爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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雨の月曜

2022年12月05日 | Weblog
新聞でも、テレビでも、きょう一日、クロアチアというワードがひっきりなしに使われる。

その文化や風土を考えることもない。

ただ、目の前の倒すべき敵として。

パールハーバーにもひとがいた。

キエフにもひとがいた。

大連にもひとがいた。

満州にもひとがいた。

ジーンズを買いに

2022年08月19日 | Weblog
もう学校に通っていない。

劣等感もないが、それを補うように無数に本を読む。

17歳。1986年。

町屋で乗り換え、表参道で降りる。

古着屋とアンティークショップ(値打ちのある骨董品ではなくアメリカの大衆雑貨)を巡り、渋谷から帰ってくる。

ハウスマヌカンという名称があり、彼女らの眉は太かった。

アンニュイという言葉が健康的な女性というのを凌駕する。

しかし、そんなことはない。

表参道で地下から地上に出る。

森英恵ビルがあった。

一生、入らないお店だが、その存在は知っている。

あの頃の、勢いのあった日本ももうない。

サイズの合う、良い感じに色落ちしたジーンズを買う。

その頃の、ぼくの制服。

コカ・コーラとリーバイス。

会社名であり、若さの特権的ななにかでもある。

タワーレコードの黄色い袋と輸入盤の匂い。あの長細い箱。あれは、翌年以降か。

空は、なぜか晴れている。

取り戻せないなにかでもあり、本のなかに書かれていたような過去の記憶でもある。それをパッケージしたものが青春と呼べそうなものかもしれない。

最後の晩酌

2022年08月14日 | Weblog
見知らぬひとから友人になる途中、空いた時間があると、いわゆる「最後の晩餐」を訊ねる。

本心を知りたいわけでもなく、空白の時間を埋めるべく、会話の導入を質問という形にしたもの。

しかし、お酒というものに傾きがちな自分が、なぜ、「最後の晩酌」というお題を持ち出さなかったのか、いまになって理解ができない。

さて、どんなものがいいのだろう。

それは、酒の種類や量ということではなく、場所や空気感や日射しや昼や夜など、さまざまな背景が影響されるだろう。

南国のホテルからビーチを見下ろし、ソルティドッグみたいな冷えたものを。

イタリアのあまり有名でもなく、きれいでもない店で、ソフィア・ローレンみたいな引力に反発する凹凸ある服の中身を想像させる方の給仕を受けながら、赤いワインを飲んだり。

いまは、トップの力量をもたないサッカー選手のそれでも頑張る雄姿を見ながら大きなジョッキでビールを飲んだり。

大きな波が打ち寄せるのを室内で鑑賞しながら、鋭い味覚を感じる日本酒を選んでみたり。

秋が店じまいするころ、どこかの小さな店でためにならないラジオを聞きながらおでんでぬるめのコップ酒で手を温めたり。

ひとりでの妄想という頭のなかの会話。

そう考えるだけで、答えも得ないまま、なにか飲めそうである。

最後は点滴になるであろう、という未来を予測できる若者でもない自分の実感。

情景描写大会。

最後というより、経過とか未来が見えてしまう。

明日への英気という観点があるものなので、致し方ない。

この最高の一杯のシチュエーションというお題としての落第。

隔たりある恋人 1~5

2021年07月15日 | 隔たりある恋人
1

 友だちから聞いた話だが、そのひとは、あるひとりの女のひとを忘れられなかったらしい。だが、年月をかけて、目一杯に努力をして、やっと忘れられると、今までひとりの女のひとを愛し続けられると思っていた情熱が、どこかに行ってしまい、それ以来、どのひとを好きになっても、すべて永久じゃないという思いにとらわれてしまって、結局、忘れないという段階で踏みとどまってひとりの女のひとを好きなままでいた方が、無駄な比較に過ぎないが幸福だったのではないか、と言った。
 無邪気な私は、その話を深く理解できずにいた。自分のこと以外は、すべて仮定でもあることだし。

 長く飛行機に乗り、私は留学先に着いた。私は十九歳だった。少し虚無的を愛して、かつ疎んじる年頃だが、留学しようとするくらいだから、心の奥には情熱の種火もあったはずだ。確かにアメリカが好きだった。私の極論だが、映画産業はアメリカがすべて引き受ければいいと思う。これから作る新しい車の生産を日本だけが受け持てば、さまざまなところから苦情とうめきが殺到するだろうが。
 ウォークマンで人気があった頃のブルース・スプリングスティーンを聞き、住所のメモを再度、確認してタクシーに乗った。

2

 ひとつ年上の男性と一緒に借りて住むところとなるアパートに着いた。はじめて渡すチップがぎこちなかった。しかし、タクシーの運転手はそんなことも気にせずに走り去った。辺りは緑の多い快適そうな場所だ。
 私はジーンズの後ろのポケットに入っている飛行機内のお供だった夏目漱石の小説を急に恥じた。過去の場所に密接に関連していたせいか。その気持ちのまま、なぜだか分からないが、その後の日本語への恋しさも思い付かないほど無頓着にゴミ箱に捨ててしまった。ジョン・F・ケネディなんかより、常に自分にとって偉大なはずなのに。
 まだレーガンだった。対はゴルバチョフだった。階段をのぼり、壁のベルを押すと、そのひとつ上の山田さんが顔を見せた。戸のすき間からベーコンの焼けるにおいが早くも外に出ようとしている。私より三週間近く先に来ていた山田さんは、スーパーの買いものにも慣れたらしい。慣れるといっても、やることといったら世界共通だろうが。
 私は外を少し散歩した。聞こえてくる声のなかに日本語はまったくなかった。目についた店でコーラを試すように買ってみた。その時、耳馴染んだ日本語とちょっと異なるトーンで、「こんにちは」と耳にする。
 そこにいるのは頭の白くなったおじいさんで、彼が声をかけたようだ。私が戸惑っていると、「あなたは日本人でしょう?」との質問を加えた。
「そう、イエス」と簡単に返した。「ハロー、こんにちは」
「私も日本に居たことがある。ファー・イースト」
「そうですか」戸惑いが消えないままコーラのふたを開けて、がぶりと飲んだ。

3

 店員はふたりの日本語でのやり取りに興味がないとみえて、静かに座って新聞を読みはじめた。私は外に出た。すると、おじいさんも紙袋を抱えた姿で外に表れた。
 自然と目の前にあるベンチに腰を下ろすと、おじいさんも目で同意を求める合図をして横にすわった。無知な若さゆえ高齢者の暮らしに遠慮や容赦がない自分の判断は、時間を持て余す暇な人物として映った。半面、同じ材料で、ぼくは語学の上達に役立つ人間か利己的に計ろうとした。
 しかしながら、到着後の最初の日でもあったので、当然のこととして距離感の分からない私は、はじめあまり好意をもたなかった。慣れない生活で、こまごまとした無駄な時間や、それに付随する金を失ったりするのが何より恐かった。目の前にいる国籍の異なる人間を、疑っていいものか、信頼するべきか、その地でのバランス感覚を見つけていない私の気持ちは揺れた。それから、こちらの短い煩悶を見破るかのように不意におじいさんは沈黙を破った。なぜ、ただの会話に過ぎないものを、ここまで大ごとにしようとしていたのだろう。
「戦争でね」頭の片すみにある記憶を引っ張り出そうと頑張っているらしい。「日本はひどい目にあった。わたしも加わっていた」
「ぼくらの世代は何も知らないんです」字義通り、私は何も知らなかった。美しいノスタルジーを感じるときさえあった。「悪く思わないでください」
「うむ」紙袋からリンゴを取り出し、彼はかじりはじめた。「アトミック・ボム」
 私はその言葉の意味が分からなかった。日本の米の品種かなと考え、原爆にたどり着くのに時間がかかった。
「ああ、原子爆弾。ウエポン?」
 おじいさんは質問には答えずに、自分の内面にもぐり込んでしまったらしい。

4

「いつか誰かに話して、もう忘れたい。何遍、そう思ったか。しかし、私には機会がなかった。ある数ヶ月の思い出に私の人生は縛られた。この気持ちをもって、あの世には行きたくない」
 私は残酷、残虐な場面を頭に浮かべた。転がった死体。氷のように固まった身体。つづきを聞くのが恐かった。私は何より新しいもの全部が恐いのだという錯覚も生まれる。すべての未知が。
「君は恋をした?」
 おじいさんは急に優しい口調で問いかけた。私の顔は赤らんだ。したと胸を張って言えそうだが、実際には、その時点ではまだ知らなかったかもしれない。
「ノー」
「私はまだ二十一歳だった。国に帰れば婚約者もいた。日本から手紙を数通出し、その返事も何度か頂いた。もう戦争は終わっていたが、任務が残っていたので、まだ日本に滞在しているところだ。早く帰って彼女に会いたかった。そばにいてほしかった。それだけが、私の望みだったはずだ」
 私にもその気持ちは分かった。分かる権利があるような気もした。
「あと四ヶ月で帰れるはずだったんだ」ことばとは裏腹に切実さや執拗さはなかった。「その時、あるひとりの日本の女性に会ってしまった。彼女が私の人生を変えた。恨んでこう言っているのではない。私の頭のなかに微かにあったヴィジョンがすべて消えた。例えば、帰ってから美しいくつろいだ家庭を築き、子どもが二、三人いて・・・」

5

 私はたいして感情移入もせずに、似たような情景があるテンプテーションズのある曲の一節を頭のなかだけで口ずさむかのように転がした。
「私はまだ子どもだったんだろうな。君は、いくつ?」
「十九。ナインティーン」
「そう、子どもだね」
 私はこの事実を存分に含んだ言葉にがっくり来た。少しでも大人であろうとしているところに、この曖昧さのない言葉はないだろう。
「子どもっぽさは、抜けてないかもね」ひとりごとのように言い、かろうじて抵抗する。それは簡単に無視される。
「すべて、その女性から教えてもらったと言っても良いだろう。知性。ヒューマン。優しさ。私の知らないものをすべて持っていた。彼女と会う前には、私は人間の精神性についてなんて考えたこともなかった。人間は、まず、肉体のものだと決めていた。しかし、人間の精神の方が、余っ程、言うことをきく。そうなるまでに時間はかかったが」
 いまの私は、この葛藤する言葉の二十パーセントぐらいは分かるが、その当時、どれほど、理解したことか。そして、おじいさんは骨董品じみた腕時計をチラと見た。なんだかんだ話し込んでしまったなと思い、自分の時計(カラフル過ぎる)を同じように確認すると、あっという間に五十分ぐらい経っていた。
「つまらない話をしてごめん。だが、これも何かの運命だと思って」そう言い終わると、重い腰をあげた。「じゃあ、これで。ソーリー」
 私は首を少し傾けて会釈した。ふさわしい言葉が思いつかないこともあった。運命。縁。そういうものから逃れ、そうしたものを手に入れることを夢想する。
 夕日のなかをアメリカの少年が自転車で通り過ぎた。赤いTシャツ。青いスニーカー。この地での私の最初の購入品でもあったコーラは、手のなかでぬるくなっていた。

揺れる器 1~6

2021年06月09日 | 揺れる器
揺れる器  2018.1.1


1

 あれは、おそらく、地震のあった年だった。
軽率に用いた「おそらく」という語彙は正しくはない。ぼくらにとって地震という文字であらわす本当の恐怖を与えたものは、あの一度しかない。おそらく、一度しかないだろう。そして、一度で充分だ。
 地震という文字を辞書で調べて意味を問う必要もない。紙面やインクから浮かび上がるものが、正確に表現するものが実体でもない。失恋や死別と同じ意味で。未知なるものを調べる。そうか、と認識する。体験を越えるものではない。体験。つまりは、身体で感じた脳のその後のシグナルなのだろう。
 午後というのどかな安らぎが奪われる。冬は終わらず、春も訪れてはいなかった。その日の深夜の空気や気温をぼくは感じ取る能力や気概ももっていなかった。出社と帰宅はワンセットであるものだった。ワンペア。ぼくらには片道切符しかない。定期券も、その正当な行使を許されていなかった。
 電車がストップする。そのことについて都知事は文句を伝える。このひとのいつもの態度で。トップのひとだけが有してほしい末端へのサービスの感覚をこのひとももっていない。そんなことは知っているのに過度の期待をもつのを甘えさせてしまう夜だった。ぼくはジャーナリストの力量も報酬も求めずに、自分だけのこの日を採取したかった。ぼくだけの夜。そして、無数の声なき民の各自の夜。
 ぼくには二本の脚があった。パラリンピックをする町の数年前の景色として、車いすのひとにどのような帰宅手段の選択肢があるかを想像することもしなかった数年前の、あの今夜である。恥がある。無知もある。健康という深い眠りにぼくはまどろんでいる。
 会社を出ると、いつもの東京タワーがあった。崩壊という危険もなかった。あるものが、そこにあるという安堵がぼくを包む。光あれ。
 ぼくは歩きながら映像の切れ端をつなぎ合わせ、音楽ビデオのようなものにする。無数の断片の連続で、かつ紡ぎ合わせることが許される媒体。
 その後に起こったテレビ内の衝撃。波が空港のような場所に押し寄せる。格納庫なのか? ミニカーで遊んだ幼児のころの映像。俯瞰の視線が見つめるミニチュアやジオラマ。別のあらゆるところにも波は無節操に襲う。波は燃えるのだ。水も燃えるのだというあり得ない事実を学ぶ。幼児も遊びに飽きればあらゆるものをなぎ倒す権利を有している。
 君もここにいた。合わせ鏡として、ぼくがいた。貝殻の片方ずつのように君とぼくもいた。ぼくは、将来、書くべきであろう物語の一部を引き出しの奥から引っ張り出す。そこに君はいない。突然、君はいない。
 ぼくは頭のなかで帰途のルートを考えている。虎ノ門、霞が関、日比谷。近道を考える訳でもない。途中、電車やバスが回復したら、乗り込もうと決めていたが、チャンスはなかなか来なかった。トイレに立ち寄ったビルの地下ではきれいなOLがヘルメットを被っていた。その不釣り合いな姿がぼくの記憶の新たなページを埋める。
 飲み物と夜食を買いにコンビニに入る。在庫は徐々に減っていく。物流がなければ、新たなものは入荷しない。トイレの水は流れている。打撃という最終部分には至っていない。
 上野にいる。パンダは、驚いたのだろうか? 入谷にいて浅草にいる。ここでどこに行くかも分からないバスを見かける。ここら辺りで自力で帰ることを受け入れるしかなかった。自分の胸のエンジンと車輪の役目の脚をつかって。それから、何本かの川を越え、夜中の二時ぐらいだろうか家に着く。ガスは止まっている。復帰(復旧)のボタンを押す。身体は冷えていた。家も冷えていた。布団も冷えていた。
 電話は通じにくかった。何人かの安否を心配する。東京で遭難することもないが、気持ちは同じだった。ぼくは疲れた身体を横たえる。革靴は長時間の歩行に向かないことは知っているが、それ以外の手段はない。手という字は足ではない。後々、考えれば職場近くの激安ショップで小さな自転車を買うという決断もあった。しかし、あとの祭り。
 ぼくという人間の音楽ビデオ。レイラほど劇的ではない。ビル・エバンスのバラードほど穏やかでも静的でもない。猥雑なものが混じり合っている。眠れない夜に数年前の悲劇を脳裏から引っ張り出す。米国の大都市の二つのビルに飛行機が突っ込む。世界一の大都市と表現した方が妥当かもしれない。無数の人間はあまりにも矮小だ。波は燃える。同様に、飛行機も武器になった。標的も、ターゲットもきちんと計算すれば。
 翌日になる。あと何年かしか生存しない父の誕生日。そのことをいまのぼくは思い出すが、当時は最初に浮かぶものでもない。その一日の最後にすら考えなかったかもしれない。ぼくは、シャワーを浴びて、テレビで昨日の地震と津波が事実であることを再確認する。東京電力は蚊帳の外にいる。現場は別だったかもしれない。ぼくは電気の送電線をたどった地点になにがあるのかも考えていない。そこには科学者やキュリー夫人やオッペンハイマーがいるのだろう。科学的にできていない自分の頭脳。映像と音楽で振り返ろうとしているぐらいだから。においや痛みであってもいい。何年も経って、原発に作業者として入り込んで本にしたものを読む。科学とは呼べる高尚なものはまったくなく、ただの作業と労働の連続だった。末端というのは、どこも同じなのだろう。
 ぼくは普段と同じように行動しようと願う。夕方、近所の立ち飲み店に行った。その日から小さな椅子が並べられている。みな歩き疲れたのだ。昨日が最初だったのかもしれない。ぼくは何人かに電話する。電話は電話線から解放されていた。

2

 ぼくという一本の音楽ビデオ。四、五分で完結する。
 これを、物語を貫くキーワードにしようと考える。断片の集大成が自分という大まかな意味で。
 電話。話術と声音。適度な響き。ぼくは地震の翌日、飲み屋の椅子で、暖かな空調のなかで、ひとの声の歴史を考えている。無数の雑踏のなかにいた昨日の自分。声という意思と無責任の触れ合いも暖かさの確かな一部なのだ。
 最高の演説。声の持ち主。キング牧師の夢がある。自分個人の夢でありながら、ある民族の願いでもあった。一九六三年の八月。七年後、日本のコスプレ作家が、市ヶ谷で演説する。徹頭徹尾、自分というものを忘れないために。ことばより、思いの問題であった。狭量という円錐の突端の美学。高い教育を受けたはずの出口は、限りなく稚拙であった。どちらが奴隷の過去があるのかも分からない。しかし、どちらも米国のアングロサクソンの奴隷であるのだろう。
ぼくは、そんな意識もなく電話を手にする。電話番号は十一桁の数字の組み合わせになっている。そこに名前をつけて一時的に保管している。しかし、電話にでないひともいる。ただの入浴中なのかもしれない。しかし、生命の危機を通過したその日は、軽々しくあきらめる気にもなれなかった。
声がひとである。匂いがひとである。識別される記号。六十億か七十億かのいくつかが失われた。再生不可能なものとして奪われた。ぼくは奪われなかった。友人の多さで選別されるべきだ、とぼくはグラスを傾けつつ仮定として考える。量という正解。少なくなったグラスに新たな酒が満たされる。
理想主義という悪夢。この日を通過した人類は、他人の命に対して責任があり、生きているという事実に寛容であるべきだと望む。ひとのミスを許し、信号の短い明滅の間に横断歩道を渡り切れそうにないおばあさんをおんぶするべきだ。ぼくは、酒ではない架空の美学のために酔いしれて、瞳のうらの涙の製造工場を再稼働する。独りよがり。そして、ふたりよがりという言葉がないことを知る。
ぼくという短い音楽のビデオ。しかし、終わらなかった。終わらせてくれなかった。
月曜日。喪に服すという安らぎを、会社に出向く人間に簡単に与えてくれない日でもある。無数の電車の運転手が霞が関に向かう。そこは、日本にテロということばを与えた町であった。二二六という歴史の遠くの日付けは、結局は、日本という丼に胡椒を振りかけるほどの変化も起こさなかったことだけを教えてくれる。三月の十一日。昨日に戻るべきだという幻想。
みんな、生き延びた。東京は強かった。だが、ぼくの仕事は東京の住人だけを相手にしているわけでもない。金曜の午後、札幌にいる女性と電話をしていて途中で切れたままで、再び、つながることはなかった。後日、札幌も揺れたということばをぼくは鵜呑みにしない。揺れは、東京のビルにいる自分に相応しい表現だと独善的に、専有的に考えていた。もちろん、間違っている。ぼくは被害者でもない。加害者でもなく、当事者でもない。
東京の電力会社の面々も当事者ではない。経営というのは、俯瞰的な視線が必須である。その意味で彼らの力量は優れていた。適切な判断。タイミングの良い指示。利益をよぶ株。その後、大きな日本の会社も続々と、この先例にならったのか、トカゲの尻尾のように末端を失う。そして、胴体も頭脳も売ってしまう。戦後からの踏ん張りは終わりを告げる。日本という音楽ビデオ。坂本九と美空ひばりの音楽。上野の浮浪児。米兵に抱かれる真っ赤な唇の彼女。
トモダチ作戦。入口と出口。ぼくは出口を知っている。訴訟という栓抜き。なかには炭酸がある。
しかし、ぼくは彼女に出会うのだ。地震がなければ、ぼくらはぼくらにならなかった。


3

 全容が分からないという不安。分かってしまったからといって安堵があるわけでもない。より多くの失望。あそこに津波があり、あそこに電力の源があった。危険を内在させた不思議な炉。無制限の心中。
 自分という立派に泳げない生物。泳げたからといって、遠泳が得意だからといって結果は同じだったろう。予期せぬときに足元を救われる。冗談に話せるぐらいが華だった。実際に救われてしまえば。
 水の勢い。シャワーの快適さ。働いて週末を迎える。その繰り返しがまた待っていた。土曜か日曜の昼に通う定食屋で常連さんたちが誰かのうわさ話をしている。悲劇の影があるが、大っぴらには話せない内容でもあるらしい。何度か出向くうち、ある女性のこと、そこの店主の娘であることが分かる。結婚前の姿も彼らは知っていた。およそ十年前には、彼女はここにいたのだ。結婚して東北に行き、娘をさずかり、いまは夫と娘を失った過去が生まれた。ぼくは会わないで良かったと考えている。いまは夜に店に手伝いに来ているらしい。住まいも実家にもどって、今後の生活の立て直しを考えているとのことだ。
 味は変わらない。だから、人気があるともいえる。ぼくはある夏の午後、ビールを頼む。見慣れない陽気な女性がジョッキを運んできた。小皿には柿の種があった。ぼくはこのテーブルに来るまでに他のお客さんと話された雰囲気でそれらの認識をつかもうとしていた。広げたスポーツ新聞から視線をずらし、うわさの女性を見る。悲劇の予感を、悲劇の当事者であることも教えてくれない白い肌を見る。
「はじめて?」
 ここに来たのが初めてなのか、会うのが最初なのか、ビールを頼むのが一回目なのか返答に困る質問をした。ぼくはただうなずく。そして、うまそうなビールに口を近づけ、うまいという夏の当然の事実を知る。
「おいしそうだね。おかわりなら充分あるよ」
「はい」
 ぼくはいつも持ち歩いているノートを閉じ、几帳面にハムエッグの黄身をつぶさないように箸を動かす。しかし、あまりにも呆気なく黄色いものが流出する。そばのキャベツが防波堤になる。
 そばで快活に彼女は常連客と話している。ぼくはテレビと新聞を交互に見て、ふたたびノートを開く。
「詩人なの?」
「え?」
「細かい字がいっぱい」
「あ、そうか」ぼくの名前は明石仁。そこに詩人が隠れているのだ。「単なるメモ程度。書かないと忘れちゃうし、文字になれば真実につながりそうなので」
 常連客の耳を気にする。彼らはおとなしい収集家でもある。ぼくはノートに書き綴る。
 犬は死んで思い出のなかで駆け巡ってこそが犬である。
 恋人は別れて夢のなかであの日を再現させたときが恋人のピークである。
 夏休みの最終日に宿題で費やされずに済んで決行したであろう日焼けの注ぎ足しの一日を大人になった目で回顧するのが夏休みの本望である。
 それからおよそ一年経ち、ぼくらは親密になった。彼女はぼくの横で語る。
「ランドセルが窮屈になってこそ、子どもの親孝行の完結である。こういうのはどう?」
「完結は、両親にここまで育ててくれて、という白無垢姿が完結だよ」
「古いのね」
「小津映画」
 だが、ぼくはまだ未来を知らない。同時に過去も知らない。日常の積み重ねが人生でもあり。日常を突然に奪われるのも人生であった。ぼくは何も失っていない。ノートは押入れにたまっていく。それは利用されることもなく、ぼくは通勤電車のつり革のひとつにつかまっている。虫歯が痛い。

4

「ここら辺で歯医者なら、山井さんだよ」と光代は言う。ぼくの口内は麻婆豆腐を噛む軽さですら拒絶しようとしている。柔らかさではなく刺激物としての歯ごたえと辛味。固形物を避けることはできない。
「苦手だな」
「うちの子もそうだったな。大人だから我慢しなきゃ」
 なつかしそうな顔をしている。嫌がる子どもの未来のために一瞬の辛さを味合わせる母親。きびしさも愛情なのだ。
 夏の食堂に戻る。
「トマト、残すんだ?」彼女は皿を見つめる。「真っ赤でおいしそうなのにな」
「苦手なんで。すいません」
「そうなんだ、謝ることないけど。今度から別のものを付け合せるよ」彼女は笑う。「それとも、ニンジンもピーマンもダメとか?」
「子どもじゃないですよ。どっちも好き」
「分かった」
 食堂のテレビでは高校野球の校歌が流れている。どの学校のものかは分からない。勝者はうたい、敗者は土を持ち帰る。彼らの何人かは歯が痛いのかもしれない。しかし、それ以上の感動が各々にある。ぼくは勘定を済ませ、皿のトマトを後ろめたい気持ちで眺める。光代と目が合い、彼女は仕方なさそうに笑う。

「あれ、光代ちゃんの彼氏か」
 古い町は、ぼくを枝として扱う。幹は光代だ。治療を終えた白髪がある柔和そうな医者は、ぼくの顔を見て、枝を確認する。
「そうです。あの店で見かけたような」
「だったら、もっと痛くしておけばよかった」と医者らしからぬことを告げる。「冗談だよ」
「まさかですよね。彼女も腕前を誉めていましたから」
「そうだろう。じゃあ、次ももっと丁寧にするよ」
「お願いします」
 直ぐに食事をしないように注意されたので、本屋で一冊文庫を買い、公園で時間をつぶしてから食堂に向かった。光代が注文を取りにくる。両者の関係性を何人かは知っている。
「家で、わたしがなにか作ってあげればいいと言うひともいるのよ」
「考えたこともなかったけど、そういうのもありだったんだね」
「彼は、ここがいちばん寛げるんだから、いいんだよ、そう教えてあげた」
「その通り」家でのやり取りを思い返す。
 ぼくはハムエッグとビールを頼む。もうトマトは出て来ない。レタスにドレッシングがかかっている。いつものノートを開く。意味もなく歯医者の値段を書き入れる。そして、治療した箇所を舌先で触れる。宇宙飛行士は口内をきちんと治療しないとダメだと聞いたような気がした。それを怠るとどのような状態になるのか想像もできないが、良くはなさそうだなと漠然と考える。
 光代の母が奥からでてきて外に行く途中でぼくに微笑みかける。店は空いてきた。光代は常連さんと話している。ぼくはさっきの文庫本を読みはじめる。事件は起こらず、手のひらの内側だけが動きを見せている。これこそが幸せであるのだとぼんやりと認めた。

5

 ぼくは食堂の定休日に隣駅のレストランに夜ひとりいた。少し離れた席にみかけた顔がある。光代と両親だった。彼らはいっしょにどうかとぼくを促した。悪い提案でもないので、ぼくは光代の横に座った。まだ関係が出来る前のことだった。
「私服じゃないと大人っぽいのね」と光代は母性的な声を出す。
 ぼくは、根掘り葉掘り聞かれるということでもないが、いつの間にか自分のことを多く話していた。郷里のこと。仕事のこと。学生時代の運動部について。いま、何をちまちま書いているのか。
 光代の父は映画が好きだった。むかし妻になる前のころに、ふたりでいっしょに観た映画について語りだした。当然のごとく、いくつかの場面でふたりの記憶は異なっていた。まさしく、いっしょの時間を通過してもそれぞれの脳とそれからの経験で、思い出は塗り替わるようだ。最初の点だけのものは幅を広げた。
「好きな映画は?」ぼくに問いかける。
「なんだろうな」宝くじより選ばれる確率が希少な一本。海辺の砂粒。「フィラデルフィアかな」ぼくは、そう答えた手前、大まかな内容やあらすじをある程度説明する。
「そっち側のひとなの、仁くんは?」
「違いますよ」ぼくは即座に否定する。自分を自分として認識してもらいたい気持ちが働きはじめていたのだろうか。「光代さんは?」
「プリティ・ウーマン」考慮の時間もなく選んだ。「いま、バカだと思ったでしょう」
「まさか」
 その後、光代の父がむかしの映画をいくつか話す。その後、それぞれを見て区分けできたが、その日は、仕事にあぶれた鉄道員が生活に困窮して自転車を盗んで、テルミニ駅で美男美女の悲恋に遭遇するというダイジェストというか詰め込み過ぎた映画を酔った頭に組み込めないまま食事を終える。
 帰りは、車に同乗させてもらい家の前まで送ってもらった。
「犬を捨てに行く映画もあった」父はイタリアのあの時代の映画を好んでいたようだ。
「あなたはバーグマンが好きだった」光代の母は嫉妬をふくまずに、梅干しが好きというように語った。
「そうだったな、だけど、あんなのが家に居たら、毎日、疲れちゃうよ」とぼそっと言う。
「疲れないのがいちばんよね、仁くんもそう思うでしょう?」光代が問いかける。
「分かんないですよ」
「切磋琢磨好きもいるし、か」車が停まる。「この辺りなんだ?」
「そうです、ありがとうございました」
「おやすみ」光代は手を振る。
 ぼくは通りに出て、コンビニに寄った。ストック用にカップ麺と水やお茶を買う。ぼくは明日の仕事、きょうのやりかけともいえるものについて考える。ぼくのなかに詩人が眠っていたとしても、生活の細々としたこと、稼ぎにつながることは常に正しいのだ。領地を宣言し、侵略されることを拒むのだ。
 ビニール袋をぶら下げ、ぼくのこころの一部に光代という存在が踏み込みはじめていることを知る。死別ということは離婚なのか? その未練には永続性があるのだろうか? 死者をライバル視することは不謹慎なのか。自分は想像力だけで勝負しようとした。
 部屋の電気をつける。前の恋人と別れてどれほどの時間が経ったのか頭をめぐらす。別れなくてもよかったし、別れて当然ともいえた。それはぼくにも彼女にも選択肢があるということだ。光代に選択はない。ただ、奪われる。だが、どこにも悲しみの核のようなものがなかった。少なくとも外部にはあふれ出ていない。目覚まし時計のスイッチを確認してぼくは目をつぶる。すると、朝になっていた。

6

 定食屋に光代がいない日がたまにある。お墓が元夫の地元にあるため、そこに出かけることもあるらしい。存在という事実を確かなものとして当然にしていた気持ちがあった。そこにいないという不在がこの程度であるべきだと自分は考えているのだろう。信号は無数にそこにあり、ポストはあそこにあるという単純な認識のうちに。
 しかし、この日の光代の用件は別のものだった。実家の手伝いではなく、どこかで就職する予定を立てていた。履歴書には配偶者の有無の欄があったかぼくは思い出そうとした。
「どうだった?」光代の母が訊く。
「分かんない、うまくいったと思うけどね、ああ、喉乾いた。ビール飲んじゃおう。仁くんの前、いい?」
 彼女の普段を知るものとして感じるところのあまり似合っていないリクルートスーツ風の上着を椅子にかけた。スカート姿はテーブルの下に消える。
「着替えてきたら?」
「いいの、いいの」冷たいものを喉にながす。
「どういう会社?」
「出版社みたいなところ。仁くんの詩も売り込んであげようか」
「形になっていないから」
「材料はあると。大豆や、お芋」
「形というか、逆に発酵させるものみたいですけど」
 彼女は野菜炒めを注文する。「半分、食べて」
「光代ちゃんは、明石くんに甘いね」と常連さんがからかう。
「だって、ここにいるの、おじさんばっかりじゃない」
 部屋中が笑い声で覆われて、幸福感の見えない粒のようなもので室内が埋め尽くされる。
「仁くん、仕事楽しい?」
「明確には分からないけど」ぼくは饅頭の皮のようなものを思い浮かべている。あるいはどら焼きのようなものを。「楽しいも楽しくないもなく、関係ないけど、どら焼きって、どっちがメインですか?」
「さすが、詩人。どっちも」
「腹立つことも失敗も大きくは、楽しい分野の一部じゃないですか?」どら焼きとの関連性を伝えないまま会話をつなげる。
「そうかね」光代は勝手にぼくのコップにビールを注ぎ足した。「化粧して、疲れた」
「似合ってますよ」
「すっぴんも、そこそこだよ」光代はあくびをする。「ママ、仁くんのおまけしてあげてね、わたしが手をつけちゃったのもあるし」そして、彼女は奥に向かった。「みなさん、おやすみ。飲み過ぎないでね」
 ぼくは角に設置されているテレビを見る気もないのに眺めた。ニュース・キャスターは大きな素材がない日の熱量で話している。ぼくは自分の入社のいきさつを思い出していた。それも同じくビッグ・ニュースではない。ある市民の通過すべき日常。だが、両親やそのときの恋人にとっては大きな転換だった。もちろん、自分にとっても。入社式。研修。同期との友情と競い合い。
「じゃあ、これだけもらうね」
 閉店間際の店内でお金を払う。ぼくは上着を羽織り、外に出る。数値として証明されないような雨が空から降っている。一日の終わりに化粧をおとすというある女性を思い浮かべる。なにかプレゼントのようなことができるか考えてみた。与えるという行為をしたのはいつが最後だったろう。鍵をさがして無意識に鍵穴につっこむ。今日も終わった。