話があり、めきめき上手になっています。

木曜日の生徒は以上の五人ですが、最後の生徒の前後に振替レッスンが入ります。

私にとっては朝7時または8時から、遅くても午後6時には終わりますが、
アメリカに住んでいる生徒たちは、学校や仕事の後で疲れています。
私がドキュメントに入力しているあいだ、こっそりあくびをしているのが視野の隅に入ります。

眠いのに頑張っているんだなぁと、いつも感心しています。


昨日の土曜日は本当に暑くなって驚きました。
それでも、桜の咲いているのは、近所ではまだちらほらという感じです。

前回の続きで、空き時間の過ごし方についてです。


土曜日と日曜日は、昼ぐらいまでレッスンをします。
夫は土日両方、合気道に行くまえに私の部屋にコーヒーの差し入れをして、
黙ってすー、といなくなります。

レッスンが終わると、LINEで到着時刻を夫に知らせながら、
合気道道場の方へ向かってウォーキングします。
片道45分ぐらいで、目的地は、ウルトラマン商店街と呼ばれるところです。
私が先に着く日は、駅の構内のドトールで夫を待ち、
そうでないときは、夫が好きなバーガーショップでお昼を食べながら私を待ちます。
毎週毎週、変わり映えがしません。

土日のそんな、中途半端な時間に都心に出て行くこともなく、
食料の買い物をし、そのまま図書館とか駅ビルに寄って帰ることが多いです。
土日は、ウォーキングの歩数の稼ぎどきでもあります。

こんなですので、土日にしっかり休んだ、遊んだ、という感じがしません。

それが続いていたためか、最近出てきた症状ですが、
平日に自由時間があると、用もないのに変に出かけたくなるのです。

家の近くのバス停からは、ちょっと離れた調布駅に行けるバスがあり、
映画の街、調布!ですので、映画でも見に行きたいのですが、
見たい映画がどんぴしゃの時間にあるって、ほとんどありません。
用がなくてもふらふらしたい、という気持ちだけがあり、
どうしていいかよくわかりません。

歩いて行けるところに、露天風呂や岩盤浴やレストランなどいろいろあるスーパー銭湯があります。
入場料も安いです。
でも私はお風呂が苦手。
どんな素敵なお風呂も、3分でのぼせてしまう。
その銭湯にサウナ、ミストサウナ、岩盤浴、バブルバス、そのほかいろいろあるので、
気持ち的には全部入らないと気が済まないです。
でも行っても楽しめないのがわかっているから、迷った挙句、結局行きません。

これが、子供が小さい頃にたまに来ていた時は、子供たちに対して、

え?牛乳飲む?
あとにしなさい。

とか、

はいはい、立ってシャワー浴びちゃだめでしょうが

とか、

え、もう出る?露天風呂に行こうよ

などと、なにかと絡みがあったのですが、今、苦手なお風呂がたくさんあるスーパー銭湯に一人ぼっちで行って、
一人ぼっちでのぼせてるのも、ちょっと馬鹿みたいです。

その銭湯の近くには、無印良品とかカルディなどもある、
面白い商店街があったりするのですが、どうもこの頃の私は目的なく、買いたいものもなく、
ふらふらするのって、しんどくなってきてしまいました。
そういうスタミナがなくなっていた・・・。
そう、無駄な時間を過ごすのにも、若さが必要だったのです。

そこで私がどういうことを始めたかというと、
しょっちゅう夫の帰りを、駅で待ち伏せするようになりました。

夫はだいたい同じ時間に帰ってくるので、
途中LINEで、改札を出てくる時間を聴き合わせながら、夕方に家を出て駅に向かいます。
暗くなる30分ぐらい前に家を出て、イヤフォンで音楽を聴きながら駅まで歩き、
それからドトールに入ります。
で、ブレンドのSを飲みながら、本を読んだりiPadでちょっと仕事の準備をしながら時間を潰し、約束の時間に改札口で夫に会い、必ず、

「嬉しいでしょ」

と言って、それからバスに乗って一緒に帰宅します。

駅でしょっちゅう待っている妻。

忠犬ハチ子。

日本語の仕事と関係なくなってしまいましたが、明日は、レッスンの間の隙間時間についてなど・・。

写真は、今日 駅に行く途中で見た、蕾をいっぱいつけた桜です。
鬱金桜、おかめ桜と緋寒桜も見られました。



私の朝は割と早くて、6時半にアレクサに叩き起こされます。
20分でお弁当を作り、7時からまたは8時から、仕事を始めます。
そのあと、自分できちんとしなくてはいけない1日が始まります。
今日はそんなお話を一つ。


さて、今年もアメリカで、3月第二日曜日の夜中、
たいていの人が寝ている間に、デイライト・セービング、あのサマータイムが始まりました。

私はその起源を知らなくて、生徒に教えてもらったのですが、
これはもともと、農家の人が効率よく働けるようにと 作られたものだそうです。

アメリカの皆さんは、自分が眠っている間に、知らないうちにある晩、
時計の針が、自動的に一時間、時計が進められます。
で、当然いつもより1時間早く1日を始めることになりますが、
現在ではデジタル機器は、自分が何もしなくても、自動的に時間を早めてくれます。
インテリジェントな調理器具も同じだそうです。電子レンジとか。

ということは?

「じゃあ皆さんは、時計の針を進めないのね?」
「ほとんど、進めることはありません」
「じゃあ、1時間早く無理に起こされている感じはしないの?」
「あまりしませんが、最初はやっぱり眠いし、
もうデイライト・セービングはやめてくれ、とみんな思っています」

だそうです。

私は、相手が1時間早く1日を始めることにより、
登下校、出退勤の時間も違っていますから、こちらが合わせます。

ですので、3月初めから11月初めは、自分の朝が早く、
11月から3月までは、1時間遅いので、非常に嬉しいです。

オンラインのレッスンが増えてきた昔は、夜にも仕事をしていました。

一番早くて6時からのレッスンがありましたが、そのころは毎晩のように、
最後の仕事の終わるのが、夜の9時、10時、11時でした。
たとえ日中、3時間4時間とか時間が空いている日でも、
相手にとってはその日その時間に出てくる先生(私)がただ一人の先生ですから、
ぼけた顔をしたり、あくびをするわけにはいきません。

どんなときにも、レッスンが始まったら、

おはようございます!
お元気ですか?
私?元気ですよ!

と、なけなしのアドレナリンを絞らなければなりません。

この頃は、朝7時、8時から、夜の11時12時まで、仕事に張り付けられている感じがしました。

一日だらだらスタンバッていて、晩御飯後にもゆっくりできません。
もちろん晩酌も。

そこで、夜の生徒さんたちについては、レッスンが終了した後は、
そのスロットには仕事を入れないようにしてきました。

そのうちに私の仕事時間は、朝7時または8時から、午後2時ごろに終わるパターンになり、
そこへ、週に2回ぐらい、午後4時、5時始まりのレッスンが残りました。

まるであの、高野文子さんの名作「るきさん」のような生活が実現するのだろうか。

るきさんは、1ヶ月のほとんどを遊んでいて、月に何回かだけ仕事をします。
その仕事は、病院から頼まれて、電卓で保険点数をタカタカと打って、
数日で1ヶ月の収入を得てしまう、らしいのです。





でも現実は、そううまくはいくものではありません。

仕事が日の高いうちに終わらせられるようになって喜んでいたのも束の間、
今度は土日も、仕事があるようになりました。
え〜そんな・・。

土曜日は、金曜日の夜に勉強したい人たちが集まってきます。
日曜日は、多忙なために、土曜日しかできない人が集まってきます。

月曜日は、日曜日しかできない人が集まってきますが、それはこちらは月曜日ですので、無問題です。

それから、土日には振替レッスンが入ります。
う〜む、土曜日も6時半起きか。
けれど、お断りはしません。

たいていの人は週1、つまり月に4回しかレッスンをしません。
そのうちの1、2回をキャンセルなさると、月に2、3回しかレッスンを受けられません。

その間に、せっかく積み上げたものが崩れたり、覚えたことを忘れたりしますので
振替レッスンを申し込まれると断れません。

このようにして、オンラインレッスンのみをするようになった私は、
とうとう、1週間のうちに休日がなくなりました。これは辛うございます。

金曜日の夕方に仕事を終え、

1週間が終わった〜、やった〜

と思うことがなくなったのです。

他の平日も、夕方以降のレッスンはなくなりましたが、かと言って
うぇ〜い!
とか言いながら、一人で街に出ることは意外とできません。

昔の人間は貧乏性なので、用事がないと街に出るのに抵抗があるのでした。

続きますね。