5月の4連休最終日(糞短)
〆のブラアラキ
駅から徒歩15分
室町時代後期、宇都宮氏の家臣壬生氏による築城
壬生氏は後に後北条氏の家臣に
江戸期には様々な大名が入れ替わり、最後は鳥居氏が入り8代続き明治に
天守や櫓はなく質素な城郭だったけど、本丸御殿は江戸時代初期に将軍の日光社参の宿舎に用いられていたそうな
3年前に発見されたとかw
現在は城址公園となっており、遺構は殆ど残っておらず
こちらは江戸時代に領地の境界を示す為に建てられた標柱を城址内に移したもの
社号標
で、この神社は・・・
関ヶ原の戦いの前哨戦である京都伏見城の籠城戦で自刃した鳥居元忠を祀った神社元忠の子孫は何人か不祥事を起こすんだけども
その度に元忠の勲功のお陰で取り潰しは免れ減封・移封で済まされ
最後はこの壬生に落ち着いたわけで
二之鳥居
確認するのを忘れたけど、この門前にも先程の壬生城大手門の礎石があるそうな
拝殿
質素な造り
本殿 血染めの畳は、元は江戸城伏見櫓の階上に安置し登城した大名達の頭上に掲げられたとか 社号標 緑に囲まれた静かな参道 二之鳥居 随神門 拝殿
拝殿も同じく1686年の造営
本殿 社号標 杉の木に囲まれた神々しい参道 周りの森林もマイナスイオンが半端ない(〃∇〃)
緑の中を進む参道
二之鳥居 拝殿
両側に大きく広い立派な拝殿 本殿 緑に囲まれ気持ち良い境内でした
八島(8社)は橋で全て渡ることができ、まぁ庭園の様な場所やね
栃木の名石「大谷石」で作られた蔵!
西側の鳥居 幹線道路からの案内板 次に神社から徒歩6分
1979年から続くという洋食レストラン「ランデヴー」さん 本当は「真鯛ときのこのグリエ」というお魚ガーリックソテーを食べたかったんだけども、入る時間が遅く完売
拝殿
質素な造り
本殿
本殿裏には
元忠が自害した際の血染めの畳が埋められているという「畳塚」三河武士の鏡、ここにあり!
次に精忠神社から徒歩15分
雄琴神社所在地:栃木県下都賀郡壬生町通町
創建:伝1091年
写真は一之鳥居
平安時代後期に清原氏が祖先の舎人親王を祀ったのが創建
創建当初は「藤森神社」
室町時代後期になり、地元武士の壬生氏が近江大津の雄琴神社から壬生氏遠祖の神霊を勧請して合祀し「雄琴大明神」と改称
室町時代後期になり、地元武士の壬生氏が近江大津の雄琴神社から壬生氏遠祖の神霊を勧請して合祀し「雄琴大明神」と改称
江戸中期1686年の造営
拝殿も同じく1686年の造営
本殿
本殿も随神門・拝殿と同じ時期に造営
境内外には
黒川先に見えるのは東武宇都宮線の陸橋
反対側を望むと
日光方面の山々が
高いのは男体山かな?どうかな?
次に駅に戻り一駅乗り
野州大塚駅で下車徒歩17分
森が見えてきた
この森の中に鎮座するのが
大神神社所在地:栃木県栃木市総社町
創建:伝・崇神天皇48年
奈良の大神神社から勧進
後にこの近くに下野国の国府が置かれた為に下野国総社を担う神社に
緑の中を進む参道
素晴らしい雰囲気
参道の途中には
あの道鏡が失脚した後にこの地に飛ばされた事を伝える碑文碑文ではやんわり書いてあるけど、道鏡についてはいろいろアレなんで省略←
護王神社推しゆえに←
参道を更に進み
二之鳥居と社殿が見えてきた
その手前には
参道の両側に立つ夫婦杉2セット!
特に2枚目のは4本束になってる!
こういう夫婦杉は初めて見たけど圧巻!
これは夫婦やなくて4人家族杉やん←
2セットの立派な夫婦杉の先には
二之鳥居
両側に大きく広い立派な拝殿
社殿は大きいけど彫刻や派手な装飾はなく質素な造り
境内には更に
「室の八島」と呼ばれる池と8つの島があり
奈良時代から都にまで名前が知れ、「万葉集」「古今和歌集」など多くの和歌集に枕詞として登場する程の有名な場所だったそうな
江戸期には松尾芭蕉の「奥の細道」にも登場
現在は鹿島・香取・熊野・浅間・二荒山・天満(天神)・雷電・筑波の錚々たる八社が末社として祀られておる欲張りやなぁ←
八島(8社)は橋で全て渡ることができ、まぁ庭園の様な場所やね
境内で高まったのがもう一つ
栃木の名石「大谷石」で作られた蔵!
これが一番高まった(ノ^^)ノ
参拝後、帰りは西側の参道から
こちらの参道も素晴らしい雰囲気西側の鳥居
ん?下野国一之宮を名乗ってるの?
下野国一之宮は日光の二荒山神社なんだけど・・・
ま、触れないでおこう←
そうでなくても素晴らしい雰囲気の神社でした
1979年から続くという洋食レストラン「ランデヴー」さん
食べたのは「キチンカツとハーフカレーのランチプレート」
泥の中を突き進むウナギさんの様に困難を乗り越えられる御利益が得られるそうな
2023年の5月連休、これにて完
今回の御朱印