ウシュアイア 監獄博物館  | Always Smile ♡ 私のチクチク日記

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2024年、4年間暮らしたサンパウロから本帰国しました。まだまだ、人生波瀾万丈。
日々のできごとやパッチワーク、ゴルフのことを書いたブログです。
怒っても1日、笑っても1日。どうせなら笑って1日を過ごしたいなぁ^^
 

こんばんはニコちゃん

 

晴れ晴れ

29度でした。

 

 

さて、ウシュアイアの歴史を語る上でとても重要なのが監獄です。

 

フエゴ島は、北はマゼラン海峡、南はビーグル水道に挟まれ、地理的に重要な場所です。

それで、アルゼンチン政府はここに町を作り、アルゼンチンの領土である事を示したかったようです。

 

それで、イギリスがオーストラリアに監獄を作ったのを見習い、アルゼンチン政府は防衛と開拓目的でウシュアイアに監獄を作り、街を作ろうと考えました。

 

1896年に最初の囚人が到着しました。そして、1902年から監獄の建設が始まり、1920年に完成します。

 

そして、1947年にペロン大統領が監獄の閉鎖を命じ、現在は博物館となっています。

 

上から見ると、こんな形。

どこかで見たと思いませんか?

 

 

これは、日本の網走刑務所。

作りがよく似ています。

 

 

網走刑務所も同じ考え方で、ロシアからの脅威を防ぎ開拓するために、刑務所を使ったんです。

 

 

ウシュアイアの監獄には、一般の犯罪者や政治犯などが収容され、多い時には600人以上の囚人がいました。

 

所々に、蝋人形がいます。

 

 

囚人服は左の横じまの物です。

 

 

 

薪ストーブがあり、2階建での建物に独房が並んでいます。

 

 

 

 

こちら、トイレ

 

 

こちら、シャワー室

お湯が出たのかなぁ?

 

 

囚人用の足かせ

 

 

 

 

刑務所から25kmの距離の鉄道を敷設し、木材を切っては運んでいました。

世界最南端の鉄道です。

 

次の日に、鉄道にも乗りましたので、また、紹介しますね。

 

 

こちらは、中央ホール

サッカーをしたり、映画を見たり、会議をしたり、講堂としてなど、あらゆる場面で使われました。

 

 

他にも海洋博物館などもありましたが、監獄博物館だけ紹介しました。

 

どんよりとした空気感があり、パワーレススポットでした。

 

 

ウシュアイア監獄博物館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

では、みなさま今日もすてきな1日を~。クローバー
 
 
 
 
今日も読んでくださり、ありがとうございます。

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