ロンドン発 しあわせの見つけ方

ロンドン発 しあわせの見つけ方

自分を好きになると、周りの人たちをもっと好きになれます。物事のとらえ方が変わると、人生が変わります。幸せ体質になれば、今よりもっと幸せに生きられます。コーチングで、周りに振り回されず自由に生きたいあなたの人生を応援します。

ちょっと前に

時間軸がちょっと怪しくなって来たのか

いつって言うのははっきり覚えていないんだけど

年単位ほど遠くではないはず

記事にもした気がする

 

 

色々頑張って来たけど今世はこの辺が限界かな

でも ま、いっか。

そんな風に思ったことがあったような気がします

 

 

でね。そのときは本当に

自分なりに色々やってみたけどどうしてもうまく行かなくて

方法も分からなくて

空回りしてる気もして だった気がする 笑

 

 

なんだけど

時は経ち

気がつけば

いつの間にか抜けてたって言うはなし

 

 

意識の話なので

これこれがあってカイケツとか

分かりやすくこの時点で抜けましたとか

そう言う類ではないんだけど

 

 

今現在その他のことからも感じているのは

方法は分からなくてアタリマエと言うか

その時点で八方ふさがりに感じるような状況に置かれていたとしても

それもまたいずれ変化していくものと言うか

ほんと

諸行無常

ここで そっか。とホッとできたとしたら

それが大正解 ^^

 

 

変わらないと思えるものがあるとしたら

それは

自分自身がそこに固定してしまっている

ナニカ自分の中の思い込みが強すぎるのかも知れず

自分の中にある盲点を探ってみると言うのもいいかも

でもこれもやり過ぎるとドツボにハマるので

ほどほどに ^^

 

 

こういう話ってホント

今まで一般的に使われて来た概念

思考を使って理解しようとすると

ほんとイミフになる事も多いと思うんだけど

本当にコタエは自分の内側にしかなくて

あなたもわたしも私たちが思っている以上にすごい存在だった

そこだけ声を大にして言いたい 笑

 

 

音譜オマケ音譜

 

今思うとバリバリ他人軸のど真ん中で

どうして私は自分軸で生きているというゴカイをしていたんだろう

 

そんな疑問を持って自分の内側を見てみたとき

 

社会軸と言う

そこから外れては生きていけないよと教えられてきた基準(土台)の中で

自我が自分なりのタダシサと言うもの(自分の城)を築き上げ

ソレを自分 それこそが自分だと認識して来た(有限の自分)

そんな気もしています

 

 

でね。自分の中のタダシサではあるんだけど

その土台には 社会軸 タダシサ軸 外軸 他人軸と言うものがあるかもで

その枠内 制限の中での自分。ではなく

 

本来の自分ってその枠 制限を超えたもっと大きな存在と言うか(無限の自分)

イイとかワルイとか

タダシイとかマチガッテルとか

そんな二元の意識の外に出たとき

そこに本当の意味での自分軸と言うものがあったとわかると言うか

そこには本来の自分と言うものを若干歪めた状態で

使って来ちゃったって言うひと(とき)もいる(ある)かもだし

ナニモノでもない自分と言う言い方もできるかも知れません

 

 

それは場合によっては

とても判断の難しいパチもんみたいに

まるでそこ(社会軸)に居続けるのがセイカイの様に

感じてしまうことがあったりもするのだけど

でもフェイクは所詮フェイクなので

必ず苦しくなって来ます

 

と言うわけで

 

ゆるめる

手放す

自分とつながる

 

苦しいとは

もうそこから抜け出す準備ができてるよと言うサインなのかも 

 

焦らずいっぽいっぽ ^^

 

本日2本目です

タブン1本目とかなりトーンが違うので

よかったら1本目も読んでみて♪

ちなみに同じひとです 

急に書きたくなっちゃった

いわゆる内部告発記事?? 笑

 

 

ライフコーチだし

整理収納アドバイザーの資格(二級だったかな)持ってるし

人生の前半は結構ちゃんとしっかり社会軸に合わせて生きて来たし 笑

けっこうなカンペキ主義

内観しながら

どうしても自分自身が受け入れられなかったことのひとつに

ズボラ。と言うのがあります 笑

他にも色々あるけど ^^;

 

 

これもね。

今では書きながら特に何の抵抗も感じてないんだけど

ちょっと前(どれくらいかはわからないけど)だったら

タブン全く書けなかったと思うし

どうしてもカミングアウトしなきゃいけない状況になったとしたら

自我がすごい勢いで私は悪くないと言う言い訳を羅列して来ただろうことも

何となく想像に難くないです 笑

 

 

ズボラって

何となくその部分(側面)をひとに見せないようにすれば

例えばSNSでいい部分だけ切り取って見せたりすれば

それはそれできれいなセカイを保てるのかもだけど

なんかそこにもずっと子供の頃から偽りと言うか違和感とかがあって

だからこそ私の場合は逆に働いて

どこから見られてもスキのないように

きちっとちゃんとしなきゃみたいな縛りを自分に課して来ちゃったのかもだけど

 

 

自分軸 自然体になってくると

シフトしてくると今度は

段々とスキのない自分自体しんどくなって来て(これまた不自然) 笑

 

本当は 本来は

ただ存在するだけで存在にこそ価値があり

そこからナニカ進化させたり発展させたり成長させたり

ひとによって楽しめる 楽しむべきところ

 

最初からナニカが出来てアタリマエ

できないひとは落ちこぼれみたいな

比較競争社会における落とし穴と言うか

この視点にいる限り

なかなか存在自体に価値があったと言う視点に戻るのが

ムズカシイとゴカイしてしまうこともあるのかも知れません

 

これもタブンひとによって

自分が自分に対してどんな縛りや抑圧を持っているか(来たか)にもよるかもだし

気づくか気づかないかって言うのもあるかもだけど

話すは放す/離す

言えるは癒えると言われるように

シフトしてくると

今までこんな自分はダメ!ってなってたことも

急に内部告発したくなっちゃったりするのかもです 笑

 

 

クライアントさんでも

そんな自分を自分が認めてしまったら

本当にそうなってしまいそうで認められません。とおっしゃる方もいて

 

 

確かにそのキモチも分かるし

私自身ももしかしたらそんな想いもあって

自分が自分で認めたくなかったのかなとも思うんだけど

 

 

まぁカミングアウトしてもしなくても

変わる時は変わるし

変わらないときは変わらないと言うことで

どっちかって言うと

そんなことブログに書こうと思った自分に自分がびっくり 笑

 

 

音譜オマケ音譜

 

ごくごく一部のひとには

ズボラ ズボラとずっと言い続けていましたが

それってやはり

自分が自分を承認するのとは違うかもなと

今回ちょっと思いました

 

自分で時効直前の自分を捕まえてあげる

ギルティを認めてあげる

ほんとはほんとにどんな自分でもだいじょうぶだったんだけど

だって自分が自分の人生の創造主なんだもん

 

比較競争社会の中でこんな自分はダメと

周りのダレカやナニカと比較して 

場合によってはダレカに比較されて

どこかでゴカイしてしまった場合

なかなか知恵の輪が複雑になってしまってることもあるのかも知れません

 

 

私も

ひとには許せるのに

ひとの行動には何とも思わないのに

自分だけはダメ

そんな気づきも今まで色々して来ました

 

そしてまだまだタブン盲点になってることも

いっぱいあると思う 笑

 

人生ってほんと色々

おもしろいね ^^

 

今日の記事は

わからないと言う人ももしかしたら多いかもだし

そっちの方が普通なのかもだけど

日々自分の感覚を発信して、そこに興味を持ってくれるとしたら

もしかしたら同じような感覚を持っている人もいるかもと思って

書いてみようかと思います 言い訳長いなーーー 笑

 

 

気がついたときには。って言う表現がしっくり来る気がするんだけど

むかしから

愛する人 大切な人(犬たちも)のためなら

自分の命を投げ出してもいい。

自分のキオクの中では

特にダレカに教えられたわけでも

ダレカに強要されたわけでも

ナニカに大きな感銘を受けたわけでもないのに

いつの間にか

そんな感覚がデフォルトとして常にありました

 

 

だからね、たまに

自分の命を投げ出して自分の子供を救った。みたいな話にも

美談と言うか

そうなるよな。みたいな感覚

かと言って、そうじゃないひとにナニカ感じると言うこともないし

まったく見ず知らずの人に対して同じ行動を取るかと言ったら

こっちもギモンと言う感じなんだけど

 

 

なにが言いたいかって言ったら

意識が自分のゲンジツを創っている

自分が自分の人生の創造主と言うことが

少しずつ肚落ちして来ると共に

本当に色んな気づきがあったんだけど

 

 

そのときこの

誰かに教えられたわけでも強要されているわけでもない

自分の中にあるオモイ(想いであり重いとも言えるかも)

どうしてもこの部分が拭えず苦しかったこともあったなと

ちょっと思い出したので書いてみました

 

 

音譜オマケ音譜

 

私の人生は表面的にはとても穏やかで恵まれたものでしたが

それでもかなり複雑に

意識を絡めて遊んで来たなと言う実感もあります ^^;

自分がやってみたかったんだと今ではわかります 笑

 

でね。これも子供の頃からの感覚なんだけど

ひとって表面的に見て恵まれているかどうかは全く関係なくて

本人がどう感じているかって言うのが本当に重要なことで

だから

周りから見たら幸せそうに見える人が

突然自死してしまったりすることも何となく理解できて

そこにはもちろん色んな要因があるかもだけど

自分が自分を解放し切ってあげられなかった

そんな観方もできるかもで

 

アセンション(次元上昇)と言う

季節が変わる節目の様なこの時代に

自分の感覚と言うものにしっかりと目を向けていく

自分の本来の感覚に戻していく事で

ダレカにナニカを教わると言うことでもなく

 

同じ季節でも暑いと感じるひと(とき)は1枚脱ぐときがあったり

その横で寒いと感じる人(とき)は逆に1枚着るひとがいたり

それは冬だから。。。春だから。。。と言う

外側の要因によって決めることではなくて

常に自分の内側の感覚によって

自分が選んでいく

そんな感覚とも言えるかも知れません

 

 

ゆるめる

手放す

自分とつながる

 

自分に気づくと

ソレは時として今までとは逆に見えて

コワくて怯んじゃう(自我)こともあるんだけど 笑

自分が絡ませて来た複雑な絡みに気づいて

知恵の輪を外すようにちょっとずつ解放していくと

どんどん軽くなってくよ♪

 

焦らずいっぽいっぽ ^^