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嫉妬されたら、無害者になりましょう

2022年11月05日 | エッセー
『つい他人と比べてしまうあなたが嫉妬心とうまく付き合う本』著者:根本裕幸さんの本を読んだ。

 自覚のない嫉妬は正論というフィルターを通して、攻撃といういじめに変身するんだなぁと私は、身をもって体験して、なぜ、人は苛めるのかという心理が少しだけ理解できていた。

 攻撃されていると感じたときは、『これは、あくまでも、相手自身の問題である』と、アドラーは『課題の分離』をして、私には関係のないことだと一線を引くことが、身を守るために必要であると著者は言っている。
 そして、被害者でもなく、加害者になるでもなく、無害者になろうと提案している。 
 嫉妬心が変形した苛めという被害を被った時、反撃したとたん、自分も加害者になってしまう(もちろん、犯罪レベルの場合は別)。
 反撃に出ると、どうしても、罪悪感を抱いてしまう。そうすると、自分では正当性を感じていたとしても、相手を攻撃したことで、潜在意識の中に罪悪感が芽生えてしまうのだそう。
 『私は被害者なのだ』という意識を持ってしまうと、なかなかその泥沼から抜け出せなくなる。なので、カウンセリングでは、無害者になりましょうと提案するのだそう。
 私も、その渦中であった10年以上の間、めちゃくちゃ泣き寝入り被害者であった。
 
 加害者でもなく、被害者でもなく、無害者になりましょう。
 そのためには、『これは、相手の問題であって、私には関係ない』という『課題の分離』が必要であって、『私は私、相手は相手』という自分軸であることがすごく大事だと。
 やり返すわけでもなく、『ただ、距離を置く』。
 でも、そんなに簡単に傷ついた気持ちを癒すなんてできそうにないなと思ったら、その時に溢れ出た怒りや哀しみや寂しさ、悔しさ、失望、不信感などの様々な感情を、『自分の感情に責任を持つ』ために、『御恨みノート』に書いて吐き出したり、人に聞いてもらったりして解放していきましょう。こうして、無害者であることを選択し続けることにより、嫉妬されて傷ついた心は一早く回復し、より一層成長して大人になりますよと著者は助言している。

 相手のリングに上がらず、『戦わない強さ』を持とう
 嫉妬の基本に立ち返ってみれば、『相手はあなたに魅力や価値を感じていて、それが羨ましい』わけですね。
 そこに別の潜在的なネガティブ感情が加わることで、あなたに攻撃してきたり、嫌みを言ってきたりする。これは、見方を変えると、深層心理では、あなたのことをほめているとも受け取れます。

 だって。


 これは、難易度マックスか。
 皮肉を言われたときに、『貴重な意見をありがとう。』などと答えると、相手は何も言えなくなるという。

 かなり、高等なテクニックだ。
 『ありがとう』で嫌味の攻撃力を封じるのだという。

 テクニックだけでは、ありがとうなんてとても言えないレベル。羽生弓弦君レベルか。
 日々の並々ならぬ練習の末勝ち取れるくらい難易度が高い。

 最後に、『嫉妬が絡んだ攻撃に負けない心』をつくるために大切なことが書かれてあった。

 自己肯定感を高める・・・だって。

 これが、めっぽう難しい。
 
 思春期の頃、劣等感だらけで自信が全くなかった私は、自己肯定感なる言葉はその頃存在していなかったけれど、きっと、めちゃくちゃ低かったはず。
 なぜ、あんなに自信がなかったかというと、好きなことがなかったから。好きなことを我慢してできなかったのではなく、ワクワクするようなことや好きなことがなかった。
 唯一、片思いの時間だけが好きなことの時間だったと今、思う。あのチラッと姿をみれただけで、胸がキュンとする、その時間だけが、私らしかったかなぁ。
 あとは、好きでもないのにやらされたうえに、やってしまうがゆえに、よい結果を出すために、好きでもないのにやらざるを得ない・・・みたいな人生だった。強迫観念で勉強していた。
 親が脅迫したわけではない。学校というシステムに洗脳されていたのだと思う。通信簿とか順位とか偏差値とかにいつの間にか洗脳されていた。親も洗脳されているから、2世?
 うちの親は、勉強しなさいなんて一度も言わなかったから、統一教会の2世のような苦しみは感じなかった。でも、疑問ももてなかった。
 
 私の自信のなさは、好きなこと夢中になれることが何もなかったという1点に尽きると思う。勉強第一という洗脳世界で。
 
 もう一つは、容姿か。
 好きなことに夢中になれたら、容姿って、そこまで劣等感に響いてこないと思う。でも、好きなことに夢中になれることがない人間でも、見た目がよかったら自信をもてるかもしれない。その自信は仮面自信だけど、ないよりはるかにましだ。ワクワク感が湧いてくるから。
 今どきの子は、ネットで、キレイになれるテクニックの情報量が半端ないから、キレイへの投資の熱意もすごい。
 男の子も。
 個人差あるけれど。
 あれって、自己肯定感を高めんとしているのかなと、今、気づいた。
 だとしたら、やまんばギャルも整形も脱毛男子も温かく見守ろう。それで、かりそめでも自己肯定感が高まるのなら御の字だ。

 
 本物の自己肯定感は、容姿を乗り越えたところにあるとは思う。
 でも、20歳前後の頃は、仕事も任されていない頃。かりそめの自己肯定感アップ術で乗り切らないと、潰れてしまう。

 人生は、かりそめの自己肯定感という綱の綱渡り。
 そして、おそらく、本物の自己肯定感を手に入れた時に、その綱から解放される。
 私の育ちのなかで、親がこうしてくれたら、私の自己肯定感はもっと高くできたはずなのに…と恨めしく思うことが一つある。
 

 
 
 
 
 

 













 


















  








































 
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