萬屋の視点

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ふきのとう 柿の実色した水曜日

2017-08-08 | 音楽
ふきのとうの曲で好きな曲はたくさんあるのだが、中学生で初めて知ったふきのとうはデビューして6.7年過ぎていたと思う。
中でも最初に気に入って聞いていた曲が柿の実色した水曜日であった。
山木康世作曲のこの曲は「人生・春・横断」に収録されていたと思う。
市販のギター教則本にでていた。
別れた後の未練を甘い感じに歌詞にしたこの歌、自分に重なるところはなかったがあの、独特の空気感がよかった。
ここから、ふきのとうにのめり込んでいくことになる、1980年の5月ころの話。

長渕剛 「逆流」

2016-09-25 | 音楽
1980年 中学生の頃フォークギターを弾き始めて半年たった頃だろうか、長渕剛を知ることになる。
「順子」がヒットしていたが、なかなか異性の名前を声に出して歌うというのは恥ずかしいものであったが、美術の授業でレコードジャケットを書くというやつがあった。自分は最初に覚えたグレープの精霊流しを書いたと記憶している。周りはNSPの「愛のナイフ」やふきのとうの「春雷」とかがあった。その中に「祈り」という作品を書いていた女の子がいて、構図は斜め上に明かりがあり片膝をついて祈る男を描いていた。
優等生なその彼女に好意があったわけではないが話しやすい子だったので「これ誰の歌?」ってきくと長渕剛だということを教えてくれた。
近所に住む2つ年上の友人がアルバムを持っており、カセットテープに録音してくれた。長渕剛のアルバム「逆流」は2枚目なのだが自分にとって最初のアルバムとなった。
今の長渕剛はムキムキで兄貴なんて呼ばれてかっこいい感じがするが当時はなんか女々しい感じを受けていた。
曲は今も当時もその時時でいいと思う。
ただ自分は時代は「僕らに雨を降らしてる」までくらいしか真剣に聞いていないので以後の曲はあまり知らない。
加えて云うならスタイルは変われどあれほどパワフルに歌えることと第一線で活躍し続けるには相応のことがない限りは難しい。
歌い続ける(この場合売れ続ける)にはそれなりにファンの数も必要なことから日本で数少ない歌手であると思う。
さて、逆流の話に戻ると中で一番好きな曲は「素顔」だ。
中学生という多感な時期、大人になろうとする時期に音楽というものは自分にとって大きなものであったことには間違いない。

予土線 伊予宮野下駅

2012-10-24 | カメラ&写真


宇和島市三間町(旧 北宇和郡三間町)といえばコスモス祭りなどあちこちでコスモスの花が見られる。
今日もGRDで撮影。
予土線を撮り始めて20年近くになるが、間ずいぶんご無沙汰していました。
最近やっと、撮る意欲がわいてきて再び撮影しています。
先日、吉野生付近にいくと、バイパスが完成していて情緒ある橋や、商店街を通ることなく蕨生まで出ることに驚いてしまった。
さて今回は、少し色目だけ手を入れての作品。
秋らしさが出ていればいいけど。

憂歌団 島田和夫さん急逝 残念

2012-10-03 | 音楽
今日、移動中のラジオで島田さんが急逝されたことを知った。
憂歌団、ラジオでは98年に解散といっていたが活動停止と理解している。
憂歌団は自分にとって青春そのものだった。
またいつか憂歌団の演奏を聴けることを夢見ていたが、残念でならない。
初めて聴いた曲は「シカゴバウンド」で曲もさることながら、島田さんの絶妙なブラシに感動したのを昨日のことのように覚えている。
それから、何度もライヴに足を運びCDを購入し、譜面まで買っていた。
今夜は憂歌団を聴きながら寝よう。
島田さんのご冥福をお祈りするとともに、木村さん内田さん、花岡さんのご心痛にお見舞い申し上げます。

最近の音楽についての雑感

2012-07-30 | 雑感
先日、シンガーの桑名正博氏が倒れられたニュースを聞いた。
自分の中では、本物の歌手である。
今もなお、声に張りがあり艶があり国内で彼のような歌手をあまり知らない。
個人的な趣味であり個人的な考えであることを前提での話になるが。
自分の思うところの歌手と言えば
ジョー山中、桑名正博、木村充輝、北島三郎、五木ひろし、布施明といったところか。
女性では渡辺真知子、八神純子、尾崎亜美か
若い時代はもちろんだが、色あせない、ますます味の出る歌手はそうはいない。
昔のヒットソングを現在歌うテレビ番組があるが多くの歌手は「頼むから歌わないでくれ」と祈ることが多い。
誰かが「声をなくした」と表現していたが、まさにその通りである。
ジョー山中さんも亡くなってしまった。
桑名正博の復活を祈るばかりである。
自分が知らないだけかもしれないが、本物の歌手が出てくることを祈らずにはいられない。