2021年12月5日日曜日

中村吉右衛門の鬼平

小さい頃から知っていた人が最近亡くなり続けます。

今回も私にとっては鬼平犯科帳の「長谷川平蔵」として認識していた中村吉右衛門さんが亡くなられました。事実を知った瞬間は口に出して思わず「えーっ」と言ってしまいました。世代によってある人物の死亡通知は大きく異なるのが常ですが、我々の年代より上の方々にとってはかなり大きな報道ではなかったのかな~と思っているのですが。テレビの中の鬼平は本当に渋い、私がもとより小説の中で思い描いていた平蔵そのものでした。

池波正太郎の書いた本はほとんど全て読んだと自負しているのですが、なかでも鬼平犯科帳は人気のシリーズ。その鬼平を人情味と裁き人としての厳しさの二面を表裏一体で併せ持つ一人の人間として描ききった池波正太郎の想いを完全に具現化することに成功していたように思います。

さて、歌舞伎の世界というのは巷間様々に言われている様に、我々外の世界の人間には中々窺い知ることの出来ないまさに謎多き世界ですが、こういった芸事の世界における客式や世襲の様々な決まり事は、外から眺めているだけの自分にとっても本当にガチガチに大変だなと感じます。

実質的に自分がどう生きたいか等ということは、この世に生まれ落ちた瞬間からほぼ定められてしまっていて、好き嫌いなど全く関係なく、否が応でもその「家」の決まりごとに則って自分の未来をそこに嵌め込んで開拓していかないといけないと云うのは本当にある意味物凄く辛いことだと思います。自分に能力があるか、そして適性というものがそこに有るのかなどということはそもそも自分が発する事のできる質問の選択肢に存在しない訳、言ってみれば王家に生まれた王族のようなもの。そのまま続けていればなにはともあれ晩年にはナントカ褒章とか人間国宝に選ばれるようなことも有るのでしょうが、それが自分の自由な選択を殺してまで得た代償として相応しいのかと言われれば私なら大きくネガティブだろうなと思うんですけどね。

私の中では、吉右衛門さんはその生涯を通じて歌舞伎というものをもっとみんなに知って貰おう、歌舞伎をごく小さな内輪だけの伝統芸能に留め置いてしまうことは避けようと必死の努力をされた方だという認識があって、松本白鳳(9代目松本幸四郎のほうが解りやすいか?)と二人で、平成に入ってから後の歌舞伎界を支えてきた大きな柱の一本だと思っています。

自分に与えられたある意味「過酷な」定めを淡々とこなされ、定められた以上の事をきちんと成し遂げられ、歌舞伎を死んだ過去の芸能にしてしまうことを阻止された偉業は歌舞伎の現代史の中で消えることのない功績として語り継がれることでしょう。

今頃、天国で歴代の名跡に肩を叩かれご苦労だったと慰労され、芸事の話で盛り上がっているんじゃないでしょうか。

ご冥福を心よりお祈りいたします。


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