今年はイロイロありますな。
Davidも殿下もお亡くなりになりますたね。。。
ちょっと整理がてら書きます。

Davidと殿下は、オレにとって大変大変重要な体験ですた。
彼らによって、アイディアのアウトプットとエンターテインの両立こそアートフォームの完成形だと強く認識させられたのだと思います。
その認識は今現在のオレも全く変わるどころか、むしろより強く感じていることです。

Davidはまさに時代を映すアートですた。
仮面を被り、時代を反映したキャラクターになりきって作品を作る。
その時その時の体験を主軸に、 当時一番勢いのあったRockというフォーマットでそれを表現したわけです。
70年代は音楽的豊饒さで群を抜いた最高の時代ですが、彼はその頂点の一人やと思います。
彼の70年代の作品はありえないくらい素晴らしい。
ありえないほど素晴らしいです!
そして80年代のLet's Danceもオレはプロデュース力を見せつけたイイ仕事やったと思います。
ナイルロジャースを引っ張ってきて、白人の本格的ソウル系ダンスミュージックで世界中を席巻するっつうね。
それはつい近年、ダフトパンクが同じことやるまでオンリーワンの事例ですたからね。
80年以降の彼は今ひとつとよく言われちょることですが、それはむしろ80年代後半が時代的に音楽界自体が微妙やったのがむしろDavidの作品に反映されたっつううことじゃねぇかと。
ちょうどサントラベースが売れまくってチャラい商業主義が跋扈した時でしょ。
まぁラビリンスとかビギナーズとかを思い出していただければw
オレはあれも嫌いじゃないですけど。
まぁDavidの30代っつう年齢もあるやろうけど時代が変わったんですよ。
ヒリヒリした生と死が、安定の商業に取って代わった。
Davidの出る幕はなくなったわけです。
そんな中彼は、ついに仮面を外し私小説のような独白を始めます。
70年代ほど強力ではないけれど、それなりの良作を発表。
最後は自分の死と向き合って、それを題材に70年代に勝るとも劣らない傑作を発表してお逝きになられたと。
クソかっちょいいっす!
最高ですた!
アートのなんたるかを学ばせていただきますた。
ご冥福をお祈りいたします。

殿下はそういう意味では時代の反映なんて興味ない人で、未開のフロンティアのあった70年代までと違って音的な新しさとは無縁な80年代においてただ一人、膨大な音楽的アイディアをいかにエンターテインに落とし込むかをやった人と思います。
そしてそれを見事に具現化したのが84~89の作品群で、オレは実体験としてあれを超える衝撃を受けたことはないし、今後もないんだろうと思うちょります。
この期の殿下の作品は他の誰とも全く違う、JBをはじめ6~70年代の豊饒をなぞらえたインプットを新しい表現に変化させた実験を数多く行いながらポップでもあるという、これまたアートの進化の本質を体現したものです。
今聴いてもクソやべっすw
ただ商業ベースのレコード会社の思惑とはだいぶずれたんでしょね。
作品のクオリティと売ることの両立が厳しくなって、90年代はやりたいことも出来ず、レコード会社との折衝なんかで疲れたんやろなと。
2000年以降は自分が楽しくやることにシフトした結果、それが実は客にとって身近で親しみやすく、巨大なリスペクトへ変化したと。
もちろんステージは最上級のエンターテインではあるわけですから。
殿下はそれを感じて、あーもうこれでいいやって思ったんじゃないすかね。
元々のアイディアを引き出してきて、2010年代の空気でもある80年代風の音を、楽しくアレンジしてライブする。
ジャジーにロックにダンサンブルに、完璧なエンターテインショウとして。
十八番で気持ち良さそ~にギター弾きまくってね。
オレは案外それは幸せなことやったんじゃないかなと思っちょるんです。
好きなことやって客も喜んで。
惜しむらくはソロピアノツアー生で観てかったなぁ。。。
ご冥福をお祈りいたします。

さて、オレは彼らを反映した作品を世に送ることがその責務やと勝手に思っちょります。
2010年代のアートは、時代の反映ではなく、芳醇な体験を自らが楽しんでアウトプットすることだと思っちょります。
それが勝手に時代を反映するかもしれないとは思いますが。
ま、どっちにしろ今後も好き勝手やります!

David, Prince, thanks a lot!
I never forget!!!