転勤後の夫は、車通勤から電車通勤になり、疲れるということですが、
毎日張り切って出社しています。
定年を迎えて、あと5年雇用延長となって頑張っていますが、
毎朝お弁当をしょって出ていくのを見ても、一度リタイアした人には見えません。
本当は週に何回か出社すれば、あとはリモートでいいらしいのですが、
「残業をしないことにした」のが新鮮らしく、
定時に出て行っては、伝書鳩のように帰ってきます。

以前は、なにしろコロナですし、1ヶ月どこに行かなくても全く平気でしたが、
今のように、誘ってくれる人・誘える人がいたり、
行きたいところがいろいろあるようになると、
私も家にばかりいるのが少し退屈です。

「ねえ夫、私はなんか、東京へ戻ったらあそこも行く、ここも行く!と
何年も思い詰めてきたけれど、どこも行ってないよね?
ちょっとつまらないことないですか?」

と、言ってみましたが、彼はもともとインドアタイプです。
本とテレビのリモコンがあれば、土日も動きたくない方なのです。
「いやいや、まだ引っ越したばかりでしょ。
お父さんも亡くなって四十九日やら役所や銀行へ行ったりとか、
君も忙しくて遊びに行ってるひまはまだ、あんまりないでしょ?
これからですよ、これから」

テレビのリモコンに悠然と手を伸ばしながら言います。

そういえばそうでした。
まだ時効じゃないので書いていないのですが、入居して1ヶ月以上、
いろいろ問題があって、(面白い投稿ができると思う・・)
家にいなくちゃいけないことも多かったし。
それが終わったらいきなり父サラバ! になってしまったし。
そうそう、喪中ハガキを出したりしていましたね。五人の名前のある。
2回も作り直した話はまだ、してません。

でもだからと言って、誰かと約束をと思うとちょっぴり面倒だったり、
でも、面白いものを見たら「面白いね〜」と言える人と
一緒に行きたい気持ちもあります。

いずれにしても、ただ待っているだけでは少し退屈だと感じてきて、
この先はチャンスがあれば、もうちょっと積極的になろうと思うようになりました。

そんなこの頃、私が楽しみにしていたのが、
東京ドームで数日にわたって開催されていた「ふるさと祭」でした。
郡上踊りで出演することになった、私の名古屋の姐さんが教えてくれたのです。
聞いていなかったら知らないでスルーしていたところ。感謝です。

郡上踊りは岐阜県郡上市八幡で、
七月から九月まで三十一夜も催されるとても楽しい盆踊りです。
お盆期間の4日間は徹夜踊りまであり、好きな人は本当に好きです。
コロナで自粛していたのが、去年やっと日数を減じて開催されましたが、
我々は参加できず。去年の7、8、9月は、私が踊っていられない体調でした。
今年は、郡上おどりin青山 もありそうですから、楽しみです。


この日、1月19日は午後のレッスンを終えて飛び出しました。
着いたのが辺りもすでに暗くなった午後5時半です。
郡上おどりのパフォーマンスの時間は6時だそうです。
会場はお祭り広場とステージに分かれていて、
そのほかの広いスペースは全国各地からのおいしそうな食べ物と飲み物でいっぱいです。みなさん、楽しそうに食べています。

と、私の携帯に、「踊れるよ〜」と、姐さんからメッセージ。
警備の人に聞くと、お祭り広場で郡上おどりが済んでから、
一般の観覧者も踊れる時間が設けてあるそうで、入り口は1箇所だけ。
見に行くと、もう踊る気満々の人がぎっしり詰めかけ始めています。
私は生ビールを一杯だけ飲んで、入り口近くに場所を見つけてスタンバイをしました。

綺麗な照明に、見慣れた「郡上踊り」の角灯を見たら、
「恥ずかしくて踊れないわ・・」と思っていたのを瞬時に忘れ、
もう地団駄踏みたい気持ちになりました。
踊られたのは順番に、かわさき・三百・げんげんばらばら・春駒 でした。
四曲も見られて嬉しかったです。

入り口近くにひしひしと詰めかけている観客の中にも、
私と同様にその場でつい踊ってしまう人がたくさんいたので、
・・全然恥ずかしくないもん!
という感じで、怪しく体を動かしつつ、
久しぶりのライブの踊りを楽しませていただきました。

そういえば最後に郡上市八幡で踊ったのは、
平成を送り出し、令和を迎えるイベントでした。
踊っているうちに令和に滑り込み、
そのときはまさかそのあと3年続けて踊れなくなるとは思っていませんでした。
その後に続く、「郡上踊りの踊れない夏」の間は、
郡上踊り保存会の皆さんが、ライブで動画を度々送ってくださっていて、
狭いリビングで一人で踊ったりしていました。
あれはちょっぴり寂しかったなぁ。

本番が終わって入り口ゲートがあき、静々とうきうきと流れ込んだ私たち。
大勢の踊り助平が参加した「春駒」が拍手と共に終了し、
私は素早く姐さんを見つけて駆け寄りました。
浴衣ではなく会うのは何年振りでしょうか。
マスクでしたが、すぐわかってくれて、再会を喜び合いました。
コロナめのおかげで、3年という長い時間があっというまに流れ去っていたのですね。


名古屋時代、夫が平日の仕事を終え、私は浴衣を着て待ち構えていて、
すぐに車に飛び乗り、一夏に何回も郡上まで通いました。
こんなにすぐに東京に帰ると知っていたら、
去年も、踊れなくても行くだけ行けばよかったなぁ。
令和元年も、令和3年も、まだついこの間のようなのに、
コロナに阻まれて随分遠く感じます。


帰りの地下鉄で、三味に笛太鼓と音頭とる声が
頭の中でぐるぐる回っていたのは言うまでもありません。