3.10東京大空襲のこと。 | バンコク花の暮らし

明日は3月11日だ。
と思っていたら
今日、3月10日は
東京大空襲の日だと知った。

1945年3月10日
第二次世界大戦末期
東京は大規模な爆撃を受けた。

なぜ私はこの日を
知らなかったのだろう?

広島・長崎の原爆投下の日
終戦の日のことは知っていたのに。

忘れていた訳ではなかったけれど
そういった歴史の話と
母から聞いた話が
直接、自分の中で繋がっていなかった。

「東京大空襲」
それこそ
わたしのルーツにもなる日だったのに。


当時、祖母は

東京に住んでいました。

東京大空襲の日。

空襲警報が鳴り響き
慌てて取るもの手に取って家から逃げるとき
とっさに「毛糸」を抱えて逃げたそうです。


孫の私が言うのもなんだけど
祖母は町内でも目立つ美人さんで
当時、ちょっとしたモデルのような写真も
撮ってもらったりしていたそうです。
 

家は焼けてしまう。
本当はアルバムを持って行きたかったけど

お腹にはじめての赤ちゃん(私の母)を身ごもっていました。


「お腹の赤ちゃんが寒くないように」と
祖母は毛糸を抱えて逃げたのだそうです。

だから、おばあちゃんの若い時の写真は

ほとんど無いのよ。と。


このエピソード。
私は何度も母から聞いていて
母が子を思う愛って
自分のことよりも大切になるんだなぁ。。

 

って思っていた。

でも、今日、
東京大空襲の資料を

読んだり写真をみてみると


もっと深いもの
重みを感じた。


私の母は1945年9月生まれなのに
弥生という名前。

おじいさんの名前から「弥」という一字を頂いて
言いやすいようにしたら
偶然この名になったと言っていたけど

3月に生き延びた生命

偶然ではないのかも知れない。


そして私の命があるのも
おばあちゃんが守ってくれたから。

おばあちゃんが守ったものは
たったひとつの命ではなかったこと。

私の娘も同じく

この命のリレーに続いている。


この激しい戦火に消えることなく
必死に逃げて生き延びてくれた
ひとりのうら若き乙女に

毛糸のぬくもりと共に
私たちは守り生かされたのだと思ったら

命とはなんと尊いものかと。




時空を超えて
戦火の中逃げ惑うおばあちゃんを探して
未来からお守りのエネルギーを送ろうと思います。

未来から守ってる!

 

そして

 

おばあちゃん
いつも今でも守ってくれて
ありがとう。

大好きです。