ShortStory.525 延長の先 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 "延長"という言葉には、少しドキリとしてしまいますね。

 

↓以下本文

――――――――――――――――――――――――――――

 

 延長なさいますか――

 

 

 

 

 延長の先

 

 

 

 

 槇原健司(まきはらけんじ)は、受話器を戻すと再びソファに座った。

 視線の先では、妻の久美子(くみこ)が歌っている。

 ジェスチャを交えながら気持ちよさそうに熱唱する彼女の姿は、

 学生時代からあまり変わっていないようだ。

 

「パパ、まだ時間大丈夫?」

 

 娘の真理恵(まりえ)は、曲を入力するタブレットを片手に

 健司に訊いた。小学生の彼女は、母親に似て歌が好きらしい。

 

「1時間延長したから大丈夫」

 

 やったー、と大げさに喜ぶ娘に健司は微笑んだ。

 素直に育ったわが子が可愛くて仕方がないらしい。

 

「お前は歌わないのか?」

 

 隣にくっつくように座っている浩二(こうじ)は、

 あまり歌に興味が無いようで、熱心にジュースを飲んでいる。

 姉の真理恵とはふたつしか変わらないのに、

 背が低いためか幼く見えた。性格も彼女より随分と大人しい。

 

「ポテト……食べたい」

 

 そう呟く彼に、思わず吹き出すと

 健司は再び受話器を取ってポテトとからあげを注文した。

 

「ちょっと、ちゃんと聴いてた?」

 

 曲が終わったらしい久美子が浩二の隣に座る。

 彼は頭を撫でられながら「聴いてた」と律儀に答えた。

 マイクはすでに真理恵の手に渡っていた。

 

「相変わらず上手いよな」

「でしょう? 歌うま選手権、応募してみようかな」

 

 最近はやりのテレビ番組の名前を口にして、彼女は笑った。

 室内にポップな音楽が流れ始める。

 真理恵の好きなアニメのオープニング曲だ。

 

「真理恵、これ3回目じゃない」

 

 母に指摘されようが本人はお構いなしの様子で、

 ポーズをきめながら歌い始めた。

 健司がその姿に苦笑していると、その手に

 タブレットが渡された。彼の順番ということらしい。

 

「ねえ、あれ歌ってよ。最近流行ってる、KING NEWの」

「DASHの犬、じゃなくて?」

 

 彼がそう言うと、久美子は手を叩いて喜んだ。

 

「あー、それそれ。それもいい!」

 

 両親が別の話題で盛り上がっているのを見て、

 真理恵が二人の間に割り込んでくる。

 ちょうどそこに座っている、浩二は笑うこともなく身を縮めた。

 曲は途中で、彼女はまだ歌っている。

 

「ちょっと、ちゃんと聴いてるから、やめなさいって」

「危ない。ジュースが零れる――」

 

 カラオケ店を出ると、歩いて家へ帰る。

 空気は冷えているが、体の中はまだポカポカと温かい。

 駅の近くから離れれば、街も途端に静かになった。

 4人で帰路を進んでも、向かい側から車が来ることもない。

 

「また行きたいなー」

 

 そう言ったのは、久美子である。

 彼女が行きたい人、と言いながら手をあげると、

 健司と真理恵がすぐに手をあげた。

 その様子を、浩二はじっと見ている。

 

「次はポテト大盛りにしよう」

 

 健司がそう言うと、浩二は「からあげも?」と訊く。

 父が頷くと、彼はおずおずと手をあげた。

 その手を、真理恵が掴んで振り回す。

 健司と久美子は二人の様子に、顔を見合わせて笑った。

 

 その瞬間、久美子の頭がきんと痛んだ――

 

 

 

 

 反射的に側頭部を手で押さえた彼女に、健司が

 心配そうな目を向けるが、彼女は大丈夫と応じる。

 

「家に頭痛薬はあったっけ……」

「ありがとう。本当に平気だから。――あの子たち

 もうあんなところまで。ねえ、心配だから行ってあげて」

 

 なおも気にしている様子だったが、彼女がそう言うので

 健司は距離の離れてしまったわが子の元へと歩いて行った。

 

 久美子は、周囲に誰もいないことを確認してから、

 両耳をそっと両手で塞いだ。道の端に立つ彼女の耳の奥、

 頭の中に声が聞こえた。

 

『理想の家族を提供する“ドリームライフサービス”の小栗です』

 

 先ほどのように脳への刺激がなければ、

 この事実さえ忘れてしまうことができるのに、

 あの一瞬の痛みだけですぐに現実を思い出してしまう。

 科学の力のすばらしさが、彼女には恨めしかった。

 

『――様。ご契約の期間終了まで、残り2時間となりました。

 このまま終了いたしますか? それとも、延長なさいますか?』

 

 風の冷たさに久美子は手を震わせた。

 いつの間にか、体の芯まで冷えてしまったようである。

 彼女は、一度口を開きかけてから閉じ、

 もう一度口を開いた。

 

「あの」

 

 喉はからからに乾いていた。

 

「……延長、お願いします」

 

 その後必要なやり取りを終え、通信は途絶えた。

 彼女は笑みを浮かべようと試みたが、

 青くなった唇がそうさせない。

 

 契約期間が有限である――

 この感覚も、すぐに消えてしまうとわかっている。

 

「ママー、大丈夫―?」

 

 “娘”の声に、久美子は顔をあげる。

 

 彼女を心配して向こうから“家族”3人が戻ってくるのが見えた。

 久美子は大きく手を振ると、何かを振り払うかのように

 その場から勢いよく駆け出した――

 

――――――――――――――――――――――――――――

<完>