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~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

なんで?

2021年10月02日 | エッセー
 なんで?
 って聞かれた。
 私が人に見られたくない、あるいは、触れられたくない愚行(わかっているのについつい後回しにしているようなこと)を触れられて、『なんでそうするの?』というような疑問をぶつけられた時、めちゃくちゃ不快だった。なんでって聞かなくても、私のずさんな性格のなせるわざに決まっているってわかっているのに、あえて、『なんで?』って聞かれた時、傷口が拡がった。

 そうじゃなくて、『うわぁ~、びっくりした。すごいねぇ。驚いた。』って、正直なリアクションをしてくれたのだったら、まだ、よかったのに・・・。

 その時、私は、初めて、明らかに本人もしなきゃいけないと思っていることができないという愚行に関して『どうして?』とか『なんでそうするの?』『なんでできないの?』って、聞くことは、その人を批判しているのと同じなのだということに気づいた。

 これは、大きな収穫だった。

 私の人生で、想定外の言動で、私を貶めようとしてくる人たちは、自分が正しいというスタンスだった。自分が正しいというスタンスだと、口から飛び出す言葉は、どんな言葉でも、批判でしかない。
 でも、その時、私も、『なんで』この人はこんな恐ろしい言葉を私に吐き出せるのだろう?ってめちゃくちゃ思った。やっぱり、なんで?ってなっていた。なんでこの人は、こんな恐ろしいことを平気で言えるんだろう?って目線で、でも、怖くて言えないから、押し黙っていた。
 
 自分と思考回路が似ていない人の言動には、いつも、なんで?ってその理由を探していた。
  なんで?どうして?不思議だ。理解できない。なんで?
 好きとか嫌いというのではなく、なんで?っていつも不思議がっていた

 ふと、子育て中の親子の姿が目に浮かんだ。

 なんで、お片付けができないの?
 なんで、宿題を先に済ませてからゲームできないの?
 なんで、忘れものばかりするの?
 
 と、わが子に、なんで?どうして?を連発する途方に暮れるママを見かけることがある。
 したくないからに決まってるじゃん。
 優先順位が下の方だからに決まってるじゃん。
 ここがポイント。優先順位にはしっかり入っている。しかし、おそらく、毎日、宿題は最下位のポジション。

 あれ、子どもは結構しんどいだろうなって、わかっているのにできないことをなんで?って毎日毎日がみがみ言われて。
 と、あることで、なんで?って聞かれて、そんなに苛めないでよって心理になった私は、ハッと気づかされた。

 なんで(できないの)?
 は、育児に禁句だ。

 なんでできないの?は、母から子への苛めだ。
 私は、掃除が好きではない。
 私の友人に、焦げた鍋を磨くのが大好きって人がいる。ストレス発散になるんだって。私は焦げた鍋をついつい見て見ぬふりして過ごし、最後の最後に、その鍋がないと困るような状況になって、ようやく重い腰を上げる。
  
 もし、私がその友人から、なんで鍋を磨かないの?と毎日、言われ続けたら、縁を切るだろう。焦げた鍋を放置していることは、決して胸を張っていられることではないとわかっている。むしろ、恥ずかしいことだということも。それでも、優先順位の最後になってしまっているのは、したくないから。というか、優先順位の下の方でウロウロしているから。
 鍋磨きの好きな友人にとっては、理解できないことかもしれない。
  で、私はその鍋磨きが好きな友人に、わたしんちの鍋、全部持っていくから磨いて~~~って冗談っぽくおねだりした。

 好きな人が、あるいはしたい人が、もしくは困っている人がすればいい。
 
 子どもが、親からがみがみ言われないとしないことは、私の鍋磨きと同じだ。子どもはすごい。毎日、言われ続けても、母親と縁をきるなんてしない。できない。

 私だって、いつかは、鍋磨きをする。最後の最後にはする。鍋がないと困るから。
 子どもはどうだろう?
 少なくとも、宿題に関して、もし、毎日、言われなくてもするタイプでなかった場合、毎日、毎日、母親から、『なんで、宿題しないの?』『なんで、宿題してからゲームできないの?』って言われ続けたら、一体全体、どんな気持ちになるだろう?どんな人間になるだろう?
 宿題を出したのは先生だ。
 宿題をしてこなかったら困るのは先生だ。
 宿題の量がこの子にとっては多すぎたのかもしれない。
 宿題の内容がこの子にとっては難しかったのかもしれない。
 宿題しなくても、要は理解できていれば、あるいは、覚えていればいいのだから、どうしたら、習得できるかを先生も保護者と生徒といっしょに思案できたらいい。
 一人でたくさんの生徒を見るのだから、現実的ではないかもしれない。

 でも、毎日毎日、母親にがみがみ宿題はしたの?と言われ続ける世界ってどうだろう。なんでできないの?って毎日毎日言われて幸せな子はいない。

 個人的には、小学校は、読み書きそろばんでいいのではないかと思う。それ以外は、興味のある科目に生徒が選んで授業を受けられるようなシステムがあったらいいな。
 そしたら、担任の先生は、個別に対応する時間を確保できる。
 ただし、差別的な空気感を出さないような配慮ができないのなら、しない方がいいかもしれない。

 一言、なんで?って、どうして?って言われた時の、自分の気持ちが、『そんなに言わないでよ。自分でもしなきゃいけないとわかっているけれど、ついつい見て見ぬふりでやり過ごしてきたことなんだから。今度の土日にやるから、もう、これ以上言わないでよ。まるで、苛められているような感覚になるから。』
 
 だから、どうしてできないの?は苛めだと思った。

 ただ、そう言われたことで、土日にやろうと決心した。そして、土日にするからと決意表明した。その結果、土日の優先順位の3番目くらいまで順位があがった。
 その人の中で、優先順位リストに入っている限り、きっかけさえあれば、優先順位の上位にアップすると思う。

 毎日、宿題は?とか忘れ物はない?とかガミガミ言わざるを得ない人は、まず、わが子の優先順位リストにのっているかをわが子に確認してみるといいのかもしれない。リストにのってなければ、リストに載るまで見守ってあげれたら、いいかな?リストに載っているけれど、最下位だったら、どうしたら、上位になる?ってわが子に聞いてみたらいいかも。
 
 さしずめ、私の鍋磨きとか冷蔵庫の掃除とかをついつい後回しにしてしまう大きな理由の一つは、体力不足。
 日々、ギリギリの体力で生きてきた。危うく寝込みそうなしんどさを気力でカバーし生きてきた。
 磨くのが好きって人は、元気な人か潔癖症か。

 もう一つの理由は、夫が家事育児にノータッチで、おまけに仕事もサービス残業の日々で、自分が倒れないために、編み出した思考回路が生活習慣病レベルになってしまったため。そう。見て見ぬふりがめっちゃうまくなった。

 私の結婚してからの口癖は、

 『死なんさかすればいい。』
 
 昔の人は、『汚れはかんころしゃせん。』って言っていた。

 
 なんだか、きっと、おそらく、自分のことを見て見ぬふりがうまくなると、他人のことも結構、見て見ぬふりができるようになったような気がする。よほどのことがないかぎり・・・。
 これは、収穫だ。
 他人のすることが気にならないって、楽に生きる上で必要なツールだと思う。自分と違う行動をする人をいちいち気にしていたら、感情が大揺れして大変。
 それにしても、『なんで?』って聞かれて、苛められているという感覚に陥る体験も大きな収穫だった。
 『なんで、この人はこんなことをするんだろう?』とか『なんで、そんな言い方をするの?』などと思ったときは、『なんで?』って聞かない。『びっくりした~~。』と正直に自分の気持ちを話す方が、相手は傷つかないかもしれない。

 子どもにも、『なんで宿題を先にできないの?』と『なんで?』と言わず、正直に『お母さんは、宿題が終わってからゲームをしてくれると気持ちが楽なんだけど』とか『お母さんは、宿題の前にゲームをされると、宿題が終わるかどうか気になって心配でゆったり過ごせないの。』などと自分の気持ちを訴えたら、子どもの心は傷つかないのかもしれない。
 
 
 
 

 
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