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~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

うつ病は重症でも2週間で治る、もし・・・

2022年11月03日 | エッセー
本屋さんで、そのワンフレーズが刺さって、つい買ってしまった。
加藤諦三さんの本。
そのワンフレーズとは『うつ病は、重症でも2週間で治る、もし・・・・・。』
と、アドラーが述べた言葉。

 もし・・・の後の言葉が、刺さった。
 やっぱりね。
 そうだよね。
 おそらく、人生ってそういうこと。
 生きる意味ってそういうこと。

『もし、毎朝、あなたがまず最初にすることが、どうしたら人を本当に喜ばせてあげることができるかと考えることであり、そしてそれに固執すれば』

 固執するんかい?

 もう、めちゃくちゃ刺さった。

 おそらく、うつ病に限らず、そんな人になれたら、病気しないかも。

 よいと頭ではわかっているので、毎朝、お線香炊いて、今日こそ、人に役に立つことだけ、喜んでもらえることだけを考えることに専念するぞ!と手を合わせているけれど、そう念じながら、新人のマイナス評価をしてしまっている情けない自分がいる。
 全然、固執できない。油断すると、マイナス評価に固執してしまう。いえいえ、油断しなくてもすぐマイナス評価に脳みそが支配されてしまう。
 残念な生活習慣病である。

 自分では、ネガティブ思考だとはちっとも思っていない。
 でも、油断すると他者のマイナス点が直ぐ目についてしまう。目についても結構流せてきたかなとは思う。でも、そこに喜んでもらおうというような気持は同居していない。
 家の主人はマイナス評価人で、そこに、ちょこっと喜んでもらい人が居候させてもらっているような脳みそだと思う。
 そうじゃなくて、喜んでもらい人が主人で、マイナス評価人がちょこっと居候しているような脳みそにならいと、『病気』は、私という家からサヨナラしてくれないのかもしれない。

 それにしても、固執か・・・・。
 なるほど。
 固執とは、寝ても覚めてもそのことを考えてしまうという感じか。
 朝、起きた瞬間に、条件反射的に『どうしたら誰かを本当に喜ばせてあげられるか』が浮かんでくるためには、悪い夢なんか見てられない。そして、寝る前にも嫌なことなんか考えてしまっていたら、きっと、悪い夢を見やすくなりそう。だから、寝る前、寝付くその時に、明日は誰をどうやって本当に喜ばそうかと考えながら寝入らないと、朝、パチッと目が覚めたときに、パッと喜びの閃きなんて浮かんでくるはずがない。
 結局、朝、起きた時に本当に喜んでもらうことを考える条件反射ができるためには、四六時中、誰かを喜ばすことを考えている脳みそにしないとダメってことだ。

 そういう親のいる家庭に育った人は、おそらく、人を本当に喜ばすことが、水を得た魚のように脳みそに浸透していて、シアワセな人生を当たり前のように享受しちゃえるかもしれない。
 そんな親ってほとんどいないんじゃないだろうか。だから、ほとんどの人が親ガチャだと思う。みな、生きていくことに必死だ。
 わが子にとっても、私は親ガチャだ。夫はめちゃくちゃ親ガチャガチャだ。
 すまんのう~~~。
 

 褒めて伸ばす教育って、好みではないけれど。だって、どうも褒めるじゃなくておだてるに近いような感じがするから。
 口先人間っぽいし。
 人の悪口とかうわさ話をするような人が、わが子だけ褒めて育てているとしたら、うそっぽい。

 人間関係などの研修で、講師が、同僚とか部下のいいところを褒めてとおっしゃる。そして、私を苛めて(もちろん、本人はちっともそう思っていない)いた先輩も、褒めるを推奨する講師の話に感動し、褒めましょうと復命していた。その日に、私は苛められたと感じる言葉を放たれた。

 私も含めて、脳みそが評価に浸食されているような人間が褒めるのは、褒めるではなく、おだてるだ。
 というか、そもそも褒めるって評価じゃん。

 もしかしたら、褒めてもいけないかもしれない。
 褒めるという言葉は、四六時中、人を本当に喜ばさんとするような人だけが使っていい言葉かもしれない。

 褒めて、子どもは本当に喜ぶのだろうか。喜ぶけれど、本当に喜ぶのだろうか。なんだか、おだてられているのに喜んでいる子どもの心は、もしかしたら、スーッと隙間風が吹いているかもしれない。無意識レベルでは。

 非行少年の神様 という本の著者が、ずっと警察でいわゆる非行少年たちとの出会いの体験の中で、彼らには共通点が一つあったと書いていらっしゃる。

 彼らには母との添い寝の体験がなかった。

 幸せな気持ちで安心して眠りにつく。
  
 そうだよね。
 寝る直前が、母の安心感に包まれて幸せなら、寝ている間、ずっと、安心感に包まれて、朝起きた瞬間も幸せだ。
 寝る前の黄金タイムって言われていたけれど、本当なんだなって改めて痛感した。
 寝る前の母の添い寝がなかったということは、他の朝ご飯を食べさせてもらえないとか夫婦喧嘩が耐えないとか暴力とかそういうものよりもはるかに凌駕するほどの隙間風体験なのだ。
 寝る前、ムギューっと抱きしめて、目を見て『世界で一番大好きよ。生まれてきてくれてありがとう。』と言って、また、ムギューとしてから電気を消す。(もちろん、世界一という言葉は、他の兄弟がいたら禁句)
 その前に、夢拡がるような絵本とか子どものいろんな気持ちを代弁してくれるような絵本などを読んでもらえたら、もっといいはず。

 私に絶対的に足りないものが、まさにこれだ。
 だから、病気というか不定愁訴のオンパレード人生。
 
 これから20年。それなりに元気でいたい。
 元気の源は、青汁ってCMしているけれど、元気の源は、四六時中、本当に喜ばすことだけを思い描ける無意識レベルを手にすることか。
 まぁ、無意識レベルは至難の業なので、まずは、せめて寝る前に、日記をつける癖をつけたい。字も下手なのも手伝って三日坊主。
 まずは、イヤなこともいいことも目いっぱい書きだして、最後に、どうしたら喜んでもらえるかコーナーを設置して、書く。
 を、とにかく、続けるぞ。
 今日から。
 

  
 
 
 
 
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