kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

若干の・・・

2022-11-30 | 陸上競技

色々なことがあります。もうどうでもいいなと思うことも含めて。

 

色々なことを経験する。その中で「おかしいよね」と思うことが存在する。それに対して「おかしい」というのか「もういいや」と思うのか。それによっていろいろなことが変わってくると思います。元々の性格的に「おかしい」ことに関してはあれこれ言います。考え方が違ってくるので「意見が合わない」ということは当然あります。ある程度は「大人の対応」をするべきだと思って我慢していますが、では「どこまで我慢すればいいのか」という話になります。

 

「自分のことだけ」でいいのであればもうそれでもいいかなと。「教員」という仕事は色々場面で「非難の対象」となります。何かすれば叩かれる。「価値観」は様々。

 

blogに「愚痴」のようなことを書いたら「愚痴を書くな」と批判的なコメントが書き込まれたことがあります。今年に入ってからです。それって「悪」なんですかね?blog自体は「個人の範疇」でやっています。ネット上の公開されるというのも念頭に置きながら「常識の範囲内」で示していると思っています。もちろんそれに対して「気に入らない」と感じる人もいるのだと思います。それはそれで仕方ない。別に「書くな」とコメントをするくらいなら「読まなければいい」と思います。

 

このblogを「読む」ためにはblogの検索をしたりして「アクセス」しなければいけません。毎日無理やり読まされるというものでもない。私がblogに書く内容を色々な人にメールして「読め」と強制しているわけではないからです。ここに関しても違和感を感じます。「kanekoが嫌い」でもいいと思うのですが、わざわざ「嫌いな人」のところに行って「やっぱり嫌いだ」と確認する必要性はないのではないかなと。「嫌い」だと思えば「距離を置く」ことができるからです。

 

とにかく今は「変化」が大きい。私がblogを始めたころにはほとんどそんな環境はありませんでした。20年くらいまえでしょうか。今はインスタなどが主流になっています。それはそれでいいと思います。私は「スタンス」を変えずに自分のことをやっていきたいなと思っています。それが正解かどうかは分かりません。が、「生き方」を誰かに強制される話ではない。

 

本当に色々なことに対して「もういいや」と思うことが増えてきました。それが「歳を取る」ということなのかもしれません。「角が取れる」という言い方をしますが、若いころとは違ってくるのかもしれません。とはいえ、「おかしいな」と思うことに対して「おかしいな」と表現できなくなるのはやっぱり「間違っている」と思います。

 

世の中には様々な仕事があります。別に「教員」という仕事にこだわらなくてもいいのではないか。他の仕事ができるのかどうかという話もありますが。

 

どうでもいい話ですが、教員になる前に1年間「アルバイト」で生活していた時期があります。「正規社員」ではなく「期間限定」のような感じです。大学院の2年生の時に教員採用試験を受けなかったので次の年に受けることになりました。その1年間は「生活をする」という意味で働きました。自動販売に飲物を入れたり、荷物の仕分けをしたり。「地域雑誌」の試験も受けて合格をしたのですが、「期間が限られる」という話をすると不採用になりました。長期間続けてもらいたいということだったので。

 

そこで「地域雑誌」を作る仕事に就いていたら人生は大きく変わっていたのかなと思います。その時にはすでに「採用試験」に合格していたのでそちらを優先しました。色々な「分岐点」があってその時その時に「選択」をしている。博士課程に進んで「研究」をするという「選択肢」もありました。その中で選んで「今」がある。

 

「子供たちのために」という感覚がずっとありました。最優先は「子供たちにプラスになるかどうか」でした。今もその気持ちは変わりません。しかし、これから10年後にも同じ気持ちで入れるのかどうか。ここは分かりません。親しい指導者とはよく「50歳になったら」という話もします。このまま最後まで「教員」として働くのか、それとも全く別の仕事をするのか。

 

「狭い世界」でやっていると間違いなく「淀み」が生まれます。競技指導などを通じて色々な人と話ができる環境にあるのでそれは救われているのかなと思います。逆にそういう環境の中で生活してきたので「淀み」に対して「違和感」を感じる部分があります。それが「間違っている」のかもしれませんが。「前例主義」「事なかれ主義」で「目の前のことだけやる」というのが「正しい生き方」だとすれば私には苦痛でしかない気がします。「誰のためにやるのか」という感覚が異なれば「息が詰まる」からです。

 

少しだけですが遠方の方とやり取りをしました。「場所」は違っても同じような思いを持っていて毎日「葛藤」のなかで生活をしている。自分だけではない。そう思えることは勇気をもらえる気がします。基本的なスタンスである「生徒のために」というのを本当の意味で実現できるかどうか。

 

またも意味の分からない内容になっていますね(笑)。文才の問題だと思います。読みたくないなと思う人がいるのであれば「今後は読まないで」と投げかけたい。競技のことも書きますし、考えていることも書きます。毎日が「ハッピー」ではない。年齢を重ねても「何をするのか」を自問自答しながらやっています。「読む」も「読まない」も「選択」です。「やる」も「やらない」も「選択」です。多くの選択肢の中から「嫌なもの」を選ぶというのは面白くないと思います。そこだけは100%だと。

 

まとまりません。思ったこと、感じたことを記録しておきます。


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