小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

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 ご無沙汰しております、と前回も書いたような気がします。

 まだこのブログを読んでくださる方はいるのでしょうか…

 あ、そうだ。こういう時に、書かないといけないことがありますね。

 皆さん、私は 生ぎたいっ!!!! じゃなかった、生きています!!!!

 ※一瞬ロビンになりかけた

 

↓以下本文

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「からあげ弁当が500円だった時代があるそうです」

 

 食の歴史を研究している専門家・名城(なしろ)の言葉に、

 コメンテーターの舟木(ふなき)は驚きの声をあげる。

 

「信じられないですね。今じゃ一体いくらすることか。

 500円では、からあげどころかその材料も買えないでしょう。

 米だって高級品だ。正直、弁当という言葉も久々に耳にしました」

 

 番組の司会・明日見(あすみ)が頷く。

 

「ちなみに、最近からあげを召し上がられたことは?」

 

 彼女の質問に、舟木は思わず吹き出した。

 

「無いに決まっているじゃないですか。

 家じゃ鶏肉だって口にしていませんよ。

 肉だけじゃない、米も野菜もです。

 僕なんかが日常的に食べられる筈がない。

 今日いらっしゃった観覧席の皆さんも、

 見たところ、まあ……全員僕と同じでしょうね」

 

 舟木がそう言って眉尻を下げると、

 観覧席にくすくすと笑い声が広がった――

 

 

 

 

 本物の食事

 

 

 

 

 笑いが収まったところで、明日見が話を進める。

 

「そもそも、若者の中には、からあげという料理を知らない人が

 増えてきているそうです」

「そうそう、うちの息子もからあげどころか、

 焼き鳥も知らないんです。せがまれても面倒なので、

 自立するまでは知らないままでいて欲しいと思っています」

 

 彼は皺に埋もれた目を細め、苦笑した。

 

「知らないというのは、本物を、ということですよね。

 味というか、ある種のフレーバーとしては知っているわけです」

 

「本物を食べたことはないのに、味だけは知っているだなんて

 おかしな話ですね。それが本当に、そんな味と香りがするものなのか

 知らないわけですから。私の友人なんて、鶏肉と牛肉の味を

 逆に覚えていたらしく、人工牛丼を食べて腰を抜かしたらしいです。

 鶏肉を食べているのか牛肉を食べているのかわからないだなんて

 悲しいヤツですよねえ。今度、銀座の疑似ステーキでも、

 ごちそうしてやろうと思っています。……まあ、そんな感じで、

 結局僕も本物の鶏肉も牛肉も食べていないわけです。

 幼い頃の記憶が頼りですね。昔も裕福だった記憶はないですが」

 

 そうはいっても、芸能人なのだから

 たまには本物を口にする機会があるのでしょう、と明日見に訊かれると、

 舟木はそんなことはないと語気強く答えた。しかし、そのすぐ後には

 まあまあまあ、とはぐらかすように肩を揺らして笑った。

 

「今年の流行語大賞には『本物を食べてみろ。飛ぶぞ』が選ばれました。

 そのあたりにも世相が反映されていると思います」

「確かに今、本物のフライドチキンに齧りついたとしたら、

 あまりの旨さにもしかしたら本当に飛んでしまうかもしれない。

 ニワトリみたいにね。あれ、ニワトリって飛べないんでしたっけ」

 

 名城が彼の横で、飛べませんね、と静かに補足した。

 

「そういえば、以前は野鳥を捕まえて食べようとする人がいて、

 逮捕者が続出したことがあったようです。現在では、スズメやカモなど

 身近なあらゆる生き物が管理生物に登録されてもう随分経ちますし、

 私たちも今の生活に慣れましたね。

 誰もあれを捕まえて食べようとは思わないわけです」

 

「そんなことありませんよ。やっぱり、私なんかはガキの頃を思い出して

 肉やら魚やらを食べたくなりますし、たまの接待の場でそういったものが

 目の前に出てくると、話なんて後回しで夢中で食ってしまいます。

 いわゆる、『本物を食べると、無言になってしまう』ってヤツです」

 

 共感しているのかどうかわからないような無表情で、名城は頷いた。

 

「その言葉は、『カニを食べると、無言になってしまう』という伝承が、

 由来になっているようです」

「へえ……それはまた、なぜカニ限定なのですか?」

 

 明日見が尋ねる横で、舟木も不思議そうな顔をしていた。

 

「かつてカニは高級な食材の代名詞だったからです。

 殻を割ったり、身を取り出したりして食べることにも手間が要るため、

 皆が黙々と食べることに集中してしまうことから、

 そう言われるようになったとされています」

 

 画面の端に、一家で黙ってカニを食べている資料映像と

 『現在カニは管理生物に指定されています』というテロップが出た。

 名城の話を聞いても、舟木には実感が乏しいようだった。

 

「なるほど。今は、食べるものに骨も殻もないので

 うちの息子は理解できない感覚でしょうね。少し前までは

 昆虫みたいに生き物の形があったからいいものの、

 最近じゃ、一体何を食べているのかもわからないくらいじゃないですか。

 調理だって図画工作みたいなもんで、この前家で、最近の料理は

 ままごとみたいだとか粘土遊びみたいだとか言ったら、

 うちのかみさんに蹴飛ばされましたよ」

 

 舟木はそう言いながら苦笑いした。

 

 昆虫食が廃れてから久しく、その実物は他と同じく高級品であり、

 食べられる昆虫も、軒並み管理生物に指定されている。

 つい先日も、自宅の押し入れで許可なくイナゴを育てて販売した

 “闇イナゴ”事件がニュースになったばかりであった。

 

 明日見は、最近の食べ物を改めて思い浮かべ、

 舟木と同じような表情になった。

 

「私たちの食べ物は、何かよくわからない塊に、

 本物か定かでない味がついているもの、ということですね」

 

 観覧席を見ても、そのほとんどが共感して頷いていた。

 その在り方を問題にして不快や不満に思っているというより、

 変わってしまった今を受け入れているようにも見えた。

 

 誰もが、世界の食糧問題も、わが国が経済的状況も知っていた。

 事実を受け入れるということが『喉元過ぎれば熱さ忘れる』という言葉と

 同義になってしまったようである。食べ物同様、飲み込んだ後は

 その違和感も抵抗感も、綺麗さっぱり消化されてしまったのだ。

 

 かつてに増して、ヒトは食物連鎖の道から遠ざかり、

 『いただきます』の対象は、命から資源へと変わっていた。

 

「そう考えると、食事って何だろうってなってしまいますね。

 だから僕は思うんです。食事というのは裕福な人間や

 お偉いさん方など一部の選ばれた人間のするものであって、

 私たちのような一般市民にとっては、ただの栄養の“摂取”なんだと。

 いや、生きるための作業と言ってもいいかもしれない。

 

 ああ、早く立派な人間になって

 毎日三食、朝昼晩と、本物の食事がしたいもんです――」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

<完>