相手の目を見れない、視線が気になる、対人恐怖症とその原因 | 対人恐怖症とたたかう奮闘記

対人恐怖症とたたかう奮闘記

対人恐怖症で苦しんでいる人のために
少しでも役立ってもらえれば嬉しいです。
これまで長年格闘し、経験したことを綴ります。

他人と面と向かって話すことが苦手な人は「口数が少ない奥ゆかしい性格」と思われるかもしれません。

 

 

他人の視線を気にしている人は「自分がどう見られているかを常に意識している素晴らしい人」と評価されるかもしれません。

 

 

しかし、それは当人にとっては、社会生活を送る上でとても息苦しく感じていることかもしれないのです。

 

対人恐怖症の症状

すでに述べた2つの例は、対人恐怖症から来る症状かもしれません。

 

先述した2つの症例の他に、具体的な症状としては以下のようなものがあります。 

 

・赤面恐怖:人前で赤面するのではないかという恐怖

・醜貌恐怖:自分の見た目が醜いのではないかという劣等感から来る恐怖 

・自己視線恐怖:自分の目のやり場がわからない不安からくる恐怖 

・自己臭恐怖:自分の体臭が周囲の人間に迷惑をかけているのではと思い込む恐怖 

(BrainPhysics.comより引用) 

 

これらは当人が思っているほど、他人は気にしていないものばかりです。

 

たとえば醜貌恐怖は、他人の目から見ればそれほど醜くない(女性の場合はむしろ可愛い、男性の場合はむしろかっこいい)のにも関わらず、当人がそのように思い込んでしまっている症例が多いのです。

 

そしてそれらをきっかけに引きこもりなどになり、普通に生活を送ることが困難になり、対人恐怖症の典型です。

 

対人恐怖症の要因

ではこの原因と呼べるものはなんでしょうか。

 

これに対する解答例は、心療内科のウェブサイトや精神病に関する考察ページなどにたくさん書かれていますが、それらは一言で、「恥を重く受け止める文化によるもの」と書き直すことができます。

 

出る杭は打たれる傾向にある日本社会では、集団行動から外れたり、奇抜な考え方やファッションセンスを持っている人間は揶揄されることが往々にあります。

 

そうした環境に身を置くことで、いつしか自分は恥ずかしい存在だ、と自分を責めるようになります。

 

人前で失敗した経験から、二度とあのような恥ずかしい体験はしたくないという思うようになり、対人恐怖症へと陥るというのはよく目にする事例です。

 

欧米における対人恐怖症の位置付け

個人を尊重する欧米では、このような対人恐怖症は馴染みのないものです。

 

その証拠として、対人恐怖症は英語でもTaijin kyofushoとそのまま呼称されています。

 

つまり過労死が英語でKaroshiと表記されるように、これは日本特有の社会・文化から発症した心身症の一つなのです。

 

対人恐怖症と寄り添える社会へ

連日行われている労働問題の報道により、人々は日本社会の闇に関心を集めつつあります。

 

対人恐怖症という精神疾患が日本人の身近に存在するものだという理解を得られる日も、そう遠くない将来に訪れるでしょう。