心ある人と、ものの本質

 

 

どう言う、いきさつであったかは忘れたが、自分は高校三年生の時に教師から清掃美化委員になれと言われ、全校集会で壇上に立って清掃美化の啓発をして来いといわれた事があった。そしてわたしはその通りの事をした。
 

自分は高校二年生の時は、掃除をさぼって先に帰ってしまったクラスメイトの代わりに教師に指導されてトイレ掃除をしてた人でもあったが。
 

ウェイトレスのパートタイマーの仕事を通算で五年ほどした時期があった。基本、若くして亡くなった母親の代わりをする、家事手伝いがわたしの主の仕事なので、ファミレスとか銀座すえひろステーキの地方支店とか、父も闘病で臥せった時は、マクドナルドのキッチンの早朝バイトとか、そういう仕事をした。
 

そして、そうしたレストランの様な公共の場所のトイレ掃除もよくやった。
 

或る時、他人の家の(他人さまが使う)便所の掃除をするとお金が貯まるという話を聞いた。芸人さんの修業の話などにも出てくる逸話でもあったかな。
 

幕末偉人の坂本龍馬はカンパニー(会社)を作る事を想い描いていた人だと司馬遼太郎さんの小説にあった。確かに龍馬が蒔いた種は、同じ土佐藩の岩崎弥太郎などに受け継がれ、後の三菱財閥を起こすに至る。龍馬は若くして政敵に暗殺されたが。
 

坂本龍馬に船の操縦術を教えた人があった。幕臣の勝海舟。沙菜子は実は龍馬よりもこの人の方を尊敬している。勝海舟は官軍の西郷隆盛と直談判をして、江戸無血開城をなして、江戸の市民を戦火から守った。西郷隆盛が言ったとされる、お金も名誉もいらない。自分の命さえも惜しまないと言って生きる、働く、動く人にはかなわない。一番強い人と言わしめたのは、勝海舟のような人の事を言うのだろうと思う。

先日、衆議院の補選があった。東京15区の選挙では、37才の元区議の女性が当選をした。社会人として世に出た時は助産師の仕事をしていた人だという。結婚を機に婦人科の病気に自身が罹患したことから、困っている人のために仕事がしたいと政治の道に入ったのだという。小池都知事の応援する乙武洋匡氏らをやぶって、候補者を立てなかった共産党からの支援も受けて、大差で当選した。
 

乙武洋匡さんが世に出た時の本「五体不満足」を自分は刊行されてすぐに読んだ。感銘をうけた。自分が想ったのは乙武洋匡とは、日本の普通科・学校教育の恩恵をたくさん受けて育った、スーパー障害者。彼のマスコミにおける発信力なども加味してそうした印象を持つ。
 

ただ、乙武さんが選挙に負けたのは、人の「自己実現」「自己願望」「自己顕示欲」の様なモノに軸が少し傾いていたからではないのかな?と想うこと。インターネットのSNSは、自己顕示欲の増幅装置だ。乙武さんもそうした環境の中の人なのだろう。
 

新聞に「井戸塀政治家」って言葉が載っていた。「民生委員」という仕事がある。
井戸塀政治家とは、他人さまの事、国事のために選挙に出て働いて、自分の持ち物は井戸と塀しか家に残らなかった施政者のことだ。民生委員は半分ボランティアのような仕事でこちらは、社会の困っている人のために働く。
 

公衆トイレの掃除やゴミの収集業者のような仕事は、この世から無くなることはない。手足の無い乙武君にトイレ掃除は出来ない。

マザー・テレサが貧しき人のために事を成したのも彼女の無私の心が本物であったからでしょう。
 

【心ある人】は、モノの本質をちゃんと見ている。日本の人口減少で、働き手の頭数は減って、経済の貧富の差は、格差社会が広がる傾向にある世の中で、何が本当に大切な事なのかを、よく見極められる人でありたいと、想う。そんな今日このごろです。