今回は個人のネタなので
薬事関係の情報は一切ありません
個人について興味のない方はご容赦ください
ワタシの父は昭和8年うまれで今年は89才の年
長年企業で経理や総務の管理職をやっていて
定年退職後も社長に引き留められて
70まで会社に残っていたことが
自慢だと良く話してくれていた
70才以降は
当方の事務所の経理や
電話番など引き受けてくれ
つい数年までは経理をお願いしていた
しかし次第に体力の衰えを感じることもあり
経理等の仕事はワタシで行うようにしてきた
そんな中コロナ渦になり
実家にはほとんど顔を出すことも少なくなり
本人も家に籠ることが殆ど
次第に切符の買い方がわからないとか
野菜の名前がわからない・・・
生活にも支障がでてきて
デイケアサービスに通うことになった
父は新潟県の佐渡島出身で
いまでも親戚は佐渡に集まっている
実家は祖父が亡くなってからは
空き家になってしまったが
年に一度は実家に帰って
庭の手入れや
家のかたずけ
そして親戚とのコミュニケーションも楽しんでいた
しかし親戚も一人、また一人と亡くなり
父の代で残っている親戚はわずか
親戚はすでに若い代に代わっていた
コロナ渦になり
定期的な佐渡訪問もかなわず
今年こそ佐渡に連れて行こうかと思い
父に尋ねると・・・・
もう実家に対しての気持ちが薄くなってきたようで
「今年はいかない」
デイケアサービスが楽しいようで
そちらに行きたいと・・・
父は痴呆が進んできて
日常生活には支障が出てきている
幸いにも家族の顔は覚えているようだが
なんだか寂しい
昔の父は実家に執着しており
定年後に住めるようにリホームも済ませている
少しずつではあるが
痴呆の影響なのか
年のせいなのか
デイケアサービスが単に楽しいだけなのか・・・
昔の父とは少しずつ変わってきていることに
寂しさを感じる・・・
父と母を連れて佐渡に行くことが
もう叶わなくなったことが寂しい
ある方から聞いた話
父が痴呆になった
それは悲しいそして寂しいこと
でもそれは父から息子に対して
最後の教育の一環なんだよ
父は身を呈して
痴呆になること
そして介護のこと
最後は死について
息子に考えさせるための
教育なんだよ・・・