ShortStory.517 天使の眼 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 読書の秋。熟れて落ちた柿のような一話です(←え?)

 

↓以下本文

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 あと20分。

 

 喫茶店から見える交差点には、

 絶え間なく人や車が行き来していた。

 都会の喧騒の中で、時間はいつも通り流れている。

 こんなに暖かい日は、今年最後に違いない。

 テラスのパラソルを透かして、手の甲に日の光が届いていた。

 透き通るように白い。

 私の肌のことをそう言った彼は、もういない。

 

 どこかで車のクラクションが鳴った。

 

 目も頭も冴えていた。

 澄み切った清水のように、一片の濁りもない。

 今なら声を上げることも、駆けだすこともできる。

 人を助けることができる――。誰にも知りえない未来。

 この後起こる出来事は、私にだけ視(み)えている。

 

 離れた席から笑い声が聞こえてきた。

 知らないということは、なんて幸せなことなのだろう。

 世の中の出来事を、幸運や不運で片付けられたなら、

 一生こんな気持ちになることはなかったのに。

 

 私はゆっくりと目を閉じた。

 

 あれはちょうど1年前のことだった。

 私のもとに神様が現れ、この“眼”を与えられたのは――

 

 

 

 

 天使の眼

 

 

 

 

 今となっては、あれが神様だったのかも定かではない。

 でも、この力は疑いようのない事実だった。

 2度3度と未来が視え、そのひとつひとつが現実になった。

 私に与えられた“天使の眼”には、この先におこる

 事故が視えるのだ。それが見たことのない風景でも

 時間や場所まで詳細に感じとることができる。

 神様は簡単な説明をしてくださっただけで、

 私に力を与えた理由も目的も、何も教えてはくれなかった。

 

 最初に助けたのは、近所の小学生たちだった。

 呼び止め、足止めをしていたその先で、トラックが壁に衝突した。

 今でも覚えている。事前に知っていたはずなのに、

 全身の血の気が一度に引いていくようだった。

 息をすることも忘れ、しばらくしてようやく

 自分の体の震えや子供たちの泣く声に気が付いた。

 その時は素直に、ひとの命を助けることができたと安堵した。

 

 しかし、度々視えるその未来に、毎回関わることは不可能だった。

 自分のせいで事故が起こっているわけではない。

 自分のせいで人が死んでいるわけではない。

 頭ではそう考えているが、体はそう思ってはくれなかった。

 仕事をしていても、事故の光景が思い浮かび、

 視た時刻になれば、ひとりで罪の意識に苛まれた。

 潰されて死んだ人たちが、私の夢の中で叫んだ。

 たくさんの人を見殺しにした。お前は人殺し同然だ、と。

 

 助けようと思っても、上手くいくことの方が稀だった。

 見ず知らずの人間から唐突に「危ないです」などと言われ、

 ほとんどの人間は驚き、気味悪がった。

 中には悪戯だと思って、怒り出す人までいた。

 善意を向ければ向けるほど、身も心もボロボロになった。

 

 思い切って彼に相談したのだが、疲れているんだよと

 まともに話をきいてくれなかった。

 

 そんなとき、事故に遭う彼の姿が視えた。

 彼は、私の知らない女性と一緒で――

 

 どうなっても知るものか、自業自得だと。そう思った。

 仕事を休んだ私は、ベッドの上に寝そべっていた。

 ほんの少しの後悔もないはずなのに、

 いつにも増して、視界に時計が入ってくる。

 速くなる鼓動を抑えることができない。

 気づけば私は、家をとび出し、未来の事故現場へと向かっていた。

 

 そして、女性と一緒に歩く彼を見つけたのだ。

 路上で口づけする二人を、私はただただ眺めていた。

 蛇行した車が彼らに突っ込む、その結末まで。

 

 あの日、天使の眼から涙は出なかった。

 その代わりにこぼれたのは、微かな笑みだった――

 

 

 あと1分。

 

 都会の喧騒が耳に戻ってきた。

 交差点には相変わらずたくさんの人や車が行き交っていた。

 

 ビル群。

 青空。

 

 私が視た通りだ。

 

 今なら声を上げることも、駆けだすこともできる。

 人を助けることができる。

 

 でも、どうせ「頭のおかしいヤツ」を見るような目で

 見るんでしょ? 親切で言っているのに。

 絶対そうだ。そうに決まっている。

 助けてあげようと思っているのに。この恩知らず。

 

 あと10秒。

 

 あれは大型トラックだった。

 飲酒運転かなにかはわからないが、

 猛スピードで、周囲の車をはねのけながら走ってくる――筈だ。

 

 苦しい。

 こんなにも胸がドキドキするなんて。

 

 音だ。

 音が聞こえる。

 

 来た。

 道の向こうから、大きな塊が。

 

 私の見るその先で、大きなトラックが。

 私の見るその先に。少し離れた、テラス席に――

 

「……あは」

 

 強い衝撃とともに巻き上がる粉塵。

 半身を店の中に突っ込んだトラック。

 がれき、ガラス、何かが折れたもの。

 崩れた壁、倒れたフェンス、そこから伸びているのは

 

「あはははははははははははは」

 

 全部、全部、私が視た通りだ。

 

 思い切り背を反らせて仰いだ空。

 そこに、飛行機があった。

 

「は――?」

 

 視た覚えのない未来。

 こちらに向かって飛んでくる。落ちてくる。

 悲鳴。轟音。夢か現か。

 

「あはは」

 

 もう何も聞こえない。

 気づけば、私は迎え入れるように、空に向かって両手を広げていた。

 

 天国がみえた。

 真っ黒だ。

 

 最後の瞬間、

 天使の視線を感じた――

 

――――――――――――――――――――――――――――

<完>