こんばんは
晴れ
29度でした。
さて、ウシュアイアの歴史を語る上でとても重要なのが監獄です。
フエゴ島は、北はマゼラン海峡、南はビーグル水道に挟まれ、地理的に重要な場所です。
それで、アルゼンチン政府はここに町を作り、アルゼンチンの領土である事を示したかったようです。
それで、イギリスがオーストラリアに監獄を作ったのを見習い、アルゼンチン政府は防衛と開拓目的でウシュアイアに監獄を作り、街を作ろうと考えました。
1896年に最初の囚人が到着しました。そして、1902年から監獄の建設が始まり、1920年に完成します。
そして、1947年にペロン大統領が監獄の閉鎖を命じ、現在は博物館となっています。
上から見ると、こんな形。
どこかで見たと思いませんか?
これは、日本の網走刑務所。
作りがよく似ています。
網走刑務所も同じ考え方で、ロシアからの脅威を防ぎ開拓するために、刑務所を使ったんです。
ウシュアイアの監獄には、一般の犯罪者や政治犯などが収容され、多い時には600人以上の囚人がいました。
所々に、蝋人形がいます。
囚人服は左の横じまの物です。
薪ストーブがあり、2階建での建物に独房が並んでいます。
こちら、トイレ
こちら、シャワー室
お湯が出たのかなぁ?
囚人用の足かせ
刑務所から25kmの距離の鉄道を敷設し、木材を切っては運んでいました。
世界最南端の鉄道です。
次の日に、鉄道にも乗りましたので、また、紹介しますね。
こちらは、中央ホール
サッカーをしたり、映画を見たり、会議をしたり、講堂としてなど、あらゆる場面で使われました。
他にも海洋博物館などもありましたが、監獄博物館だけ紹介しました。
どんよりとした空気感があり、パワーレススポットでした。