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五条坂京焼登り窯(元藤平陶芸登り窯)
写真は、登り窯の大口。
五条坂京焼登り窯は元々は藤平陶芸の所有する登り窯で、現存する京焼窯では最大のものです。
アクセス
五条坂の交差点(東山五条)を北向きに進みます。
右手には五条坂があり、その先は清水寺。
直進する道は東大路通ですが、その左手にY字に側道があるので、そこに進みます。
途中の左手に六原公園があり、交差点から約120m進んだ左手に五条坂京焼登り窯があります。
五条坂京焼登り窯は昭和43年まで使用されており、平成20年以降は京都市教育員会が管理しており、通常は非公開です。
まいまい京都の「五条坂 京都最大 藤平登り窯 特別探検!老舗陶器屋主人と京焼のまちへ」で内部を見学出来ました。
開門すると左手に窯への入口があります。
入口を入ると正面が窯の大口がある1番下で、右手奥に向かって窯の上へと上がっていきます。
1番下から一の間、二の間と窯は仕切られており、1番後ろは九の間で最後部に煙突があります。
本来ここの地形は窯の下の部分の方が土地が高く、1番上の方が土地が低いので、土地の高低差に逆らって建てられていることになります。
これは本来この窯が2号機であり、この窯と背中合わせで左右対称に土地の高低差に準じて造られた1号機が西にあったのですが、老朽化で潰されこちらだけが残ったからです。
さて窯は1番下部分にある窯口で火を焚き坂の上へと火が上るので、
1番下の一の間が最も高温に、1番上の九の間が最も低温になります。
一の間では焼くのに高温が必要な磁器を、真ん中に陶器を、1番低温でよい素焼きを九の間に入れて焼いたそうです。
大量に焼くことが出来るので、近所の作家さんの作品も窯の中の一棚いくらと値段を決めて一緒に焼いていたそうです。
また最も焼くのが難しい磁器の焼成は、窯焚師と呼ばれる専門の職人に任されていました。
一旦火が入ると、2日間は焼いてたそうです。
窯の右手奥に進むと、左手奥にガス窯。
煙突の背後に電気釜が残っています。
本来はここに小さな登り窯があったのですが、戦時中にそれを壊して石炭窯にしています。
石炭窯は兵器を作る大きな容器を陶器で造るため(希少な金属は使えないので)に使われていました。
また煙突のすぐ脇には上絵に使う低温の窯である錦窯も残っています。
登り窯のある大きな部屋の北側には、ろくろ場や絵付場も残っていました。
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