萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.31 side story「陽はまた昇る」

2024-03-16 01:31:00 | 陽はまた昇るside story
光、あわくとも温かな
英二24歳4月


第86話 花残 act.31 side story「陽はまた昇る」

雪が青いと知ったのは、この町だ。

「運転で痛みは?」
「はい、ありません、」

答えながらドアかちり施錠して、足もと白く青く埋もれる。
3月終わる午前の町、銀色そまる森と稜線に英二は笑った。

「いいですね、奥多摩は、」

笑った唇ふれる風が甘い。
甘い香かすかに渋い、漲らす冷気に額も髪も染められる。
もう3月、けれど雪満ちる山里ひろがる隣で山ヤが笑った。

「いいだろうよ、奥多摩は宮田の場所だからなあ、」

肚底じわり響く声、告げてくれる。
こんな言葉きっと2年前なら信じられない、けれど今ただ笑った。

「はい、奥多摩は俺の場所です、」

自分の場所、そう言える。
だって全てを懸けた時間がここにある、その長さと笑いかけた。

「でも後藤さん、俺はまだ一年半です。それでも俺の場所だって言っていいんですか?」
「もちろんだろうよ、」

さらり、肚響く声が笑ってくれる。
その横顔あざやかに雪焼け浅黒い、眦の皺やわらな眼がこちらを見た。

「おまえさん、もう山ヤで生きようって決めちまってるんだろう?」
「はい、」

即答すなおに肯いて、肚ことり落ちる。
鼓動ふかく熱をもつ、軋みだす温度に山ヤが言った。

「山ヤの宮田が産声あげたのは奥多摩だろう?おまえさんが山ヤとして鍛えられて育ったのは、この奥多摩だからなあ、」

産声をあげた、そして鍛えられて育った場所。
そんなふうに言ってくれるんだ?

「後藤さん、俺が、そう言って良いんですか?」

問いかけて見つめる真中、雪焼けの目もと皺ほころぶ。
温かな深い眼ざしは英二を映して、いつものように笑った。

「だってなあ、宮田?この俺が、この奥多摩でおまえさんを山ヤにしたんじゃあないのかい?」

山の経験者が卒業配置される。
それが山岳救助隊を務める駐在所の常識で、だから自分の着任は異例だった。
それでも敢えて選んでくれた上司は、ぽん、大きな掌で背を敲いてくれた。

「吉村にも光一にも宮田は育てられとるだろ、二人とも生粋の奥多摩人だよ。奥多摩が今のおまえさんを生んだんだ、」

奥多摩が自分を生んだ。
そんなふうに言えるなら、どれだけ幸せだろう?

「俺、ずっと憧れてきたんですよ…山育ちの山ヤに、」

想い声になる、ほら息が白い。
3月終わる今もう都心は春、桜も咲く、けれど今ここは雪。
こんなに凍えて、桜も遠くて、それでも愛しい場所に微笑んだ。

「ここが俺の帰る場所です、きっと、」

自分を山ヤとして生んだ場所、そして自分は山に生きていく。
ありのままの想い見つめる右腕すこしだけ重たい、けれど温かい。
巻かれたサポーターさっきより馴染んで、そんな感覚ごと笑いかけた。

「後藤さん、七機から青梅署に戻れること多いんですよね?期待していいですか、」

今は第七機動隊の山岳レンジャー所属、そこから所轄に戻る者は多い。
また山の警察官として暮らせたら?すなおな願いに上司も笑った。

「俺だけで決められんよ、それになあ?五日市もおまえさん欲しがってるぞ、」

五日市署は青梅署と隣接、奥多摩の管轄を分け合う。
それに顔見知りもいる、懐かしい遠い山に微笑んだ。

「五日市の方には研修と遠征でお世話になりました、」
「そのとき宮田を気に入ったらしいぞ、今の七機は元五日市が多いしなあ、」

答えてくれる深い瞳、どこか誇らしげに明るい。
こんなふうに笑ってくれること嬉しくて、想い素直に笑いかけた。

「はい、黒木さんと浦部さんも元五日市です、」
「あの二人なら、そりゃ山ネットワークに乗るだろうよ、」

さくり、雪埋もれる道を歩きだす。
登山靴なじます冷気の音、凍てつく風かすかな甘さ慕わしい。
任務でもなくただ山の雪を踏む、のどやかな氷冷に上官が言った。

「黒木から聞いたろうが、おまえさん次の昇進で現場ちっと離れて警大だ。専門学校と時期が重なるが、融通でダブルスクールになるよ、」

昇進、警大、学校。
もう告げられる近い未来たち、その言葉に問いかけた。

「ありがとうございます、でも警察大学校とダブルスクールなんて可能なのですか?」

警大、警察大学校の略称。
一般的な大学とは異なる省庁大学校、いわゆる研修施設。
そんな場所で「融通」など可能だろうか?疑問に上司が口をひらいた。

「蒔田がなんとかする言ったから可能だろうよ、おまえさんも骨休めにちょうどいいんじゃないかい?」

ちょうどいい、そうかもしれない。

『症状が軽い初期なら数ヶ月で回復することが多いです。ですが無理をして、もし神経が強いダメージを受けると軸索変性という状態になります。』

ほら、現実が脳裡めぐりだす。
まだ3時間くらいだ、吉村医師に告げられた現実たち。

『軸索変性になると回復速度は1日1mmとも謂われているんだ、そして肘から指先まで30cm以上あるだろう?もし放置すれば完全な回復が得られないかもしれないんだ』

山の警察医が告げたこと、そのためにも「融通」はちょうどいいのだろう。
息ひとつ吐いて英二は微笑んだ。

「はい、しっかり学んで休みます、」
「うんうん、それがいい、」

肯いてくれる雪焼けの笑顔ふっと緩む。
このひとも緊張いくらかしていたのかな?つい見つめた真ん中に言われた。

「あとな、筋トレも負担かけない方法でやるんだぞ?おまえさんはマジメだから心配だよ、休養もマジメにとってくれな、」

こんな心配されるんだ、この自分が?
2年前と違いすぎる今、なんだか可笑しくて笑ってしまった。

「はい、まじめに負担かけない方法でやります。きちんと休養もしますね、」
「ぜひそうしてくれよ?よくよく体は大切になあ、」

返してくれる声、深く響いて温かい。
大切にと言ってくれるんだな?素直な感謝に笑いかけた。

「はい、大切にします。自由に山を歩けるように、」

声にした想い、稜線はるか銀色にじむ。
雪曇やわらかな銀色が青い、頬ふれる冷気ほろ苦く香る。
ただ歩いてゆく静寂ほの明るい、否定も肯定もなく、ありのまま自分でいる。

(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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