ちょっと前に
時間軸がちょっと怪しくなって来たのか
いつって言うのははっきり覚えていないんだけど
年単位ほど遠くではないはず
記事にもした気がする
色々頑張って来たけど今世はこの辺が限界かな
でも ま、いっか。
そんな風に思ったことがあったような気がします
でね。そのときは本当に
自分なりに色々やってみたけどどうしてもうまく行かなくて
方法も分からなくて
空回りしてる気もして だった気がする 笑
なんだけど
時は経ち
気がつけば
いつの間にか抜けてたって言うはなし
意識の話なので
これこれがあってカイケツとか
分かりやすくこの時点で抜けましたとか
そう言う類ではないんだけど
今現在その他のことからも感じているのは
方法は分からなくてアタリマエと言うか
その時点で八方ふさがりに感じるような状況に置かれていたとしても
それもまたいずれ変化していくものと言うか
ほんと
諸行無常
ここで そっか。とホッとできたとしたら
それが大正解 ^^
変わらないと思えるものがあるとしたら
それは
自分自身がそこに固定してしまっている
ナニカ自分の中の思い込みが強すぎるのかも知れず
自分の中にある盲点を探ってみると言うのもいいかも
でもこれもやり過ぎるとドツボにハマるので
ほどほどに ^^
こういう話ってホント
今まで一般的に使われて来た概念
思考を使って理解しようとすると
ほんとイミフになる事も多いと思うんだけど
本当にコタエは自分の内側にしかなくて
あなたもわたしも私たちが思っている以上にすごい存在だった
そこだけ声を大にして言いたい 笑
オマケ
今思うとバリバリ他人軸のど真ん中で
どうして私は自分軸で生きているというゴカイをしていたんだろう
そんな疑問を持って自分の内側を見てみたとき
社会軸と言う
そこから外れては生きていけないよと教えられてきた基準(土台)の中で
自我が自分なりのタダシサと言うもの(自分の城)を築き上げ
ソレを自分 それこそが自分だと認識して来た(有限の自分)
そんな気もしています
でね。自分の中のタダシサではあるんだけど
その土台には 社会軸 タダシサ軸 外軸 他人軸と言うものがあるかもで
その枠内 制限の中での自分。ではなく
本来の自分ってその枠 制限を超えたもっと大きな存在と言うか(無限の自分)
イイとかワルイとか
タダシイとかマチガッテルとか
そんな二元の意識の外に出たとき
そこに本当の意味での自分軸と言うものがあったとわかると言うか
そこには本来の自分と言うものを若干歪めた状態で
使って来ちゃったって言うひと(とき)もいる(ある)かもだし
ナニモノでもない自分と言う言い方もできるかも知れません
それは場合によっては
とても判断の難しいパチもんみたいに
まるでそこ(社会軸)に居続けるのがセイカイの様に
感じてしまうことがあったりもするのだけど
でもフェイクは所詮フェイクなので
必ず苦しくなって来ます
と言うわけで
ゆるめる
手放す
自分とつながる
苦しいとは
もうそこから抜け出す準備ができてるよと言うサインなのかも
焦らずいっぽいっぽ ^^