息子に
“今日はどうだったぁ?”と
よく聞いてしまうせちです
皆さんの今日はどんな1日でしたか?
気付きがすきなせちです。
こういうことを子供にいちいち聞かなくてもいいという話をよく聞くのですが…
わたしもいちいち聞かれるの嫌な人なのに
息子の“聞いてもいいよー”という言葉に、
え?と思いながら彼の言葉に甘えてますw
(でも、彼がお年頃になったら聞くのやめようと思ってます)
(まぁ、、、今、既に若干、反抗期入ってる息子のなので、そろそろやめ時と感じてますが、どうもわたしに話を聞いて欲しいのもあるようです)
そんな息子が
夫とわたしに質問をしました。
「パパ、今日、楽しかった?」
「色々あったけど、楽しかたなぁ」
「ママは楽しかった?」
「(あれ?!)楽しかったぁ」
「おれも!」
息子は楽しかった話をしたかったみたいで
団欒が楽しいみたい。
わたしの心の “あれ?!”…
ぢつは、
ちょっと凹んでたんです。
わたしの気持ち…
息子に「楽しかった?」と聞かれ、
あれ?!心は凹んでたけど
現実は、なかなか楽しかったぞ?
あれれ??
あらやだ、わたし。
楽しかったんじゃない?w
(家政婦はみた…のよ。悦子さん風です)
考えることが好きですが…
昨日からあることを考えて、考えて…気持ちが少し凹んでいたのです。
何かネガティブと感じる事があると
自分の思うところの着地点に着くまで延々と考えるところがあります。
カラーメンタリング。
わたしの持つ“紫”や“黒”が出ています(久しぶりにカラーの話しなども交えてみました)
いつまでも考えていられるんです、わたし
なかなかの才能なんですw
内向きエネルギーかなり強めですw
そんなわたしのこの日の現実…外側は、
よく笑った1日だったのです。
仕事先の研究室で
実験の準備が上手くいかなくて、先生に助けてもらったとき(実験…準備が大変な時があります)、
「実験は五感をフルに使うんだよ」と先生から名言頂きまして、
“おおおお”と、こころ密かに震えてた。
先生の言葉に
準備から実験が始まっているんだって感じて…
改めて新鮮な気持ちでした。
ニュースのメインだったノーベル賞の真鍋教授も研究が楽しいってお話されてましたが
わたしが働く研究室の教授も、研究の話になると目が輝いて、とても楽しそうに語られるんです。
命が光を放つ瞬間に出会えるのは
わたしにとって喜びを感じる瞬間です。
この日、仕事仲間と先生との会話も楽しくて、よく笑った1日だったのでした。
だから、
こんなに楽しく笑ったのに
内側は凹んでたの?!
って。
息子の質問で我に帰りました。
あれ?ってね
内側は凹んでて。
外側は笑ってた。
同時に感じてる
それぞれの気分。
頭で考える思考を
“自分の気分の全て”と感じやすいですが
頭だけが
自分の気持ちじゃない。
色んなことに対して
頭以外のものが感じてることを知っていると
何かのきっかけで
ふっ、と
凹みから脱する事が出来る瞬間
本当は何を選んでもいいのに
凹んだ方を選択して
“なんで笑った方を選ばなかったんだろう?”と思ったりしちゃう。
自分を責めちゃうことって
よくあることで。
そんなとき、
責めた自分も含めて
気づけなかった自分を許してあげたら
気持ちが軽くなって
自分を責めてしまったからって不幸なわけではない。
だって、
笑ってたわたしがいたし、ねw
そんな事で
誰もわたしを罰したりしてない。
いつも自分を追い詰めるのは
自分しかいないんだよね…って、
こんな時、よく思います。
そんなことを感じて
思考…考えてる頭から
フォーカスしてるのを外してみると
大きく広がってる“わたし”を感じました…
あらやだ、わたしたち。
いつも広がってるのね…w
そんなことを感じたり思ったりした
せちでした。。。
今日もありがとう
せち