October 29, 2019
退院します。【心筋梗塞 1】
明日、退院します。
退院するってことは
入院していたってことです。
お仕事関係の皆さまには
大変ご迷惑をおかけしました。
いえ、まだまだおかけします。
申し訳ありません。
写真はわたしの命を救ってくれた痕です。
小さな小さなかさぶたです。
ちょうど1週間前の火曜日は
即位礼正殿の儀でお休みでしたね。
その火曜日の夜、具合が悪くなったわたしは
そのまま緊急手術、緊急入院となったのです。
退院を前に、忘れないようにここに残しておこうと思います。
長くなりそうです。
公開はずっと後にします。
あ、また咳です。
つらいなぁ、咳。
声枯れは少しはよくなったんだろうか。
発症前のわたしは、やっぱりぎりぎりでした。
この仕事なのに咳は止まらないし
声は出ないし。
10/12の台風19号のときも
実はぐっと苦しくなりました。
気圧のせいで具合が悪いんだと思っていました。
自宅近くの小学校が避難所になったけど
我が家は全く無事で
近くの橋が壊れて通れなくなっちゃったけど
具合は休んでいたら良くなったので
せっかくの三連休で
実家に帰るつもりだったのになぁって
残念に思っていたくらいでした。
翌週の週末も
日曜日の夜に苦しくなって
楽しみにしていたラグビーW杯の
日本VS南アフリカが
途中で見られなくなって
ベッドに入って休みました。
頭の中で
明日は仕事休めないぞーって
考えていました。
家庭科クラブの調理と
生活科の芋ほりが予定されていたからです。
月曜日、オットは休みで4連休でしたが
わたしはいつもどおり出勤しました。
芋ほりのときは
蔓をはがすときに苦しくなりました。
少し休んで、続けました。
芋ほりを手伝ってくれていた用務主事さんが
マスクをして息を切らしていたわたしを
「大丈夫か?」と心配してくれていました。
火曜日は雨で1日家族とのんびり。
夜は実家の母が送ってくれた
飛騨牛で焼肉パーティー。
調子が良くないんだよなぁと言いつつ
美味しくいただきました。
ビールとワインもちょっぴり。
食べ終わった頃から
徐々に具合が悪くなりました。
胸が苦しくて、息苦しくなりました。
台風19号の頃からの苦しさの
何倍もの苦しさでした。
痛くてつらいので、ベッドに入りました。
肩こりがひどいので
そのせいで痛いのだと思っていました。
気圧の影響を受けているのだと思っていました。
だんだん苦しくなって
吐き気に襲われ
トイレに行きました。
これも、台風19号の時から同じでした。
吐くと楽になると思っていました。
今まではそうでした。
22日は違いました。
一向におさまりません。
何度吐いたか分かりません。
もう何も吐くものがありませんでした。
痛み止めを取ってもらって
飲んでみましたが、
すぐに水と一緒に吐いてしまいました。
パジャマが汗と胃液で濡れてしまい
震えがきました。
寒いのでバスタオルを取ってもらって
かぶって吐きました。
何時間トイレにいたのか分かりません。
吐き気がおさまったので
着替えをもってシャワーを浴びに行きました。
震えながらシャワーを浴びました。
ベッドに潜って寝ようとしたのですが
また痛みと吐き気がやってきました。
ベッドからおりて、トイレに行って
でももう吐くものもなく
寝室に戻って、でもベッドに入れませんでした。
ひーひー言っていたら、
オットが病院に行こうかと言ってくれたので
救急車を呼んでほしいと頼みました。
オットが電話をしてくれているのを
じっと聞いていました。
ショールを体に巻きつけて
一階に這いずるように降りて
小さなバッグに財布と携帯と
メガネケースとタオルを入れて
玄関に行きました。
オットに
子どもたちが起きたときのために
病院に行ってるってお手紙を書いておいてと
頼みました。
玄関のドアに
赤いライトが見えました。
救急車がすぐに来てくれていました。
数段の階段を下りるとき
転がりそうになり、吐きそうになりました。
救急車の中から下ろされた
キャスターのついてるベッドに
(なんて呼ぶんだろう)横になりました。
靴を…と言うと
「大丈夫ですよ。こっちでやります。」と
言ってくださいました。
救急隊の人は何人もいて、次々といろいろ
聞かれました。
オットが答えたりわたしが答えたり
本当にたくさんいろいろ聞かれました。
わたしの意識レベルを
把握してくれているんだろうな
と思っていました。
〈続く〉
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