イスラム過激派にはいろんな呼び方があります。
東南アジアにも各国語でいろいろな呼び方があります。
私の考えは、以下の通りです。
普通のイスラム教徒が「声をあげる」こと
-
-
- 「自分には関係がない」と閉じこもっていませんか
- 「閉じこもり」は「過激派」の思う壷
- 「声をあげない」から「過激派」がのさばります
- 「過激派」のいやがらせを感じていませんか
- どんな宗教でも、ある時代「過激派」がいました
- いまはイスラム教徒が声を出す番です
- 異教徒は「声」で「過激派」と判断
- 「過激派」は「穏健派」のふりをします
- 民衆に紛れこんだ迷惑千万な自爆がそう
- 「過激派」に声を出さず、「宗教差別」に声を出す
- 不都合な場合に声を潜め、都合がいいと声を出す
- 「過激派」に従い「宗教差別反対」で「宗教差別」されますか
- 「過激派」の偽装イスラム教徒ですね
- 高位の人に任せてはいませんか
- あなたが「過激派」へ「抵抗する」番です
- ひょっとして「過激派」をイスラム教普及に利用?
- 「過激派」は抵抗が永遠に続くことを願っています
- ならば、「過激派」の言う通り永遠に続くでしょう
- すべての教徒は「声を出す」訓練をしてきました
- 老いも若きも老若男女を問わず・・・・
-
最後にもう一度・・・・
普通のイスラム教徒が「声をあげる」こと
さてさて、皆様はどう思われますか。